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『憧れの場所』 4年 小林昴生

平素よりお世話になっております。今シーズン副主将を務めさせていただきました、東京学芸大学E類生涯スポーツコース4年小林昂生と申します。

まず初めに、今シーズンも東京学芸大学蹴球部へ多大なるご支援とご声援をいただき、ありがとうございました。結果で恩返しすることができず申し訳ございません。来シーズンからは都県リーグで戦うこととなりますが、今後も変わらぬご支援とご声援をいただけますと幸いです。


りんたろう、紹介ありがとう!そして誕生日おめでとう!&ティアモ枚方内定おめでとう!これからもりんたろうらしくまっすぐサッカーに向き合って、スーパーなキーパーになってね。



毎年、先輩方の部員ブログを読んでは、その一つ一つの言葉に刺激を受け、原動力にしてきたこの部員ブログをとうとう書く番になったと思うと、月日の流れの早さを感じます。
そして、同期の部員ブログを読んでは、そんな思いをもって活動していたのかという驚きとともに、同期の本心を理解できていなかった自分が情けなくも思います。みんな良いこと書きすぎて、ハードル爆上がりです。




この部員ブログを
同期へ、蹴球部に所属する後輩たちへ、偉大な先輩たちへ、蹴球部を支えてくださる全ての皆様へ、はじめましての皆様へ

心を込めて綴ります。

私のこの一年の、そして十数年のサッカー人生の記録が、奮闘記が皆様に何かしらの形で届きますように。






いつの日か父親に天皇杯決勝
柏レイソルvsガンバ大阪の試合を観るために、国立競技場に連れてきてもらった。
試合内容なんて全く覚えてないけど、

ピッチで躍動している選手の姿、それを取り巻く大勢の観衆、選手を後押しするサポーターの熱

幼いながらに、いつか“ここ”でプレーしたい、と鮮明に思ったことを覚えている。






そんなこんなで始めたサッカーも、2019年10月末
高校年代最後の試合を大敗で終え引退した。

思うような結果も残せず、目標だったプロにもなれず、怪我に泣いた高校生活だった。

それもすべて自分自身の弱さが原因だった。

フィジカルでゴリ押していた小学時代、ナショトレとか選抜に選ばれたからと天狗になった中学時代、周りに追い抜かされてもその負けを認めることができなかった高校時代

早熟の典型的な失敗例だった。

今思えば、分岐点はいくつもあった。

選抜に選ばれてもチームではベンチに降格した時、県外の強豪校に入学することも考えた高校進学、ユースならではのTOPチームへの練習参加など。

心のどこかでは気付いていたものに蓋をして、自分に都合の良いように解釈し、チャレンジすることを恐れ、勝ち戦しか乗らず、いつしか自分自身の目標さえ口にできなくなっている奴に

プロになる資格などなかった。と後に気付いた。







その後間もなくしての大学入試、何とか滑り込みで東京学芸大学に入学できた。

第一志望のこの大学に入学できたが、大学ではサッカーを続けるか悩んだ。
結局その弱い心から、サッカーを辞める決断をすることが出来ずに、蹴球部の練習に足を運んだ。

決して惰性での入部ではなかったが、明確な目標を持てずにいた私にある転機が訪れた。それは新入部員オリエンテーションでの動画だった。
そこに映っていたのは関東リーグでの学芸大蹴球部の圧倒的な声量の応援だった。一気にのめりこんだ。大学サッカーってめちゃくちゃかっこいいじゃん。



いつかこの応援のもとスタメンとして関東リーグのピッチに立つ。


プロを諦め入部した私の、サッカー人生最後の目標だった。






しかしその目標も簡単なものではなかった。


1年から3年までの日々は、メンタルもプレーの調子もカテゴリーも、ジェットコースターのように上下動が激しく瞬く間に過ぎ去っていった。


掴みかけた都リーグスタメンを一夜にして逃した朝鮮大戦。
国公立大学戦決勝での大学公式戦最初で最後の得点。
毎週埼玉に通い続けたグロインペインとの療養期間。
Iリーグ山学戦でのオウンゴール。
チームの最低序列まで落ち、TRMで過呼吸になったこともあった。


ほとんどの時間をBチームで過ごした。そのすべてが自分の血肉となった。正直、楽しいことより苦しいこと辛いことの方が圧倒的に多かった3年間だった。
けれども、どんな時でも自分の目標だけはずっと見失わなかった。事あるごとに「関東リーグに出場し続ける」と公言し続けた。初めて3本の矢をまとった目標をもった。



2022年11月
一個上の先輩たちが引退し、天皇杯予選を迎えた。

計らずとも、今まで同じカテゴリーで常に切磋琢磨してきた三重野にボランチの引導を渡された。
と同時に、怪我人などで人手不足だったCBで出場した。

ヤスのいなくなった最終ラインは脆い、なんて死んでも言わせたくなかった。それだけが原動力だった。
試合には負けたけど大きな収穫のある一戦だった。


年は明け、ラストシーズンが幕を開けた。

ボランチに未練はあった。
ラストシーズンを自分のやりたいポジションを貫き通すか、このままCBでプレーするか。

二者択一を迫れらた。

答えは「関東リーグ」にあった。それだけ思い入れが強かった。

誰がどう見てもボランチとしては技術がなく判断が遅かった。その自分の弱さを受け入れた。そして、最後の1年をCBとしてプレーすることを決意した。


そこからのことは前回の部員ブログ↓でも書いているのでぜひご覧ください。
(『関東リーグ』4年小林昴生   https://note.com/tgusoccer/n/n127d9b2a9ae1)


でも、今まで長年CBをやってきた他の選手に比べて自分の能力が劣るのは当然だった。
ロングボールのレンジが狭い、相手の縦パスへの出足が遅い、足が遅い、ゴール前の守備が弱いなどなど...自分の弱点なんてすぐに露呈した。

だったら、その弱さを受け入れて自分なりのCBを体現すればいい。

幸いにも、サッカーは11人でやるスポーツだった。

ロングボールが蹴れないならNASAも欲しがるりんたろうに蹴ってもらえばいい。
相手の縦パスへの出足が遅いならボランチにコースを切らせればいい。
足が遅いならあらかじめ仲間にカバーの意識を植えつかせとけばいい。
ゴール前の守備が弱いなら周りと連携してシュートコースを限定すればいい。


そして、自分の強みである「声」でチームを鼓舞し続ける。これだけは誰にも譲らない。そう決めた。


サッカー人生で初めて弱さを受け入れた。そこにプライドなんてなかった。
高校時代、自分の弱さを受け入れられなかった奴が、人生で初めてその弱さを受け入れ、自分なりのCBを体現することを決めた。






忘れもしない2023年9月27日(水)関東リーグ第14節vs東農大

ついにスタメンとして関東リーグの舞台に立つことが出来た。何度も思い描いたピッチに。

残暑の残る秋晴れの日に、青々としたホームの芝、大応援団、抜かりない会場設営、駆けつけてくれた同級生、バイト先の方々、YouTube越しに観ている両親

緊張と興奮が入り混じる中、踏み出した右脚

いつか夢見た国立競技場のピッチよりも、私の中では数倍も数十倍も美しい景色だった。特別の場所だった。

初めて受けた大声援の中でのプレー、試合よ終わるなと思い続け、こんなにも時間がたつのが早く、こんなにも疲れを忘れる試合は初めてだった。





あの日できなかった目標を公言し続け

あの日できなかった弱さを受け入れ

ようやく掴み取ったこの憧れの舞台でプレーした瞬間をいつまでも忘れないだろう。






続けるか悩んだ大学サッカー、何も知らずに飛び込んだ東京学芸大蹴球部にこんなにも輝く場所があるのだと初めて知ったあの日。悔しかったあの日、怪我をしたあの日、泣いたあの日、喧嘩をしたあの日、CBになったあの日、目標を語ったあの日、弱さを認めたあの日、ここで過ごしたすべての日々が、一つ一つの決断が、こんなにも私の人生を彩ってくれた。




ありがとうサッカー、
ありがとう東京学芸大学蹴球部







話は変わりますが
今シーズンは、副主将兼主務として活動してきた中で、チームの結果を変えることが出来ず、降格という結果に終わってしまったことに大変責任を感じています。ただ、この立場で活動出来たからこそ見えたみんなの熱い想いがありました。

毎週火曜日に話し合った幹部会、毎回重い議題ばかりで暗い雰囲気の中スタートしたね、みんな頭悪いから全然話進まなかったけど、チームに対する熱い思いはあふれてたと思う。

TOP学年ミーティング、毎週の取り組みを向上させるためにもがき続けたね、練習の質は確実に上がったと思う。

主務学連運営担当、主務のみんなには色々助けてもらった、学連の2人にはもっと助けてもらった、運営担当の3人は毎回関東リーグに駆けつけてくれた、ある時は試合中に運営担当グルのLINEが100件以上溜まっていた、相当きついことを、本当に毎試合ありがとう。

それぞれの部署や係、それぞれの置かれた立場でみんな頑張ってくれていたと思う。このブログもそう、表に立つ部署も、裏で頑張ってくれている部署もそう。みんなの頑張りのおかげで部の活動が滞りなく回っていた。



大学サッカーって本当にかっこいいよ。

自分たちでチーム運営をして、自分たちで試合運営をして、自分たちでその価値を生み出していく。

高校サッカーか大学サッカーの二項対立。

本気度はどちらも同じなのに、片や選手権には会場を埋め尽くす観衆が、片や決勝でもせいぜい4千人しか入らない観衆が、

大学サッカーの魅力を、そして東京学芸大学蹴球部の魅力を一人でも多くの方に知ってもらえますように。




最後にこの場を借りて感謝の気持ちを述べさせていただきます。

昭和FC
宮澤監督や南澤さんはじめ、個性豊かなスタッフの皆様のおかげでサッカーの虜になりました。サッカーを始めたクラブがここで良かった。マンボウもありがとう。

AC長野パルセイロ
足立さん、そうコーチ、渡辺監督、仲吉さん、井尻さんはじめとしたスタッフの方々には、プロの基準を、身をもって教えていただきました。また、サッカー面だけでなく、人間性もご指導いただき、人間的にも大きくなれたと思います。ジュニアユースユースの同期はもちろん、シミやにいさんには高校でも沢山お世話になりました。ありがとう。

東京学芸大学蹴球部
星さん、桐田さん今シーズンは苦しい一年になりましたが、いつも親身になってご指導いただきありがとうございました。
しょうまくん、いつも選手と同じ目線に立ってご指導いただき、時に優しく、時に厳しくご指導いただきありがとうございました。
俊君、選手として一緒にプレーした1年次が懐かしいです。また、コーチとしても、自分がうまくいっていない時に「お前の強みはなんだ」と言っていただき、忘れかけた自分の強みを思い出させてくれました。ありがとうございました。
遼太郎君、いつも核心を突く痛いことばかり言われていました。でも正面から向き合っていただいたからこそ逃げ出すことなく成長することが出来ました。ありがとうございます。

松山さんトレーナーの皆さん
1年の頃から怪我が多く復帰してはリハビリしてを繰り返していた私に寄り添っていただきありがとうございます。

新海先生・学生課の方、コロナ禍で始まった部活生活も皆様の支援やご協力なしではこれまでやってくることが出来なかったと思います。部活が円滑に活動できるようにご尽力いただきありがとうございます。

しんやさん・保護者の皆さん、毎試合応援に駆けつけてくださりありがとうございました。コロナが明け通常の試合運営に戻りつつある中、私の不手際でしんやさんには何度もご迷惑をおかけしてしまいました。絶えず応援いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

偉大な先輩方へ
皆さんのサッカーへの姿勢にいつも感化され、追いつけ追い越せと必死でした。特にせい君や俊君、哲くんには同じような境遇を経験した立場として刺激を受けてきました。自分たちの進む道しるべを作ってくださりありがとうございます。

後輩たちへ
1年生、初心をいつまでも忘れずに、磨くべき牙を間違えず、これからも突き進んでほしいです。
2年生、関東リーグを経験した者が多くいると思います。辛く悔しい思いを多くしたと思います。反骨心を忘れず、もっと周りを巻き込んでチームの中心になってください。
3年生、関東リーグという舞台を残せなくてごめん。これまでの周りからの風当たりは厳しいかったと思います。でもコツコツ努力している皆はきっと花咲く。無責任だけど、必ず関東リーグに昇格してください。
頼りない先輩を、頼りない幹部を支えてくれてありがとう。

同期へ
伝えたいことは山ほどあるから割愛させてもらいます。とにかく、ここでみんなとともに活動した4年間は一生の宝物です。ありがとう。

両親へ
十数年間のサッカー生活、何一つ不自由なくプレーできたのはサポートしてくれた二人のおかげです。ありがとう。
幼いころからゲームとゲーセン禁止だったから、スマブラ一度も勝ったことないし、マリオはすぐ泡の中だし、ゲーセンでは4000円溶かしたけど、でもそんなことよりもっとずっと大きなものをもらいました。
最終節後の今までありがとうのLINEに「こちらこそ、長い間楽しませてもらいました。お陰様で、いろんなところに連れて行っていただきました。また、保護者会などで、多くの方々と、知り合わせていただき感謝です。」なんて控えめに言ってかっこよすぎだろ。電車でうるっときたのはここだけの内緒。あなたたちの背中はどこまでも偉大です。



これまでサッカーを通して出会ったすべての方に感謝申し上げます。ありがとうございました。




明日で約1カ月続いてきたこの卒業diaryもとうとうラストになります。ラストを占めるのはもちろんこの男、今シーズン主将として蹴球部を引っ張ってきた健太です。入部当初からスタメンとして、チームの顔として立ち続けた健太は4年間の大学サッカー生活を振り返り、今何を思うのか。決して順風満帆なサッカー生活だけではなかったはず。生の声をぜひ、乞うご期待ください!





東京学芸大学蹴球部
小林昂生


#紫志尊々 #jufa #大学サッカー

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