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「永い言い訳」 4年 西川弘紀

A類数学専修、学連の西川弘紀と申します。

2度目で最後の東京学芸大学蹴球部部員ブログ。
2度も書かせてもらえるとも、卒業diaryの前に1度しか書く機会がないとも思っていませんでした。

まず、高校から、「親しき仲にも口論あり」で仲良くしてもらっている厚木くんからの質問に回答します。

Q1.高校時代、サテライトで一緒に出場することが多かった厚木と西川でしたが、いつもピッチ上で罵りあい喧嘩してましたね。あれはなぜだったのでしょうか。

なぜだったのでしょうか。
あいにく、自分が間違っていたと反省した記憶がありませんでした。
だからですね。
ただ、ピッチ上(サッカー中)とそのほかの時間は区別しようとしているつもりだったので、それで厚木に対してどうこうとは思っていなかったはずです。口論になってしまうことを、悲しく思っていました。

自分が正しいと思うことに、頑固になってしまう。欠点のひとつです。

Q2.そして、大学に入ってから私たちは微塵も喧嘩しなくなりましたが、それもなぜなのでしょうか。

ピッチ上で会う回数が限りなく0に近づいたからでしょう。寂しいですが、事実です。話す機会も減ってしまいましたが、note越しに内面を知ったり、たまに懐かしく議論したり、高校の頃よりも自分のなかで厚木の存在が大きくなった気がしています。

Q3.最後に、学連から見た4年間の学芸ベストゴールを教えてください。それでは。

昨年の10月30日、リーグ戦最終節中央大学戦の後半ロスタイムの哲くんのゴールです。結果的に多くの条件をクリアして1部リーグ参入戦への切符をつかむことになった最終節。見ているこちらも立場を忘れ、感情がこもってしまう試合展開の中、苦労した選手の活躍で最高の形でしめっくくったゴールでした。コーチ陣、部員、学芸学連一同のリアクションとともに、後日Stones.にまとめたことも相まって最高のゴールとして心に刻まれています。

厚木くん、ありがとうございました。
ドイツのお土産話を心待ちにしています。

ここから、自分語りの言い訳diaryです。
要旨が皆無の思考の羅列になってしまったので、随時読み飛ばしながら、一節でもどこかのだれかに届けば嬉しいです。


なんとなくで過ごしてきた、過ごしてしまった大学生生活も、終了定刻時刻が間近に迫っている。

何かを成し遂げることはできなかったとも、
いろいろなことを経験することができたとも、
楽しかったとも、つらかったとも、
良かったとも、悪かったとも思う。
どっちかひとつってことはない。

大学生になって、毎日をサッカーをプレーすることを中心にした生活をやめた。
でも、サッカーから完全に離れることができず、学連として関わらせてもらうことをなんとなく選んだ。

学連としての立場は自由で、中途半端で、しんどくて、大学生で、説明しづらいものだった。その中での自分を価値ある存在として確立できなかったことを残念で力不足に思う。

大学選びも、学部選びも、大学での過ごし方選びも、進路選択も、なんとなくで気まぐれで、甘々の意志と覚悟しか持つことができなかった。

夢を持ち力強く進む人、自分の目にそう映る全ての人をうらやましく思う。

しかし、
そんな大学生活も、
学連としての在り方も、
ここまでの人生全ての選択を、
否定したくなくて、否定できない。

話す・聞くに耐えないと、
自分の中にふさぎ込んだ言い訳を、
気ままに区切って振り返り、
そのままダラダラ書いてみる。

入学前

小学校に入る前からボールを蹴っていたらしい私の20年近いサッカー人生は、1度も自分が主人公になることがないままである。

みんな楽しいわいわいお団子サッカーに、
転校という強制的な変化で別れを告げ、
泣く子も黙る厳しくたくましいサッカーに足を踏み入れてから、
勝敗を背負って戦った経験がほとんどない。
サブ、クローザー、サブ、Bチーム、ベンチ外、と
ほとんど意味の変わらない、様々な立場で過ごした。他人をサポートすることに向いているかもしれないと思った。思うようになった。

小学校では、社会の厳しさや戦って勝つこと、人としての当たり前をたたき込まれ、
中学校では考えてサッカーすることで、サッカーの基礎と無知の知を身につけ、
高校では、チームを主体的に動かすこと、限られたリソースで最大限成果を発揮するためにチームをまとめること、そこに様々な人の様々な関わりがあることを知った。

そんなサッカーから、少し離れてみるために、でも少し関わるために、学連になった。

1年目

都会の輝きにときめきながら御茶ノ水のJFAハウス通った。
ろくにタイピングもできないくせに生意気で、
それでも自分はなんでもできると思い込んで、
あまりにも無知なまま、ひねくれたスタンスをとったまま、新たな環境に飛び込んだ。

蹴球部は24大学の中でも最も熱く応援し合うチーム。結果は出ずとも誇らしく思える面を多く見た。

2年目

コロナ(目に見えないカタカナ)で生活が一変した。
降格し、都リーグを戦う蹴球部。
関東大学サッカー連盟に残り、黙々と登録業務をこなす日々で、新型ウイルスの強大な壁に隔てられ、蹴球部の一員としての自覚は薄れた。

無観客試合しか開催できなくなった中、
一変した関東大学サッカー連盟で、
試合をライブ配信するようになった。
選手登録の中心を担うようになった。
試合のハイライトを作成するようになった。

図画工作・美術が嫌いだった自分でも、
新聞やノートににまとめることが好きだった自分とctrl+zのおかげで、それが楽しく作業できることに気づき、
動画編集や画像作成を身につけた。

3年目

見事に1年で関東リーグに返り咲いた蹴球部。
1年目とは違う自信がみなぎるチームは逞しかった。
求心力のある偉大な先輩方が抜けた広報部。
身につけた能力は、発揮できる機会が多かった。
Stones.をはじめとした広報活動。
登録を管理する立場となった知見。
勝手な関わり方を許してくれるだけでなく、
部員として温かく接してくれた蹴球部に、
その一員として貢献できるようになった気がして嬉しかった。

無知で尖った自分から
高校の表記をやけに気にできる、
全てのことに理由があると知っている、
パワポの図形のデフォルトの青を嫌う、
そんな自分に成長できた手応えがあった。

「アミノバイタル®︎」カップ 3位、総理大臣杯ベスト16、関東リーグ 2部 3位。
輝かしい結果を残すチームに刺激され、自分の可能性を確かに広く深められたような気がした。

4年目

昨季の中心選手たちが抜けたチームは苦しんだ。
なんとなくでしか選択せず、自分を主人公にできない私は、進路決定を迫られ、苦しんだ。

自分のことだけをしていなくても、
満足にご飯が食べられる現代で、
自分がやらなければいけないと思うことを見つけ、突き進むのは難しかった。

そのくせ、ものごとのマイナスばかりを捉えてしまう自分の目。
自分が作るものを最も厳しくその目が見てる。
モチベーションの波は激しくなり、理想と成果がかけ離れていった。

未だに全部なんとなく。
なんとなく決めてから言い訳ばかりを考える。
ビビリで弱い自分である。

それでもなんとなく進んできたこの道を信じて、神様に身を任せるように、
人に何かを伝えることができる人間を目指して、遠回りを楽しむことにした。

4年間、総じてプラスかマイナスか。
日本の経済のように緩やかなマイナスに、さまざま抗ってみたものの、総じてマイナスだったかも。

まとめ

蹴球部のこれからは、厳しくも、決して楽観的に考えることができないものだと感じる。
私が内部と外部の中途半端な立場から見た、ジェットコースターのような4年間は、緩やかな右肩下がりに対するブレーキかもしれないし、これからくる大きな躍進のための初期微動かもしれない。

しかし、わたしの知る限り、
東京学芸大学蹴球部は
どこよりも全員で戦う、応援される応援できるチームである。
長い歴史と飛躍していったOBたち、
献身的でラーメンマニアなファンの方々、
ほどよい距離から見守ってくれる保護者の方々に支えられているチームである。

蹴球部への私の貢献は小さくて気まぐれだった。
そんな私を受け入れ、時には応援してくれたチーム。

教育実習の指導教員にもらった言葉をきっかけに知ったことわざを胸に


「A rolling stone gathers no moss.」
直訳:転がる石に苔は生えない。
意訳
①世の中に合わせてころころ変える人は成功できない。
②何かを変えようと転がり続ける人に、錆はつかない。

https://kotowaza-dictionary.jp/k0913/
の記事を自分なりに解釈・脚色し記述

この素晴らしいチームに自分が所属していたと胸を張って言うために、転がり続け、変わり続けたい。
何者かになることを焦らず、「いま、どうしてる?」の問いに答え続けられるように。

この東京学芸大学蹴球部にも、
熱い思いを持っているであろう部員にも、
散々頼った後輩学連、菊地・村松(順不同)にも、いろんなことに挑戦して、当たって砕けて成長してほしい。
おこがましくも素直にそう思う。

最後に、
こんなにダラダラで気まぐれな私が
好きなだけ悩める環境を
支えてくれた人々に
感謝の気持ちを伝えたい。
恵まれていることを忘れてはいけない。
いつも、ありがとうございます。

そして、こんな私を許し、話を聞いてくれ、迷惑がってくれた全ての人たち、
ありがとうございました。
お世話になりました。

その中でも特にお世話になった、同期の学芸学連。沖田くんに質問を残して終わります。

互いに目も当てられないような愚痴を語り合ったハムが4年目に連盟の大黒柱として働いたことをなぜか誇らしく思っています。本当にすごかった。お疲れ様。ありがとう。あと少しだ。ともに頑張ろう。
赤裸々に答えてね。

Q1.大学1年時、あなたのプレーを見たときは、その軽快な動きにプレイヤーとしての大きな可能性を感じさせられました。学連として過ごした4年間、自分でプレーしたいと思った経験は何度ありましたか?

Q2.今世では4年間学連として、4年目には関東大学サッカー連盟 学生幹事副幹事長として活動されました。来世もそうしますか?

Q3.最後に、学連から見た4年間の学芸ベストゴールを教えてください。©︎厚木

それでは。おつかれさまでした。
読んでくださった方、ありがとうございました。
こいつめんどくさいな!以外の感想があれば、伝えていただければ幸いです。

#紫志尊々 #jufa   #大学サッカー

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