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「あの日のはなし」4年 福島成

みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。
4年の福島です。
日頃より東京学芸大学蹴球部を応援してくださりありがとうございます。活動自粛が続く今、これまでたくさんの方々に支えられて活動できていたことをより実感しております。

ラストシーズンにかける想いということでタイトルにもある通り、「あの日」の話をしたいと思います。「あの日」とは私の高校サッカーが終わった日であり、大学でサッカーをやりたいと思った日のことです。元々大学でも部活でサッカーを続けたいと思っていたので、正確に言うと、自分の入れそうな1番偏差値の高い大学でサッカー部に入り、学生最後の4年間を悔いが残らないようにサッカーがやりたいといったものから、全国的に見てもレベルの高い大学でサッカーがやりたいといったものに変わった日のことです。

あの日は、富山県高校サッカー選手権大会3回戦の日でした。私は1回戦を終えた後に股関節の怪我をしてしまっていました。(その時は特に言われませんでしたが、おそらくグローインペインだったと思います)
高校サッカー最後の大会ということもあり、絶対優勝したかったし、怪我なんか関係なく試合に出てチームに貢献したいと思っていました。ゆえに、監督には怪我はほとんど治っているようなことを言って、試合に出られるようアピールしていましたが、怪我は思うように治らず正直、全力でダッシュすることも難しい状態でした。
怪我をした後のTMや2回戦は出場しませんでしたが、あの日のミーティングの前に監督に呼ばれて「今日はスタメンで行く」と言われました。しかし、私は先程書いたように自分では試合に出られる状態ではないことは分かっていたので、適当に言い訳して監督の提案を断りました。その時、監督に「試合に出る時にそんなメンタルで出るな」と言われたことが今でも心に残っています。
そして私は1ー1で迎えた残り15分で出場しましたが、特に見せ場も作れず1-3で負けました。
完全に私のせいで負けました。あの時、監督の提案を受け入れていたら、怪我のことを正しく伝えていたら、結果は変わっていたかもしれません。
チームのみんなに迷惑をかけたことを反省するとともに、私はこのまま選手としてのサッカー人生を終わらせていいのかと考えました。
そして、もう一度、全国大会を目指せるようなチームで戦いたい、レベルの高いチームで自分がどれほど通用するか試してみたいという思いが芽生え、東京学芸大学蹴球部に入部することを決めました。

ラストシーズンの決意を書く上でなぜこの話をしたかというと、大学サッカーへの熱意や向上心、自分への期待などが一番高かったのが入学当初だったのではないかと思ったからです。残念なことに2.3年生の頃にはこの時の気持ちを忘れて、うまくいかないことや理想とはかけ離れた自分の姿を周りの人や環境のせいにしてしまっていました。なぜ学芸大に入学してサッカーがやりたかったのか、なぜトヨと最下位を争ってまでも1ヶ月で200キロ以上も走ったのか。あの時の後悔があったからです。
もう一度あの時の熱意を、自分への期待を持ってラストシーズンを戦います。

ちなみにこの話は高校の同期にもしてません。そろそろ時効かなと思って言いましたが、謝って欲しいならどれだけでも謝ります。ごめんなさい。

#紫志尊々 #jufa #大学サッカー

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