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「仲間」 4年 住田将

今シーズンも多くの方々にご支援、ご声援を頂き、最後まで活動を継続することができました。
この場をお借りして皆様に厚く御礼申し上げます。

また、コロナ禍という厳しい状況の中でも私たちの活動や大会運営にご尽力してくださった方々には、本当に感謝しております。
ありがとうございました。


卒業ダイアリー最後になります。

14時の練習に寝坊して私たちを坊主に追い込んでくれた副主将、武沢一翔からご紹介いただきました、4年住田将です。


今シーズンの主将を務めさせていただきました。

紹介にあったように部員のみんながたくさんのあだ名をつけてくれました。ナンだったり、ばかうけだったり。僕の容姿をいじるものばかりですね。親が泣きます。
でもあだ名は親しみを感じてたので好きでした。
後輩にももっといじって欲しかったですね。

一翔とは、4年間ボランチを組み、常に隣でプレーしてきました。
一翔はものすごく走ります。1人だけみんなより1キロも多く走ってる試合とかあったね。気づいたらいつも隣からいなくなってました。月までいってたのかな?

セカンドボールの回収、運動量、相手のチャンスを潰してくれるところ、そして何より観ている人を惹きつける熱いプレー本当に尊敬しています。いつも隣で助けてくれてありがとう。
次はマッチアップできるように頑張ろうね。



それでは本題に移ろうと思いますが、ものすごいプレッシャーを感じてます。
最後だし、キャプテンだしいいこと書くでしょ感がすごいんです。
みんながいいこと書きすぎだからです。ほんとに。


入学前から読んできたダイアリー。心揺さぶられるものばかりでした。
ただ、同期のダイアリーはやっぱり特別でした。
苦楽を共にしてきた同期の想いが綴られるダイアリーに何度泣かされたことか、、

この1ヶ月は卒業ダイアリーの更新が毎日楽しみでした。
それと同時に4年間が終わったんだな、大学サッカー引退したんだなと実感して寂しくもなりましたが、これが本当に最後です。


すごく長いと思いますが、
自分の想いを、素直に綴ります。
読んでいただけたら嬉しいです。






大学での4年間は自分にとって、とても充実した4年間だった。

自分を大きく変えてくれた4年間でもあった。



みんなと最高の景色が見たくて、大きな目標を成し遂げたくて必死に駆け抜けた今シーズン。

想いはあと少し、届かなかった。

それでも、最後の最後まで「チームのために」戦うことができたのは、4年間での大きな成長だった。



入学当初、大学4年間戦う原動力は「悔しさ」だった。


高校3年間、サッカー人生で初めて挫折した。
挫折し続けた3年間だった。

中学3年生までは試合に出ることは、当たり前だった。さらには、選抜に入ることも当たり前になっていた。中学2年生くらいまで落選したことがほとんどないくらい。

このままいけば、トップチームに上がれるかもしれない。と思ったこともあった。

でもそれはとても甘い考えだった。現状維持は衰退。まさにそんな感じ。上には上がいて、そんな甘い世界ではないよと教えてくれたのが、高校での3年間だった。

グランパスユースに上がってからの2年間、公式戦に1試合も絡むことが出来なかった。ベンチ入りすらしたことない。1試合も。

ユースに上がってる時点でエリートだと思われるかもしれない。3年生の先輩がうますぎるから、と思われるかもしれない。

でも、当時の自分には受け入れ難い現実だった。

2年生の時、ベンチ入りすらしたことないのは、自分の学年12人(GK除いて)のうち自分ただ1人だけだった。

練習の紅白戦にも入れない日があった。

グラウンドの端っこでボール回し。

正直、練習に行きたくないと思ったこともあった。

何より辛かったのが周りから聞こえてくる言葉。

昔はうまかったね。全盛期は中学校だったね。
高校時代、何度もそんなことを言われた。

冗談で言ってくる先輩や友達に、自分も「昔の方が上手かったわー」と冗談で返していた。

もちろん冗談だとわかっていた。
でもそれが本当に辛かった。

全盛期?これからだから。最後に勝つのは俺だから。って思ってはいても、言い返すことはできなかったし、ピッチに立つと自信なんてなくなっていた。

自分が下手になっている感覚すらあった。

それでも、負けたくないという思いがあったし、もう一度挑戦したいと思った。

そして転入した。
(詳しくは大学一年時のブログや書いて頂いた記事を是非見てください。
https://news.yahoo.co.jp/byline/hiranotakaya/20211029-00265375)

しかし、青森山田でもスタメンで出たプレミアリーグは1試合しかない。

インハイは出場なしに終わったし、選手権も少ししか出場出来なかった。何も出来なかった。

相当な覚悟をもって行ったはずだったのに

うまくいかないことばかりだった。

それでも夢を諦めたくなくて、やり続けてきた。と言いたいところだけど、
正直、私もプロになることを諦めかけた時があった。この時期だった。

夢を聞かれても、
一応プロは目指してはいるけどね〜。

と曖昧に答えるだけだった。

辛く、苦しく、悔しい3年間だった。

だから大学で戦う原動力は「悔しさ」だった。




入学して間もなく、プロになるという消えかけた夢への情熱が戻りつつあった。

その理由は学芸大学の仲間だった。

1年生の開幕戦
私はメンバー外だった。しかし同期はピッチに立っていた。4人もメンバーに入っていた。

大学に来ても悔しいをするのかと思ったのと同時に、一緒に練習する志高い同期に刺激された。

自分も4節でたまたまチャンスを掴み、ほとんどの試合に出続けることができた。

もう一度本気でプロを目指そうと思えたのは大学で試合に出れるようになってからだった。


やっと少し自信がついてきて、迎えた2年目、チームを都リーグに降格させてしまった。

とてもショックな出来事で、あんなに元気な生スポのメンバーが次の日はお葬式のような雰囲気で、全く喋らなかった。

責任をすごく感じていたことと、プロに行くことを考えたときに、厳しい状況だったからだと思う。

なんとしても1年で関東リーグ復帰しなければならなかった。勝ち続けなければならない状況だった。

どうしたら勝てるのか。
何度も反省した、この年を振り返った。

必要だったのは「チームのために」戦うことだった。

コロナウイルスが蔓延し、先が見えない状況でも先輩たちはチームのために戦っていた。

チームのために声をかけていたし、それぞれの立場で、それぞれができることをチームのために動いていた。

目標をブラすことなくチームを導いてくれた。

自分には足りてなかった。

プロになるために。より良いプレーをするために。アピールするために。

そうじゃなくて


試合で一番大事なのは勝利への執着、目の前のワンプレーへのこだわり。
チームの勝利のために戦うことだった。


チームのために走る、闘う、戻る、声を出す。
チームの全員が仲間のために戦い1年での関東リーグ復帰を決めた。



キャプテンとして迎えた今シーズン

とにかくチームのために走り抜いた。
みんなを頼りながらも全力で駆け抜けた。

プロには何としてもなりたいと思ってたし、自分のことで精一杯になる時期も正直あった。

それでも純粋にこのチームで勝ちたいという思いが強かった。

このチームで目標を達成したい。
昇格という大きなことを成し遂げたい。
戦う原動力は「チームのために」へと自然と変わっていた。

シーズン前のミーティング、試合前の円陣。ことあるごとに、チームのためにと伝えてきた。
先を見過ぎず、一歩ずつ。
目の前のプレーにこだわろうと伝えてきた。

総理大臣杯出場を決めた流通経済大学戦や最終節の中央大学戦は、それを象徴するゲームだった。

一つの報われた瞬間だった。

この4年間でサッカーの原点みたいなことを改めて気づかせてもらった。

そしてそれを体現したい一心で戦った。


高校時代、過去の自分に縋って現実を受け入れたくない自分がいた。できない自分を認められない弱さがあった。

チームの勝利を考えてないわけではなかったけど、今シーズンの思いとは少し違うものだった。

チームのために戦うこと。
目の前のプレーにこだわること。
当たり前すぎるけど、本当の意味で感じることができた。

かつての自信を取り戻す4年間ではなく、
新しい自分に生まれ変わるための4年間だった。



関東大学サッカーリーグ2部第3位
アミノバイタルカップ第3位
総理大臣杯出場

今シーズンチーム全員で
共に創り上げてきたこと、

誇りに思います。

学芸に来て本当に良かった。






最後にお世話になった方々へ感謝の言葉を伝えさせていただきます。
本当に多くの出会いがあり、そのどれもが自分にとっての財産です。

私がスタートラインに立つことができたのは間違いなく多くの出会いと支えがあったからです。
一つの節目としてここで伝えさせてください。

ここで伝えきれない方も多くいますが、
私に関わってくださった方々本当にありがとうございます。



両親
いつもありがとう。ここまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとう。
2人の偉大さに気付きました。
これまで本当に色々あったね。たくさん喧嘩もしたね。それだけ俺のことを想ってくれてたことが今ならよくわかる。でもあの時は本当に辛かった。2人もだと思うけど。諦めなくて本当に良かった。正直ここまで長かったけどやっとスタートラインに立てた。
これからを楽しみにしてて。試合招待させてください。
あとは健康第一でお願いします。

兄貴
サッカーに出会わせてくれてありがとう。
一緒に練習した日々が懐かしい。夏休みのメニューをサッカーノートに書いてうさぎの公園でよく練習したなぁ。
兄貴の苦しい経験も、色んな経験をして少し大人になった今の俺ならちょっとだけわかる。
いつも道を示し続けてくれたのは兄貴だった。ありがとう。
あとはこんなに優しい人いるのかってくらい優しいね。1番応援してくれたありがとう。
これからも高め合おう。
読んでないと思うけど

FCホッツ 
私のサッカーの原点です。サッカーがこんなにも楽しいものだと知りました。
砂いじりをしてた時期もあったらしいですが、こんなにもサッカーを好きにさせてくれてありがとうございます。

愛知FC
高いレベルのサッカーを教わり、自分のサッカーのレベルを上げてくれました。
自分勝手なタイミングで離れることになり、すみませんでした。
それでも、たくさんのコーチが期待してくれていたことがとても嬉しかったです。
ありがとうございました。

名古屋グランパス
私のサッカー人生の半分以上を過ごしてきた場所です。そしてプレーヤーとしての自分を確立させてくれたクラブです。
嬉しいことも苦しいこともありました。それでもグランパスで過ごした時間は僕の財産です。
私は今も変わらず名古屋グランパスが大好きです。
本当にありがとうございました。
亮哉、最後に対戦できて最高に楽しかった。一生忘れない。

名古屋グランパスサポーターの皆様、辞めてから一度も挨拶に行けておらず、申し訳ありません。
辞めてからもSNSで動向をチェックしてくださり、いつも温かい言葉をかけていただき、ありがとうございました。モチベーションになっていました。本当にありがとうございます。
敵として、味方として、どのような形かはわかりませんが、また皆さんのホームでプレーできるよう頑張ります。

青森山田高校
黒田監督をはじめとするスタッフの方々、本当にありがとうございました。青森山田の日々は経験したことないことばかりで新たな気づきを与えてくれました。そして本当の自分の力を教えてくれました。
温かく迎え入れてくれた同期のみんな本当にありがとう。寝食共にした寮生活、練習、試合、どれも宝物です。みんなのストイックさを目の当たりにして、自分はまだまだだと思わせてくれました。
青森山田に行って良かったです。

さくらクリニック永田さん、福井さん
みっちり、トレーニングしていただきありがとうございます。
坂ダッシュは5本だけで虹を描けることを学びました。
本当にたくさん学びました。行かないとコンディションが不安になるくらい染み付いてしまったみたいです。

田所さん、芹那さん
田所さんのトレーニングは新たな発見しかなくて、本当に楽しい時間です。ありがとうございます。もっともっと上手くなりたいです。これからもよろしくお願いします。


学芸スタッフの方々
檜山さん、星さん。
一年生の頃から信頼して使っていただき、ありがとうございました。この4年間は自分にとって本当に大きかったです。
星さんと出会って思考の幅が広がりました。自分が知ってるサッカーはほんの一部でした。もっと上手くなりたいと思います。ありがとうございました。
トレーナーの方々には怪我をしたときお世話になりました。復帰まで選手に寄り添って、メンタルのケアもしてくれました。
コーチの方々にはたくさんアドバイスをもらいました。フィードバックやスカウティングなどのミーティングは勉強になる視点ばかりでした。ありがとうございました。

先輩方へ
たくさん可愛がってくれて、たくさんご飯に連れて行ってくれてありがとうございました。
本当に学ぶべきものが多かったです。あるべき姿を示し続けてくれました。
こんな4年生になれるかなと不安になるくらい偉大でした。大好きです。


後輩たちへ
一部の舞台を残せなくて本当にごめん。
でもみんな個性がある。自分の武器を、可能性を信じてやり続けてほしい。

草住、自分が信じる道を突き進んでほしい。大変なことも多いだろうけど、率先してチームを想って欲しい。みんながついてるし、ついてきてくれるから安心して。
しゅうや、左サイドで長らくお世話になりました。考えすぎずに楽しんで。楽しんでるしゅうやのプレーは最高だよ。プレーでチームを引っ張って。
りょうや、真鍋、もっとできる。今からでも遅くない。とにかく毎日出しきって。それができたときには変われてる。
健太、学芸に来てくれてありがとう。直属の後輩ができて嬉しかったよ。何度もチームを助けてくれてありがとう。そのドリブルにいつも見惚れてた。背負いすぎずに楽しんで。
ヤスは素直になれ。喜怒哀楽出していけ。ブログに名前出さないと読まないっていうから出してあげたよ。素直になれれば無敵。素直になれれば。プロに行ってくれ。

全員名前出したいくらいだけど、本当にみんなに期待してる。
後輩たちの結果は必ず毎回チェックします。
お互い頑張ろう。

同期へ
たくさんの思い出をありがとう。
志高い仲間がいたから目標を見失わずに頑張れた。熱いみんながいたからサッカーがこんなにも楽しく、最高なものだと改めて感じることができた。
降格、昇格、参入戦と本当に色んな経験をしたね。
みんなの想いがあのテツの最後のゴールに詰まってた気がします。
飲み会で語り合う時間が好きだったし、みんな本当に熱かった。最後に歌うケツメイシの「仲間」も最高だった。
このチームでキャプテンをすることができて本当に幸せでした。
ありがとう。



幹部
今年のチームがうまくいったのは間違いなくみんなのおかげ。本当にすごいよ。お疲れ様。そしてありがとう。
自分にはできないことをいつも助けてくれた。
みんな頭良過ぎていつも感心することしかできませんでした。ごめんない笑
みんな、チームのこと大好きで愛があった。テツの言葉パクっちゃうけど愛に溢れてた。じゃなきゃあんなにミーティングできないもん。
また思い出のzoom開いて語ろうね。


魁人
いつも1番に意識するのは魁人だった。ポジションもタイプも違うけど、ライバルだった。負けたくなくて頑張れた。
最高のストライカー。ボールを持ったとき1番に探すのは魁人だった。もっとアシストしたかったな。
聞き飽きるぐらい同じ話も聞かされてきたけど、それすらも楽しい時間だった。
これからもよろしく。

あらこう
最終節。復帰してきた瞬間、ゴール決まった瞬間、試合終了の笛が鳴った瞬間。涙を堪えることができなかった。それくらい待ち侘びた瞬間だったし、嬉しかった。
どんなに苦しく、先が見えなくてもそれを表に出さずにチームのために動く姿。人間性の素晴らしさを物語ってました。尊敬しています。
超真面目なのに頑張ってたくさんボケてくれてありがとう、面白かった。
あとは、またあの美しい切り返しがみたい。
これからもよろしく。




本当に長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。


私は来年から松本山雅FCでプレーします。
松本山雅FCの勝利のために全力でプレーします。
そして多くの人から愛されるような、そんな選手を目指して日々精進していきます。
よろしくお願い致します。


これで2021年卒業ダイアリーを締めくくらせていただきます。

4年間本当にありがとうございました。

これからの東京学芸大学蹴球部もどうぞよろしくお願い致します。

2021.12.27
東京学芸大学蹴球部 主将 住田将

#紫志尊々 #jufa   #大学サッカー

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