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「想いの強さ」 4年 佐藤創太

お世話になっております。今シーズン副主将を務めた佐藤創太です。

まずは今年一年も新型コロナウイルスが猛威を振るう中、多くの方々のご支援ご尽力により、シーズンを無事に終えることができました。特に今年は副主将いう立場でしたので、本当に色々な方々のお力添えで我々蹴球部の活動は成り立っているのだとより一層感じる一年でした。心から感謝しております。ありがとうございました。


さて、ついに卒業の最後のブログを書く時が来てしまいました。4年間本当にあっという間でした。毎年偉大な先輩方の素晴らしい卒業diaryを読みながら、感動と勇気をもらい、明日の自分にまた新たな希望を持ち生活していた日々がついこの間のことのように感じます。

僕も、このブログを読んでくれている人達に何かを感じてもらえるようなブログが書ければと思いますが、生憎私の性格上、上手いこと物を言うのが苦手なのでとにかく自分のありのままを伝えられたらと思います。昨日の山岡の紹介にもあったように、相変わらず文章は苦手なので読みにくかったらごめんなさい。一生懸命書いたので最後まで読んでいただければ嬉しいです。




遡ること高三の6月。私の高校サッカーは幕を閉じた。
幕を閉じたというより、幕を自ら“閉ざして”しまった。

春先のインハイ予選を最後に三年生は部活を引退し勉強に専念するというのが私の高校の風潮であった。そんな中、高校大学と大変お世話になった一つ上の先輩の岩さん(現GKコーチ岩田俊太朗コーチ)は高三時、ただ一人サッカー部に残り私たちと一緒に10月の選手権予選まで戦った。そしてその先の大学入試ではしっかりと結果を残し、学芸への合格を掴み取っていた。

本当にすごいなと感じつつ、心の片隅で「自分が3年のときはどうしよう」とぼんやり考えながらインハイまでの日々を過ごしていた。新人戦で運よく東北ベスト4まで進み、本気で「全国一勝」という目標に向かって毎日を乗り越えてきたが、結果は県予選二回戦敗退。スコアは0-1。その1は私がマンツーマンで付いていた相手。あまりに早い幕切れ。己の無力さを痛感した。

その後、三年の数名で選手権まで続けるかどうか悩んでいた。一度はやると決めたときもあった。しかし大学受験とサッカーを両立させるだけの自信と覚悟がどうしても持てずに、サッカーを切り捨てる選択をしてしまった。

あの日あの瞬間に抱いた悔しさ、自分のせいで試合に負ける悔しさを次にぶつけるチャンスを、サッカーでさらに上に行けるチャンスを、見たことのない景色を見れるかもしれないチャンスをみすみす自分から手放してしまった。

サッカーを続けて結局全国に出れなかったら、もしあの高校と当たって本当に勝てるのか、それで大学受験も上手くいかなかったら…と、こんな弱弱しい想像だけが頭をめぐり、私はそんな弱い自分に負け、逃げ出してしまった。一緒に悩んだ仲間、後輩、そして自分を信じることができなかった。

学芸合格までの毎日、その決断をした自分の中で嫌なもやもやがずっと頭をめぐっていた。“後悔”という言葉とも何か違う。この選択が間違っていたとも何となく言い切れずに、ただ心のどこかにぽつっと穴が開いてるような感覚だった。その感覚の正体をはっきり言語化することはその当時はできていなかったが、後から考えればただその選択をした自分を否定したくなかっただけである。


後悔をする生き方をしてしまったことが本当に心残りである。



学芸合格後、当時大学一年生の岩さんから連絡をもらった。

「合格おめでとう。サッカー続けるの?俺は創太とまだサッカーがしたいよ」

当時は大学でサッカーを続けるかどうかも曖昧な状態だったが、高校サッカーでの悔しさをぶつけるにはここしかないと思ったし、岩さんとまた熱い試合をしたいという思いもあり、入部を決意した。

入部決意後まもなく関東リーグの試合の応援に行った。

圧倒された。

技術、体格、迫力何をとっても私がこれまで見たことのないレベルだった。

ここだ。

蹴球部での確かなビジョンもなかった私だったが、この時に目指すところがはっきりした。

学芸の大応援を背に関東リーグのピッチで活躍する。

これまでまともな結果も出せていない自分がサッカー人生の最後に納得して終わるため。

目に見える形で両親や恩師、高校の仲間たちに感謝を伝えるため。

4年の最後までに何とかしてこれを成し遂げようと、山形から来た大学一年の鼻たれ小僧が決意をした日だった。


しかし、そこからは当然だが上手くいかないことばかりだった。がその一方で着実に成長も感じながら日々サッカーと向き合っていた。

1年:一番下のリーグのサタデーリーグを主戦場とする日々。ビルドアップが地獄過ぎて当時三年の山本涼太に怒られ続けた。ただ武器だと思っていたヘディングや球際の強さなど、カテゴリーが低いとはいえ通用することもあると気づけた一年であった。

2年:金城(4年金城拓)と筋トレに明け暮れ多少のフィジカルは手に入れた。新人戦は全試合に出場したが(当時はBチーム主体)アイリーグ出場はわずか四試合。ただ自分の武器にはまだ自信持ち続けていたし、新人戦で関東リーグレベルの選手と競り続け、それなりにやれる自信も自分の中では芽生えていた。

3年:今年こそはと思った矢先にコロナによりチームは活動停止。約半年の停止を経て活動が再開したが、この一年も常にBチームでの活動。課題のビルドアップが原因で評価を大きく下げた時期もあり、武器だと思っていた部分にも自信を失いかけていた。それでも最後に少しだけアイリーグで使ってもらえたが、また何も結果を残すことできなかった。

そんな中、チームとしては関東リーグに一年での復帰を果たす。嬉しかったは嬉しかったし、来年関東の舞台に立つチャンスがまた戻ってきたと思った。ただ、その結果に繋がるようなことは本当に何もしてない。
SNSをチェックしてくれてる友人や家族からのおめでとうの言葉もとてもありがたかったが、心にはぐさぐさと刺さっていた。


こうして思い返すとシーズンを終えたときにはいつも悔し涙を流していた気がする。あれだけ高校で悔しくてやりきれない思いをして、二度と後悔しないと決めて学芸蹴球部入部したものの、大学三年を終えて満足のいく結果は何も出すことができていなかった。

今自分に必要なものは何か。何か変えなければ。このままでは何も結果を残せず大学四年間が終わる。…




そして迎えた最後の一年。今年一年は、副主将という立場をいただいた。

しかし正直なことを言うと、副主将としてチームに何かを残そうという気持ちよりは、ただひたすら、「一人のサッカー選手」として結果を出すという思いの方が強かった。

トップに上がりたい。

関東リーグのピッチに立ちたい。

ただそれだけを考えていた。

それがたとえ、1分1秒でも、クローザーとしてでも盛り上げ役でも時間稼ぎでもなんでもいいから関東リーグに出たいと、そしていつか出れると、ほんの一縷の希望だけ持ちながら毎日を過ごしてきた。

期待して声をかけてくれる同期や中学高校の仲間、恩師、応援してくれる家族のために、そして何より自分の為に、今年一年、生活のほとんどをサッカーに捧げ続けた。

進路を決める時期でもあったが勉強もほぼ手につかず、気付いたらDAZNを見たり試合の分析をしたりとサッカー中心の生活を送っていた。バイトもたまに入るだけで急な部の予定変更も全部代わってもらっていた。陰ではプロかよと揶揄する声も聞こえてきた。バイト先の皆さん本当にご迷惑をおかけしてすみませんでした。これから必死に働きます。

でもそれだけサッカーでどうしても結果が欲しかったし、高3の時みたいな安牌を切るような、後悔する生き方だけはしたくなかった。

その思いだけで今年一年は突き進んできた。


ここで新チーム発足当初の話をしておきたい。将(4年住田将)とした会話で本当に忘れられないものがある。

お互いの今シーズンの目標とかを話しているときか何かにもらった言葉である。

「上手くいかないときとか悩んでるときってどうしても自分の弱い部分に目が行ってしまう。でもそしたら自分の良い部分までなくなってしまう。どうしたら試合で使ってもらえるか、評価されるようになるかを考えたら、多少弱点があったとしてもその人にしかない特徴とか武器を持ってる選手の方が間違いなく必要とされる。
だからヘディングとか体の強さとかチームを活気づける姿は間違いなく創太にしかない武器だから、そこだけは絶対に見失っちゃいけない。創太と1対1した時にそこは間違いないって感じた。ボール動かすのが苦手ならすぐ俺につけていいから。そしたら何とかしてやるから。俺は創太と一緒に関東リーグに出たいよ。」

カッコよすぎた。ちょっと泣いていた。なんなら滝のように涙があふれかけてたけど頑張って隠した。

将が、なぜこんなにも温かい言葉を俺にかけてくれるのか。これまで一度もトップに上がったことのない俺になぜここまでの思いを持っていてくれたのか。それが何より嬉しかったし、その期待に必ず応えたいと思った。


そこからシーズンが始まるまでの期間は一緒に将や魁人(四年鈴木魁人)と一緒にトレーニングに励んだ。吐くまで坂ダッシュをしたり、何本も1対1をしたり、自分が目指す先にいる人達と一緒にボールを蹴り続けた日々はとても充実していた。



そしてシーズン開幕を迎えた。


これまで以上に毎日の練習にもすべてを出し切る気持ちで臨んだし、練習以外の自主トレやコンディショニングまでも多くの時間を費やした。


それでも結果は関東リーグへの出場はおろか、トップチームへの昇格もなし。アイリーグを年間通して闘い今シーズンは終了した。


アイリーグの結果もシーズン通してわずか三勝。


またしても結果が出せなかった。


不甲斐ない。


その一方でトップチームは破竹の勢いで快進撃を続けた。アミノバイタルカップ三位、十数年ぶりの総理大臣杯出場、関東二部三位、関東一部参入プレーオフ進出…


特に、私生活でも昨年から一緒にいることが多かった魁人や、同じ幹部として苦楽を共にし、今シーズンを熱く語り合った将、一翔(四年武沢一翔)、哲(四年佐藤哲)がピッチ内で身を粉にして戦い、結果をもぎ取ってくる姿は心から頼もしくて、羨ましかった。

ただその裏には虚しさしかなかった。自分からどんどん遠くなる存在。

シーズン前は同じ場所でトレーニングしていた仲間が。

今シーズンの自分からは考えらえない舞台に立ち活躍している。


もとからの実力を考えたら当たり前のことである。という言葉で片づけたら簡単だが、それだけ結果に結び付けるだけの想い、行動が違ったのだと思う。


哲に関して言えば3年前のサタデーリーグや2年前のアイリーグに一緒に出場していたこともあった。それが最終節の中大戦ではチームを勝利に導く2ゴールを挙げた。

3点目が決まり誰よりも先に哲と抱き合いに行ったときは涙が止まらなかったが、よくわからない感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。

ただそれだけの結果を呼び込むだけの哲の想いや行動は本当にただならぬものがあったのだと思う。

彼は本物である。

四年間通じて、ポジションは全く異なるが、本当にかなわないと思った一人だし、心から尊敬する。


その他にも語りたい仲間は大勢いるが長くなりすぎてしまうので割愛させてもらう。


ここまで長々と失礼しました。短くまとめようとはずっと思っていたのですが、思い出せば出すほど悔しい思いが込み上げてしまいました。ここまで読んでくれた皆さんありがとうございます。あともう少しだけお付き合いください。



ここまで綴ってきたように、僕は結果にこだわり続けて四年間生きてきた。

試合に出れば誰よりも負けたくないと思っていたし、試合に勝ったとしても、その先にあるトップチームへの昇格、そして関東リーグの舞台を常に見続けていた。

ただそれでも私の「関東リーグ出場」という“想い”は叶わなかった。

私はその理由はただ一つであると思っている。

それは“想いの強さ”が私には足りなかった。これに尽きる。

ここまでの文を読んできても、普段の私のキャラ的にもまたそれかって思ってしまう方もいるかもしれません。

しかし、間違いなくこの一言に尽きます。

想いは全ての行動の源です。

どれだけリアリティを持って、その想いを持ち続けられるか。たとえリアリティを持てない程遠い目標であっても、先に見るものを見失わず、今を生きられるか。

私はこれが弱かった。


心のどこかで、達也(4年上加世田達也)や澤田(4年澤田雄大)からポジションを取るのは難しいとか、またその控えにいる保野(2年保野友裕)も越えなければならない。と半分仕方ないよなと思ってしまっていたと今思えば感じる。


現実的に見れば無理だろって思うようなことを想い続けることは本当に苦しいことだ。だって叶うかわからないようなことに、報われないかもしれないようなことに、延々と自分のエネルギーと時間を注ぎ続けなければならない。

冷静に見たら、ひとことで言って“馬鹿”である。

一見無理だとわかっていることになぜそこまで自分の身を削って時間と労力を費やさなければならないのか。

そう感じる人も多いのではないかと思う。

今思えばその想いが足りていなかったと感じるが、それでも4年間その想いをぶらしたことは一度もなかった。

それでも私は、たとえ馬鹿だと思われようとも、それを想い続けたことは正しい道だったと思うし、後悔はしていない。

自分に嘘のない生き方ができたのだから。

それだけでも満足である。

自分に期待し、自分に希望を持ち続けた。

こんな幸せな毎日はない。

楽しすぎる毎日だった。

自分を信じて、自分に期待し続けて努力することがこんな幸せな生き方なのかと最後の一年も終えて、気づくことができた。

周りから何と言われようと、冷ややかな目で見られようとも、自分の想いに素直に生きること。

自分に落胆することも何度もあるかもしれない。

ただ高3の私のように、自分に嘘をついて平坦な人生を歩むよりは何倍もマシだと思う。

当たり前すぎるかもしれないが、そんな大事なことにここまで来て気付くことができた。

だから今後の僕もそう生きていきます。



まああと最後に現実的な話をすれば、じゃあ想いを持ったうえでどう行動に移すかがまた本当に難しいところなんですけどね。

戦略的な部分もあるし、限られた時間の中で、自分の頭で考えて賢く効率的に行動に移すとか色々大事なことはあります。

この部分は今後の僕の本当の課題だと思うので頑張ります。

また先のステージで、大学4年間で得たものを繋げてさらにでかい人間になれるように頑張りたいと思います。


最後になりますが、感謝の言葉を伝えさせてください。


父ちゃん母ちゃん
まず21年間本当に大事に育ててくれてありがとう。東京に来てからも二人からの愛情は山形にいる時と変わらずずっと感じてたよ。
米を送ってくれる時もビーフジャーキーとか蕎麦とかフルーツゼリーとか俺の好きなものを段ボールの隙間を埋め尽くすくらいパンパンに詰めてくれてたのは四年間毎回変わんなくて、嬉しくて心が温まってた。
母ちゃんは俺の関係ない試合まで全部チェックして連絡してくれるし、慎也さんのインスタまでフォローして俺の活躍してる姿をどうにか見よう見ようとしてくれてたね。最後まで関東リーグの舞台に立つ姿を見せてあげられなくて本当にごめんね。でも試合に出てるだけで喜んでくれる母ちゃんのために頑張ろう思えた日が本当に何日もあった。最後の筑波との試合も見に来てくれてありがとう。多少は成長した姿見せてあげられたかなって思うからそれはよかったな。
父ちゃんは時々訳の分からないメールをくれてたけど、誰よりも俺のポテンシャルみたいなものを信じ続けてくれてたのかなって思う。笑
進路の話の時の父ちゃんの「お金は気にしなくていいから創太のやりたいことやりな」という言葉は心から嬉しかったよ。しかもそれは自分が学生の時に色々制限されたことがあったから、自分の子供にそういう思いはさせたくないっていう話も聞いて、こんなかっこいい親父いるんかって思ったよ。俺の将来の夢は父ちゃんよりかっこいい親父になる事だよ。


高校時代の恩師清野さん
このブログを読んでくれているかはわかりませんが、清野さんなしでは僕のサッカー人生は語れないと思っていたので書かせてもらいました。
清野さんに高校時代に出会えたおかげで、大学サッカーでも自分の武器に自信を持って戦い抜くことができました。へたくそな私にこれでもかってくらいにたくさんの愛を注いでくれて、僕は感謝しかありません。ヘディングで声を出す、サッカーは負けず嫌い大会、つま先1cmの勝負、今中途半端な奴は一生中途半端、世の中平等なのは時間と空気…など本当に大事なことをたくさん教えていただきました。
高3の引退を考えている時期にいただいた言葉。「やらない後悔よりはやった後悔だぞ」
こんな大事で当たり前のこと、当時の愚かな僕は何もその重みに気付かず逃げ道を選んでしまいました。その意味に時間が経ってようやく気付きました。この過ちは、大学で関東リーグの舞台で活躍する姿を報告して償おうと心の中ではずっと考えていましたが、結局その足元にも及ばず、恥ずかしくてほとんどこちらから連絡を取ることも出来ませんでした。すみませんでした。
他にも伝えたいことは山ほどあるのですが、ここに書いても書ききれないことばかりなので、今度山形に帰ったときにまたしっかり感謝の言葉を伝えたいと思います。清野さんと一緒にお酒を飲める日を楽しみにしています。


大学でお世話になった先生方、監督、スタッフ陣の方々
特に最後の一年は本当にお世話になりました。コロナ禍の対応でご迷惑ばかりおかけして本当にすみませんでした。
特に炭谷コーチ、しょうまコーチ、遼太郎君には大変お世話になりました。こんな僕を試合に使っていただきありがとうございました。明確な役割も与えてくれて僕は思い切ってプレーができました。最後の一年半くらいはキャプテンという立場で本当に使いにくい選手だろうなと思ってましたが、信じて使っていただいて感謝しかありません。もっと成長した姿をお見せしたかったですがそれが叶わず、不甲斐ない気持ちでいっぱいす。それでも大学サッカーで御三方から本当に多くのことを学びました。かけがえのない財産です。ありがとうございました。


岩さん
僕の道標であり続けてくれました。
高3で選手権まで続ける道を岩さんが切り拓いてくれたにも関わらず、それを閉ざしてしまって本当にすみません。それでも大学でサッカーを誘ってくれたのもとても嬉しかったです。岩さんがすぐそばにいてくれたおかげで、僕は安心して自分を表現することが出来ていました。一緒に出る試合も本当にいつも楽しくて、背中で受ける岩さんの声は安心感しかなかった。もっと一緒に出たかった。心から。
これからも岩さんから色んな事を学びたいし、仲良くしていきたいです。あの事件のことは忘れてまた一緒に盃交わしましょうね。


山岡
彼なしで僕の大学生活は語れません。気づいたらいつも一緒にいて、二人できつきつになりながらシングルベッドで一緒に寝たのも今となってはいい思い出。
いつも一緒にいた理由がめちゃくちゃ面白いし高校の話とかでも話が合うっていうのも間違いではないんだけど、山岡と一緒にいる時間は勉強になる事が本当に多かったんだなっていうのは最近よく感じる。本当に俺の何倍も頭良くて就活でもいろんなこと吸収して俺とかチームに還元してくれるし、でもそういうのを自分だけのものとしようとしないで周りのために使ってくれるところが本当にすごいなって思う。俺だったら独り占めしたくなると思うから。言語化は難しいけど、そういう人に対する温かさみたいなものは本当に尊敬する。一生もんの友達だと俺は思ってるよ。これからもよろしく。
くさすぎやめろ。


慎也君とかふじ君、ハルティス、大智君、しゅうた君、太陽、らいせい、陸斗、…他にも偉大な先輩方や可愛い後輩にも感謝を伝えたいことは山ほどありますが、長くなりすぎているので割愛させてください。ごめんなさい。


愛する同期
みんなとの毎日は刺激的で本当に楽しかった。
お互いの良いところ悪いところを伝え合う時も、こんなにも俺のこと理解してくれているみんながいて本当にうれしかったし、こんな愛のある人たちに囲まれて本当に幸せだと思った。
ありきたりだけど、みんなが同期で本当に良かったよ。今までありがとうこれからもよろしく。次の学年会楽しみにしてるよ。みんな良い準備してきてね!



感謝って伝えようと思っても伝えきれなくて本当に難しいものですね。まだまだ伝えたい人、伝えたいことは山ほど残ってますが、それはこれからゆっくり伝えていきたいです。


出会ってくれた全ての人たちへ、本当にありがとうございました。




それではこのあたりで終わりにしようと思います。最後まで読んでいただきありがとうございます。本当に文を書くのが苦手で億劫でしたが、最後なので、不器用なりにも自分の想いを頑張って伝えました。伝わっていたら嬉しいです。

サッカーに出会えて、この大学に来れて、素敵な人たちに囲まれて、本当に毎日が幸せでした。この4年間の経験は他の何ものにも代えられません。この環境でもらったたくさんの愛を、今度は未来の子供たちに与えていけたらなと思います。


それでは、また逢う日まで。


それぞれの道でまた頑張りましょう。



明日は、我らが頼れるマネージャーの1人、望月祐里です!
唯一の蹴球部の数学科の同期で、色々お世話?になりました。
引退の時のマネージャーへの寄せ書きでも書きましたが、祐里がいたからこのチームは本当に強くなったと思っています。
マネージャーだからとか、試合に出ないからとか、何も関係なくすべてを吹き飛ばす蹴球部一アツい彼女の想いに乞うご期待!

#紫志尊々 #jufa   #大学サッカー

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