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「経験」4年 河田稜太

お世話になっております。
東京学芸大学蹴球部の11番 河田稜太です。

かいと紹介ありがとう!
根本的におかしいのは自分より君だと思うよ。鍵が空いてることがおかしいと思わないかい?まず鍵を閉める癖をつけようね。
君とツートップを組めてよかった。得点への嗅覚は同世代でトップクラスだと思う。またいつか組める日を楽しみにしてるね。

それではこの大学で書く最後のnoteになります。
長いので珈琲でも飲みながら、ケーキでも食べながら、僕の4年間のサッカー人生について読んでいただけると有難いです。

ヴェルディからここに来て4年が経ちました。
自分は凄くこの時間が長く感じました。
この4年で自分はかなり変わったと思います。


--最悪なスタートダッシュ--

大学サッカー1番の悪童をしてしまったのは、まさかの入学前でした。
専修大学との練習試合で相手の監督さんが主審をすることに。
ここで僕は入学前にも関わらず問題児な行動をとってしまうのですが、、。
その原因としては、
・ファールをすぐ取られる
・こっちのファールは取ってもらえない
たったこれだけ?って思うかもしれないですが、その日の僕はかなりイライラしていて
ファールの笛が吹かれた時、
「どこがファールなん」
とボソッと口にしてしまった。
その瞬間、

ピィーー!!!!
と笛が吹かれ、
「退場、グランドからでなさい」


まさかの練習試合で退場
しかも入学前に
笑えませんでした
あの日のことは今でも忘れません

そんなまさかな大学デビューでした


--悲劇再び--

第5中足骨の骨折
サッカー選手にはよくある怪我です
ユース時代にも同じ怪我をしましたが、手術はせずに保存で経過観察になりました

ある日のボール回し中のことでした
ウッと
足が踏み込めなくなる感覚でした
一度目とはまた違った感覚だったので
最初は大丈夫だろって思っていました。
しかし検査の結果、
両足の第五中足骨が折れていました
両足とも手術が必要になって
「最悪だ、運悪いな」
と入学して早々悪いことの連続でした


--逃げる勇気--

怪我して何もできない中、
同期の選手達は1年次からスタメンで活躍している
自分は何もできずにただ焦りと不安だけが日に日に強くなっていきました
やっと怪我が治って復帰した時、
もう自分の居場所は無くなっていた
結局1年目は一度も公式戦に出ることができなかった

紅白戦で勝っているのに
練習試合で活躍してるのに
なんで試合に出させてもらえないんだろう

いつもそんなことを考えていました

サッカーをすることがつまらなくなったのはこの時期です

それでも先輩に引っ張られながら
毎日夜遅くまでボールを蹴っていました

好きなサッカーだ。
つまらなくてもまた好きになる日が来るから。
そう自分に言い聞かせて自主練をしていました

一週間の予定はこんな感じです
(月)OFF
(火)練習
(水)練習+フットサル
(木)練習
(金)練習
(土)練習or試合
(日)練習or試合+フットサル

練習後は自主練をして
誰よりもサッカーに時間を使っていたと思います

しかし2年生になってもあまり状況は変わりませんでした

固定のスタメンがいない時は試合に出れるけど、
戻ってくるとまたベンチ

そんな時、ホームで青山学院大学との試合がありました。
スタメンが2人出られず自分がスタメンとして出ることになったのです。
調子が良かった
目に見える結果を出せたのは初めてだったのかもしれないと思いました

アシスト
PKシーンのスルーパス
2019年の関東リーグ初勝利

我ながら貢献したと思いました。
それでも今までのスタメンが戻ってくると自分はまたベンチ

「なんで出させてもらえないんですか」
と聞いたこともありました
「俺の言うことを聞いていればいい」

特に何も説明されず、そんなことを言われた時、

もうこのチームでサッカーするの無理だ
ここでサッカーやっていてもつまらない
サッカーが嫌いになってしまう
そう感じるようになりました

サッカーは子供の頃から好きだった
16年間続けてきたことだから嫌いにはなりたくなかった
何より嫌いになることが怖かった
だから逃げることを決意した
逃げてまた新しいスタートを踏み出そうとその時の自分は決意していた



逃げる物語はここでおしまい
結局はコロナで行くことができなくなかったから

今は日本でプロになれたからそれで良かったのかもしれない
それでも逃げる勇気を持つのは大変で苦しかった
そんな苦い2年間を私は過ごしました


--自分だけのもの--

ユース時代は全員が自分より上手い
試合に出られなくても当たり前みたいなもので
出れていたらすごいことだと思っていた

大学に入ってから
その当たり前が少し違った
正直なことを言うと、出ている選手より自分の方が上手いと思っていたし
出れてない選手たち何人かでスタメンを組んだ方が試合に勝てると思ってた

自分のサッカー人生でそう感じたのは初めてだった

1年次の4年生
林勇太くん、堀大貴くん

自分が尊敬してる先輩方です
自分の代が入って試合に出る時間が減ったにも関わらず、
練習後には自主練をして
後輩の面倒を見て
誰よりもサッカーに真剣に取り組んでいた先輩たちです

ある日、ご飯に行った時
「いま、試合に出れていないことを経験できたことは他の選手とは違うんだよ。俺は初めてこの立場に立ってどうしたらいいかわからなかった。だから、この経験ができたことは大きいんだよ。」
そう自分に言いました。

僕は今、特別な経験をしているんだ
怪我をして悔しい思いをしているこの辛さは、貴重な経験なんだ
自分は成長する機会をもらっているんだと思えるようになりました

ここまで読んで
当時、監督だった檜山さんを悪く言っているように見えるかもしれません

当時の自分が馬鹿だったと考えるようになりました
自分にとってとても特別な経験だったし
もっとプレーが上手くなって誰にでも使いたいと思ってもらえる選手になりたいと強く感じるようになりました
だから僕に対して厳しくしてくれたことに感謝してます
ありがとうございました


--背負うということ--

2年次に降格したため
3年次は都リーグで戦うことになった

昨年の順位が低いチームから対戦相手になる
正直、都リーグ相手に負けるわけにはいかない
勝ち点を落とせない
仲間たちはそう感じる人が多かったと思う

開幕戦から何試合かはスタメン組がほぼいない中で戦うことになった
自分には大きなプレッシャーがあった
試合に出ている人が先頭を切りチームを勝たせなければいけない
負けられない
いつも自分はそんなことばかり考えてプレーをしていた

時には試合前のベンチで吐き気がしたり
終わった時は安心して涙が出たり

もともとチームを背負って戦うとか考えるタイプではなかったから、プレッシャーに押し潰されて泣きながら過ごしていた

あのメンバーで勝ち点を積み重ねることができたのは奇跡だったと思うし、みんなよく頑張ったと思う

その後、自分たちのチームは勝ち進み、1年で関東リーグに戻ることになった
嬉しさより安心の方が大きかった

ずっと自分に言い聞かせていた
降格させたのは自分たちで
その責任を果たさないといけない

それに
関東リーグでプレーできなければプロにはなれない

後輩を関東リーグでプレーさせてあげたい
少しでもいい景色を見せてあげたいと思っていた
3年が終わった時には
責任を果たせて安心した
自分の中ではそんな気持ちでいっぱいだった

責任という言葉
自分は今まで気にもしてこなかったし背負ってもこなかった
あの辛い1年間を経験したことが自分を成長させていた
自分にとって大きな1年だった


--ひとりぼっち--

求め続ける

このことは、以前に部員ブログで書いたことがある
4年の自分は、
求めることをやめていなかった

後輩にこんなことを言ったことがある

チーム内の仲が良いことは悪いことではない
だけどミスに対して誰も何も指摘しない
そんな仲良し集団のように自分には見えていたから僕は彼らに何度も注意していた
監督から言われたこともあった

ある日の練習
同じミスを繰り返しているのにニコニコしている後輩がいた
自分には理解出来なかった
なんで改善しようと話し合わないのか
どうして笑っていられるのか
俺の感じることが正しいかどうかはわからない
でも明らかに緩い雰囲気だった

自分は強めに言ってしまった
「仲良しはいらないから辞めていいよ。邪魔だから。」

自分達の代は優しい人ばかりだった
優しい人ばかりで怒るような人はいなかった
だから自分はグラウンド内外で気づいたことは注意する立場に立つことを決めた

でも、いつの日か人の目が怖くなっていた
プレーに対して発言した時
「うれせぇな。死ねよ。」
そう言われて
勝つための努力を仲間に求めることで嫌われていくように感じ始めていた

練習後も何か言われているのではないのかと感じるようになって
周りからの目、仲間と会話をすることが怖くなって自分は嫌われていると思い込んでいた

この出来事が全てではないが
もともとサッカーをしている以外の自分は嫌いだったし
周りからも自分は嫌われている人間だと思っていた

それでもサッカーをしている時は妥協したくなかった
負けるのは嫌だから
上手くなりたいし
強くなりたかったから

だから他の場面では関わらないようにして
サッカーをしている時は求めるようにしていた

自分は仲間を頼らず
ひとりで戦っている気になっていた

最後の試合が終わってみんなと話す機会があった
自分は嫌われていなかった
みんな温かかった
全てが終わった後に気づいた
勝手に距離を置いて
遠くにいることを選んでいたのは自分だったのだと
申し訳ない気持ちでいっぱいだった

過ぎてしまった時間は戻ってこない
それでも
この先はひとりじゃないんだと思えるようになった
きっかけはいい形ではなかったが
気づくことができて良かったと今は思っている

サッカー以外でも自分には良いところがあるんだと思えるようにもなった

これを読んだ人の中で
自分が嫌われていると思っている人がいるなら伝えたい

周りは自分が思っている以上に温かい

そう思って過ごして欲しいと思う
それに気付けるかどうかの違いだと思う
周りの人に聞いてみてください
自分のどんなところが好きか

そしたら自分のことを少し好きになれると思います

“人に何かを求める”ということ
辛いことだと思うけど
それでもやってほしい

全てが終わったあと
間違っていなかったと心から感じた
チームが強くあり続けたいのなら
求め続けて欲しいと思う


--自信はどこから--

暗い内容しかないので
ここで明るい話をしましょう!

多分、ユース時代の人が見たらプレースタイルが全く違くて驚くと思います

ドリブルなんて特にそうでしょう
なんでドリブルができるようになったか
これは自分のやり方ですが、誰かの参考にはなると思うので書いときますね
1年生の時、自主練で4年生と1対1をやっていました
相手はあまり得意ではなかったゴツゴツタイプのディフェンダーや、自分より体格が良くて大きい先輩たちでした
毎日自主練をしていると、どんどんドリブルが楽しいと思えるようになりました
4年生とやっていたからか
自分より強い先輩たちと練習するうちに心に余裕が生まれるようになりました
それが試合中にドリブルができるようになった要因です
僕はその時の先輩たちに対して、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです

練習中のことにも繋がります
上手い人たちが片方に集まったりしていて
その中にどれだけ入れるか
その人達から何を奪えるか
その状況で何ができるか
これらを考えることが大切だと思います


--誰かの憧れ--

最後に夢の話をしましょう

一つ大きな夢を叶えました

自分は色んな人の支えがあったおかげプロになることができました
本当にありがとうございました

子供の頃からなりたいと思っていた大きくて辿り着くまで遠かった夢です
16年間の夢を遂に叶えることができて純粋に嬉しかった

それと同時に
新たな夢と目標ができました

サッカーの漫画で有名なジャイアントキリングの30巻で
ETU監督の達海猛がこんなことを言っていました

「このフットボールって文化の主役は
お前達選手なんだってこと、最高の職業だよ、選手はさ」
「俺にはお前らが眩しく見えるよ。俺だってもっと選手でいたかったよ。ゲームももっと出たかったし、ゴールももっと決めたかった」

最後には
「お前らには俺が届かなかったもんを掴める可能性だって十分過ぎる程あるんだ。プロの1部リーグの舞台なんだぜ?
キッズの憧れってだけじゃない

そこまで辿り着けなかった者…
志半ばで散ってった者…
代わりに夢を託してる者…
お前らは
そんなみんなの憧れ…
プロフットボーラーなんだぜ?」

こんなセリフがあります
これは漫画ですが自分はこのセリフが好きなんです

プロになれなかったが、サッカーから離れることができず指導者になる人やサッカーに携わる職業に就く方はたくさんいます
プレイヤーは支えてくれている人たちのお陰でサッカーをすることができています
それでもその人達は影役で主役ではありません
どんなに頑張っても、目に見える結果が出るわけでもない
それなのに頑張らないといけない

好きなことを職業にして
好きなサッカーを本気で出来る
こんなに幸せなことはないんだと思います

自分はこのことに感謝をし続ける必要がある
自分を支えてくれている方々への感謝を絶対に忘れてはいけない

なに生意気なことを言ってんだよって思うかもしれないけど
自分のプレーを見て
サッカーやってみたいな
憧れるな
また応援したいな
そう思ってもらえるようになりたいと心から思っています

まだまだ遠いです
だけどいつかはそんな選手になりたいし、なろうと思っています




自分が辛い経験や乗り越えた経験を誰かに語る時、必ずサッカーが関わってくると思います。
それくらい自分にとって夢中になれるものはサッカーだったし、同時に右往左往する悩みにもなりました。今日までの人生の大半をサッカーに費やしてきたと思うし、この大学4年間では家族、サッカー部の監督、先輩、同期、後輩、スタッフの方々にたくさん支えられながら成長してきたと思います。そんな方々へこの場を借りて少しでも僕の気持ちを伝えることができたらと思います。


両親へ
この4年間、家では色々なことがありました。反抗することも多かったり、喧嘩することもあったり、可愛くない息子でした。
それでも、どんな時も温かく見守り、僕の夢を最後まで応援してくださりありがとうございました。
22年間、温かい環境で育ててくれたことに心から感謝しています。
これからはその恩を、自分の大好きなサッカーで返せるように頑張ります。


兄へ
兄の姿を見てサッカーを始めて、その背中をずっと追いかけてきました。サッカーを始めるきっかけをくれてありがとう。これからも僕のプレーを見て、また意見を聞かせてくれたら嬉しいです。自分では気づけないことばかりだから、兄の分まで頑張りたいと思ってます。
馬鹿なことばっかりするなよ


妹へ
いつも厳しく言ってきてごめんね。自分や兄みたいな人にはなってほしくないと思って言ってきました。自ら11番を持って帰ってきた時、泣きそうになった。また一緒に写真を撮れるように頑張るね。女子サッカーは狭き門で、いつまで続けられるかわからないのが現実だと思う。だから後悔しないように毎日の練習を頑張って欲しいと思う。


同期へ
自分が思っている以上に同期の仲間は温かい人たちばかりでした。それに気付くまで時間がかかり、ほとんどみんなに頼らずに1人でいることを選択して迷惑をかけたことも多かったと思う。
それでも、こんな自分を受け入れて4年間一緒にグラウンドに立ち続け、チームとして闘ってくれてありがとう。


トレーナー・MGの方へ
支えてくださりありがとうございました。
僕は試合に出ている仲間には迷惑をかけたくないという思いが強く、チームメイトには相談できなかったので、この4年間で1番多く頼らせてもらったのはトレーナーやMGの方々でした。
どんな時も親身になって話を聞き、最後には前向きな気持ちになるよう背中を押してくださったこと、本当にありがとうございました。僕にとって4年間は皆さんの存在とても大きかったです。感謝してます。

勝てないのは自分のせいだとみんな言います。
そんな風に思わなくて大丈夫。悪いのは選手なんです。どこまで突き詰めてもやっぱり最後に結果を出すのは選手なんです。一緒に闘っていないという意味ではないです。日々の練習から水を入れてくれたり、体調を見てくれたり、選手はその支えがあるから日々の練習ができ、いつも万全な状態で試合に挑めます。
これを聞いても自分が悪いと感じてしまう人がいると思います。それなら自分の行動を変えてみてください。練習の中で何かできなかったことがあって、後悔しているから悔しいんだと思います。それでも全部出し切っても勝てないことはあります。それが実力で、サッカーです。良い1年を過ごすチームがあるなら、悪い1年を過ごすチームもある。どれだけ頑張っても結果が出ないことの方が多いと思います。だけど、これだけは覚えていて欲しいです。君達が入ったから負けるなんてことはない。だから必死になって自分ができることを探して、選手を支えてあげてください。選手はなかなか言ってくれないと思うけど、すごく感謝してます。


後輩へ
伝え方を考えずに厳しい言葉をかける時が多かったと思う。
緩い空気に流されてチーム全体の闘争心を下げることはしたくなかったから、感情的に発言することが頻繁にあって申し訳なかった。

一緒にチームとしてここまでやってきて、みんなはグラウンド内外でもっと上にいけると思う。そう感じるからこそ、時には嫌われる勇気を持って、求めあって強くなってほしい。
これからは緩い雰囲気を指摘する先輩達はいないけど仲良いだけの集団にならないでほしい。

最後に、最後の試合で負けて後輩に何も残せなかったこと、本当に申し訳ない。
自分のこれまでの人生、サッカーで結果を出すことが全てだと思っていた。それは、自分が人に胸を張って努力できることがサッカーであり、逆にそれしか人に感謝や感動を伝えられる術がなかったからだ。だからこそ、最後の試合で負けたこと、後輩たちに強い刺激をあげられるような何かを残せなかったこと、それが本当に悔しい。
自分と同じように、サッカーで結果を出すことが全てで、当たり前だと思っている人がいると思う。でも大学の部活は違う。プレーで成果を挙げるだけじゃなく、切磋琢磨し合える場、選手自ら行う広報などの活動が多くある。後で振り返った時に、それらの時間や経験を通じてかけがえのないものと思える大学ライフにして欲しいし、後悔しないために積極的に行動していってほしいと思う。

これからはサポーターとして応援しにいくから、何か力になれることがあれば言ってください。


偉大な先輩方や監督、スタッフの方々へ
今日まで育ててくださりありがとうございました。
自分の人生で先輩や監督、スタッフの方々の存在はとても大きく、自分にとって憧れる人ばかりでした。
弱くてバカな自分をここまで連れてきてくださり、本当にありがとうございました。


あと少しで終わりです。
少しだけお付き合いください。

今日まで多くの方々の助けがあったおかけで、自分は今後Jの舞台でサッカーをすることができます。
多くの人に観てもらえるようになります。
今までの人生で関わってくれた方、これから先の人生で関わる方たちが自分のプレーを観て楽しいと思ってもらえるように、これからも邁進し続けます。
応援よろしくお願いします。

自分はサッカーが大好きだけど、サッカーだけじゃないって分かっています。
それでもサッカーの繋がりはいつまでも大切にしています。
また一緒にグラウンドに立ち、サッカーをすることができる日を楽しみにしています。

明日は、佐藤哲です!
大学で相談に乗ってもらうならこの男だろときっとみんな思っていることでしょう。
しっかりものですが、たまに遅刻したりする一面もある彼はどんなことを語ってくれるのでしょう。
楽しみにしていてください!

読んでくれてありがとうございました!

皆さまが楽しいクリスマスを過ごせますように!
メリークリスマス!!

#紫志尊々  #jufa #大学サッカー

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