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「ラストシーズン」 2年 後藤健太

阿部選手の指名を受け、2年生ラストのブログを担当させていただきます。
お時間ある方は、是非最後まで読んでいってください。



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「4年目の前期リーグを終えるまでに、Jクラブからオファーを貰う。もし貰えなければ、プロを目指す夢はきっぱり諦める」


関東1部リーグへの昇格を果たせなかったいま、自分の中で新たに決めた「覚悟」である。

あくまでこれは、卒業後に即戦力としてプロの世界で戦うという前提での話である。ブログをお読みいただいている方には、このことをご承知置きいただきたい。


私が思うに、ほとんどのJクラブは来シーズンの即戦力と見なした選手に対して、遅くとも4年次の8月までには正式なオファーを出すと考える。つまり、関東大学サッカーリーグの前期日程を消化し終えた頃には、自分が来シーズンどのJクラブでプレーするのかがほぼ決まっているという状況だ。

そのような考えでいくと、いまの私には何が言えるか。

それは、3年目のシーズンが大学サッカーにおける最も重要なシーズンであるということだ。つまり、即戦力としてプロの世界に飛び込もうとしている私にとっては、3年目が実質的なラストシーズンとなる。

そのような考えに至った経緯については、中学時代のある経験が大きく関係している。

小学6年生の時、私はFC東京の下部組織にあたる「FC東京U-15深川」の入団テストに合格した。
*その年の入団テストは、400名以上が受験して、8名が合格。
凄まじい倍率を勝ち抜いた自信を胸に、伝統の青赤のユニフォームに袖を通したわけであったが、入団した私を待ち受けていたのは、厳しい現実だった。入団テストに合格した8名を除く他10名の選手は、皆スカウトによって入団を勝ち取った選手たちだった。その選手たちは入団テストの数ヶ月前から入団が決まっており、当時の小学校年代では、頭一つ抜けているレベルの選手たちばかりであった。入団早々、彼らの圧倒的なサッカースキルを前に私は自信を失い、1年目はほとんどスタメンとして試合に出場することができなかった。

このような挫折を伴う経験から、新しい環境でチャレンジをする際には、スタートラインが最も重要であるということを感じた。もちろん、その後の努力や活躍次第によって、立場や序列は逆転していくものだが、プロの世界は育成年代と異なり、全員に平等にチャンスが与えられる訳ではない。
また、大卒でプロの世界に飛び込む選手は、基本的には3年間ないし2年間、または1年間の契約だ。
その短い時間の中で、チャンスを与えてもらえないとなれば、待っているのは「契約満了」の通告である。

そうなると一番大事になるのはなにか。
それは、「プロ1年目からどれだけ多くのチャンスを与えてもらえるか」である。

以上の点から、私は、即戦力としてプロの世界に飛び込むことがなにより重要であると感じた。

ブログの最初にも書いたように、即戦力として見なされていないと私自身が感じた時は、プロへの夢をきっぱり諦める時だ。


決して簡単なことではない。
でも、私は自分のプレーに自信を持っている。
プロで通用すると思える武器も持っている。
と同時に、大学サッカーでも未だ通用していないウィークポイントも持ち併せている。

私に残された時間は、あと1シーズン。
まずはシーズンが開幕するまでの残り4ヶ月弱、必死に自分のウィークポイントと向き合い、改善に努める。
ただ、忘れてはならないのは、「サッカーは11人で行うチームスポーツ」だということ。

自分自身にベクトルを向けることは重要だが、自分が活躍するためには、チームの結束力がなにより重要だ。
ひとりではこの目標を実現することは絶対にできない。
チームメイト、友人、そして家族の助けや協力を得ながら、そういった人たちとともに、人生における最も熱い2022年をスタートさせていきたい。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後とも、東京学芸大学蹴球部に変わらぬご声援を送っていただけると幸いです。


そして、いよいよ明後日からは4年生の卒業ダイアリーが始まります!
学芸の歴史を塗り替えた4年生の熱いブログを是非楽しみにお待ちください!

#紫志尊々  #jufa #大学サッカー

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