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「蒔かぬ種は生えぬ」4年 望月祐里


お世話になっております。

佐藤創太から紹介を受けました、マネージャーの望月祐里です。

創太は数学科ながら副キャプテンを務めていました。文武両道を体現した漢です。彼のサッカーへの姿勢もそうですが、学業成績の良さには頭が上がりません。4年間お疲れ様でした!ただ、蹴球部一アツいのは私ではありません。岩田俊太朗コーチです。

初めに、OBの皆様へメッセージを送らせていただきます。

私は、東京学芸大学蹴球部のマネージャーになりたいと思い、東京学芸大学に入学しました。受験期は蹴球部のモチベーションビデオを見て勉強に励んでいました。私がこの蹴球部でかけがえのない4年間を過ごすことができたのは、魅力あふれるチームを築いてきてくださったOBの方々のおかげです。本当にありがとうございました。

卒業ダイアリーも中盤に差し掛かりましたが、みんなの文章力の高さに驚いています。創太と同じく文章は苦手ですが、精一杯書きました。お時間があれば最後までお付き合いください。

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2018年4月。蹴球部に入部する予定の1年生が集まった。初めての学年会だった。当時学年を仕切っていた一翔は、こんな言葉を口にした。

「選手もマネージャーもこれからはみんな仲間だ」

私は入部しただけでみんなの仲間になれたような気がした。みんなと同じようにグラウンドに行き、試合会場に行き、マネージャーとして任された仕事をすれば、仲間なんだ、と思った。

すぐに、甘い考えだったことに気が付いた。マネージャーの仕事をしていても楽しくない。やりがいがない。選手同士はサッカーを通してどんどん絆を深めているのに、マネージャーの私は、そこに入れない。

このチームと私を繋いでいたのは、選手たちとのたわいもない会話や、たまに開催される学年会。たったそれだけ。少なくとも「仲間」なんて言える状態ではなかった。

みんなと本当の仲間になる方法を考えた。練習後、ビブじゃん(ビブスを洗う人を決めるじゃんけん)に入ったり、荷物運びも少し手伝ったり。だけどどれも、うまくいかなかった。「マネージャーにやらせるな」という選手の優しさだった。私はその優しさを壁に感じてしまった。

2年生になった頃から、選手にイライラするようになった。選手のサッカーへ向かう姿勢も、どこか楽観的な発言も、全部嫌だった。勝てるわけがない、そう思った。

私はこの気持ちを口にはできなかった。というより、自分はそんなことを言える立場になかった。負のスパイラルに陥り、最終的に戦うことを放棄した。「選手のため」「チームのため」なんて意識は捨て、淡々と仕事をこなした。

そして、都リーグへの降格が決まった。シーズン後の学年ミーティングで、「部活を辞めます」とみんなに伝えた。どうせ辞めるならと思い、「練習試合でも公式戦でも、負ければみんなの顔も見たくないぐらい悔しい。」なんてことも言ってしまった。

その翌日、学年会が開かれた。この時も、学年会が私とチームを繋いでくれた。学年会で何があったのかと言えば、特に何もなかった。ただ、選手と本音で話し合い、退部寸前で踏みとどまった。

3年生になってからはあっという間だった。

都学連とマネージャーを兼任し、毎日試合運営のことを考え続けた。私がミスしたらチームの目標が絶たれるぐらいの、重大な役職だった。また、ラストシーズンに向けて学年ミーティングも頻繫に行われていた。みんなと色々な話し合いをする中で、本当の仲間に近づいている感覚があった。3年目にしてやっとだ。

気がつけば関東リーグ復帰が決まっていた。喜びというより安心だった。

何よりも、みんなと関東リーグ1部に行きたいと強く思った。

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そして迎えたラストシーズン、密かに企んでいたことがある。


「ピッチで戦う11人のプレーを変えるマネージャーになる」


私たちの学年は気持ちよりも何よりも「結果」にこだわってきた。ピッチに立てないマネージャーが、「結果」にアプローチできるかどうかは、正直今でもわからない。ただ、少しでも良いプレーができるように選手の背中を押すことはできると思った。

そのために一番必要だったことは、選手の気持ちを知ること。

ランニングマシーンで5㎞(私の限界)走ったり、走った後に冷たいポカリとぬるいポカリを飲み比べたり、アップやハーフタイムで無駄に走って選手の体感気温を想像したり。
選手がかっこいいと思う画像を調べ漁ったり、私が作った画像を見せて選手の反応を伺ったり。
練習前後で「今日きつかった」「疲れがたまってる」「調子がいい」といった選手の本音を聞き逃さないようにしたり、次の試合に向けての正直な想いを聞き出したり。

常に選手の気持ちから離れないようにした。

そうすれば、選手がかけてほしい言葉・選手がしてほしいことを想像できると思った。そして、少しでも選手の背中を押して、プレーを変えることができると思った。

先述した通り、何よりも重要なのは「結果」だ。

「関東リーグ2部優勝」という目標を達成できず、「関東リーグ1部昇格」というチャンスも掴むことができなかった今、私の企みは失敗に終わったと言わざるを得ない。1部参入プレーオフが終わった日から、マネージャーとして未熟だったと反省している。

一方で、今は胸を張ってみんなの仲間だと言える。この2年間は、全てを同期に捧げたといっても過言ではないくらい、同期のための時間だった。逆に、私の心が折れそうなときにはいつも同期が助けてくれた。

決して馴れ合いなんかじゃない。これは自分自身の成長であり、同期の成長であり、チームの成長である。4年間かけて作り上げたこのチームを、心の奥底から誇りに思う。

引退した日、同期一人一人から言葉が贈られた。

「ゆりがいなければこのチームはなかった」
「ゆりのおかげでこのチームは強くなった」

そんな言葉があった。

正直少し嬉しかった。嬉しかったけれど、選手の苦難や努力を近くで見てきたからこそ、「私のおかげ」なんてことは口が裂けても言えない。

きっとこれはみんな同じだろう。誰かのおかげでも誰かのせいでもなく、誇れる仲間と掴んだ結果。もちろん悔しさも残るが、ここに辿り着くまでの過程に、一つも後悔はない。

蒔いた種に、結果という綺麗な花は咲くことはなかった。

それでも、不器用に、懸命に咲いている花を、私は誇りに思う。

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最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも何かが伝われば嬉しいです。

メッセージを残して終わりにします。

同期のみんな
総理大臣杯出場決定・関東リーグ第3位決定の瞬間をどちらもベンチで見届けることができて最高に幸せでした。欲を言えば、みんなと関東リーグ1部で戦ってみたかったな。色々あったけど、辞めないでよかったです。4年間本当にありがとう。

あかね
なんだかんだ、選手を支えていたのは茜だったと思います。4年間過ごす中で自然と得意な仕事も分担されていったね。茜がいたから部活を楽しめました。本当に良い相棒でした(笑)4年間本当に本当にありがとう。

みどりちゃん、りなこちゃん
しっかり者の2人に何度も助けられました。感謝しています。4年間続けた先には言葉にできないくらい素晴らしいものがある。あと1年、何があっても、何としてでも、やり切ってください。2人の活躍を誰よりも応援しています!

ももこさん、みゆきさん、まほさん
最高学年になってからわかったことが沢山あり、今更謝罪の気持ちでいっぱいです。当時はミスを重ねて沢山の迷惑をかけていましたが、見捨てずに育てて下さって本当にありがとうございました。そして、今シーズンも応援してくださってありがとうございました!


明日は私の相棒、高田茜です!
茜の周りにはいつもたくさんの選手が集まっていました。彼女の精神的な強さに助けられたのは私だけではないでしょう。カメラ越しに選手の姿を見届け続けた彼女の本心が、いま語られます。
ご期待ください。

#紫志尊々  #jufa #大学サッカー

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