【いよいよ地獄の3ヶ月】
かなり前回から時間が経ってしまいましたね。
月日が経つのは早いものですね、、、、
#ごまかす田口w
さて、前回はトロントに着いて、
日本で申し込んでいた
ホームステイ1ヶ月、語学学校1ヶ月
が終わる所までお話しました。
その続きを書かせて頂きますね!
前回の続きなので是非まだ読んでない方は
そちらを先に読んで頂ければ幸いです。
【家探しと仕事と探し】
語学学校とホームステイが1ヶ月しか申し込み
してないので、1ヶ月目の後半になると
次の家探しと仕事探しを始めた。
一緒に語学学校に入った人は
ほとんど3ヶ月間語学学校に通っていた。
みんなに聞くと、
3ヶ月通うのがスタンダードだったみたい。
#知っていたら3カ月申し込んでいただろう
なので、みんなと仲良くなりだした頃には
田口は1人で家探しをせっせとしていた。
家がないと死んでしまう。
トロントでワーキングホリデーに来た人は
シェアハウスが基本だった
パソコンで留学生向けのシェアハウスの
情報が載っている掲示板から家を見つけて
そこのオーナーにドキドキしながら電話をかけて
内見のアポイントメントを取った。
向こうも慣れているのかわかりやすい言葉で
説明してくれたので理解できた。
当日、内見の待ち合わせ場所に行く時、
3人その場にいた。
一緒に内見に行くメンバーだ。
その中に、まさかの日本人の女の子がいて
凄く安心した。そして、その子はかなり英語が
話せる状態だった。
#女神降臨
#本当についている
なので、
オーナーが家の事を説明してくれるのだが
わからない所は、
その女の子に聞いて通訳してもらった。
#甘える田口w
お陰様で、
家はそこで決めて住む場所は確保できた。
次は、仕事だ。
全く英語を話せない状態で仕事探しは
かなり無謀だ!
っと、先生や友達に言われていた。
3ヶ月学校に通っても
外国人が仕事を見つける事は難しい。
とも言われた。
しかし、本当に田口はラッキーマンだ。
内見を行った後に
その日本人の女神とカフェに行った。
久しぶりに日本語で長時間話した。
そこで、
「次は、これから仕事探さないといけないんだ。」
っと言うと
女神が
「それだったら私、今レストランで働いてるから紹介してあげるよ!」
って言ってくれた。
#やっぱり女神なのか女神だったのか
その言葉に甘え、
3日後に面接に行く事になった。
もちろん、英語で履歴書を書いて
いざ面接へ。
到着すると、
そこにはThe 外国人シェフ!!みたいな
大きな大きなクマみたいなシェフが待ち構えていた。
簡単な挨拶をして
席について履歴書を出した。
もちろん、
ほとんど何を言われてるのかわからない。
良く、この英語レベルで面接に来たもんだ。
シェフも呆れた顔だ。
しかし、
履歴書を見ていたシェフの目が変わった。
「お前、東京の銀座のミシュランのレストランで働いてたのか!!!すげーな!!」っと。
なんか、興奮してる事はわかった。
結果、採用された。
もちろん、採用のされたのは
ただミシュランのレストランで働いていたから。
っと言う理由1つだけ。
この時に、初めて「ミシュラン」がこんなにも
価値のある物なんだと理解した。
#どこまでもラッキーマンだった
そして、次の日から海外での
初めてのアルバイトがスタートするのであった。
【地獄の2ヶ月スタート】
引越しも終わり、
これからはホームステイのママがいる訳でもなく、
学校の様に近くに助けてくれる人もいない。
居るのは、新しいシェアハウスにいた
話すボリュームが大きい台湾人の女の子だけw
#ただの悪口w
#お陰で英語上達したと思う
#知らんけど
レストランの初出勤日、
ドキドキしながら職場に向かうと
ホールマネージャーからコックコートを渡され
キッチンに案内された。
日本では、ホールしかした事なかったが
調理師学校にも行っており、料理も好きだったので
なんの抵抗もなくキッチンに入った。
#むしろこの英語レベルじゃホールでは役ただず
もちろん、キッチンには日本人はいない。
#女神はホールにいる
簡単な挨拶をキッチンスタッフにすると、
シェフがジェスチャーで仕事を振ってくれる。
野菜を切ったり、パスタを分けたり、
本当に簡単な仕事だ。
すると、奥の方から声がする。
僕に話しかけてるみたいだ。
しかし、喋るスピードが早過ぎて
本当に何を言ってるのか少しも理解できない。
これがリアルなスピードだ。
今まで語学学校でみんな優しいゆっくりな
会話しか聞いてこなかった。
ホールステイ先でもだ。
わかるようにゆっくり話してくれていた。
しかし、ここは違う。
リアルな会話スピードの洗礼を受け、
全く理解出来ないので、無視するしかない。
仕事を続けてると
さらに強い口調で何か怒っている。
しかし、何を怒られてるかも
理解出来ない。
そうすると、
向こうはさらにブチ切れだ。
もう心の中では号泣。
「なんか怒られてるーーーけど何言ってるか全くわからねーーーー」って感じだ。
すると、向こうの方では、
「なんだアイツ!こんなヤツと仕事できるか!」
みたいな事を言っている。
内容は、わからないけど悪口を言われてる事は
言葉がわからなくても伝わってくるもだ。
なんて非情な事だ。
その日は家に帰って号泣した。
トロントに来て、初めて泣いた。
それから地獄の日々が続いた。
アルバイトに行っては心が折れて帰って泣く。
泣いてても仕方ないから勉強する。の繰り返し。
家では耳が慣れるように
ひたすらラジオを流していた。
【やらないと死ぬ】
2週間経って、給料日が来た。
マネージャーから
小切手とチップ分の現金を渡された。
現金はわかる。
小切手、、、、、、、
小切手は知らないぞw
これはどうすればいいのだ。
映画でしか見た事ないぞ。
きっと、渡された時に田口の頭の上に
クエッションマークがみえたのだろう。
マネージャーがこれを銀行に持って行って、
口座に入れてもらって、
あとで現金を引き出すんだよ。っと。
なるほど。
口座?は持ってない。
っと言うことは銀行に作りに行かないといけない。
けど、銀行口座を作る英語がわからない。
なので、銀行に行く前に口座を作るために
必要であろう英語の会話を勉強してから
銀行に行った。
そのお陰で無事に作れた。
そんな事ばかりだ。
病院もそう!
歯が痛いから歯医者に行く。
しかし、どう伝えれば良いかわからないから
歯が痛いのを我慢しながらまず歯医者に行く為の
英語を勉強してから行くのだw
髪を切りに行く時もそう。
この時に、なるほどな!っと。
語学を学びたければ直接海外にいけ!
っと言う事がわかった。
こっちに来たら、必死になって勉強するから
覚えるのが早いのだ。
#そらそうだ
#勉強しなくちゃ死ぬもん
銀行口座作れなくちゃお金下ろせないし
病院行かなくちゃ死ぬし
それは必死になって勉強するよな!って話。
【慣れは凄い】
そんな辛いつらい日々を過ごし
トロントに来て3ヶ月、
働き出してからは2ヶ月くらい経ったある日
いつもの様に働いていた。
ある程度やる事がわかってきたから
怒られる事も少なくなっていた。
向こうから指示の声がする。
今までは、指示を出しいる人の方を
毎回見てジェスチャーや行動から
何を言っているのか予想していた。
しかし、今回は野菜を切りながら
指示を耳で聞き、
その人の方を見ずに普通に返事を返していたのだ。
#田口はレベルアップした
働きだして、2ヶ月何が起こったかと言うと
「耳が慣れてきたのだ」
#ラジオのお陰様
耳が慣れてきて、向こうが言ってることが
理解出来るようになった。
なので、指示されても普通にできるから
全く怒られる事がなくなった。
もちろん、
すべて理解出来るようになった訳ではない。
しかし、知ってる単語は聞き取れるので
全てわからずとも理解出来るようになった。
ここから、シェフやキッチンスタッフたちと
爆発的に仲良くなった。
日本食でまかないを作ったり、
休みにシェフとご飯を行ったり、
キッチンスタッフとパーティに行ったり、
ワインは日本で勉強してたので
みんなにワインを買ってきて勉強会をしたり。
なんと、半年たった時には
メインのポジションまでさせてもらっていた!
#異常な出世w
その後、シェフからホールもやっていい。
と言われ、時々サービスもさせてもらった。
やはり、崩れた英語を使うお客様
スラングを使うお客様がいるので
理解出来ない時も多々あったが、
その時はマネージャーがフォローしてくれた。
もうここからは、
本当に毎日楽しくて楽しくて仕方がなかった。
#最初の2カ月は毎日毎日泣いていた
#成長するものだな
【永住権のオファー】
そして、
ワーキングホリデー期限1年間残り1ヶ月に
なったある日。
シェフから話がある。っと。
その話とは、
うちの店が永住権の申請を国に出すから
ここでこれからも働いてくれないか?
とのオファーだった。
今、思うと凄い事だと思うが、
その時はなんの迷いもなくお断りした。
なぜなら、当時の田口は、
SNSで日本の同期たちが仕事覚えて行く姿を
見ていて、焦りを感じていた。
そのオファーもあった時も
早く帰って出世しないといけない!!
って思っていたからお断りした。
永住権を受け入れ、
働いてたらどんな人生になっていたのだろう?
しかし、後悔は今でもしていない。
【帰国】
そして、
田口は日本に帰るのであった。
行きしなの飛行機。
カッコつけて英語で映画を観ていた。
ほとんど理解出来なかった。
帰りの飛行機。
カッコつけて英語で映画を観ていた。
だいたい理解出来るようになっていた。
お・わ・り
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