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noteでやりたいこと

タイトル通り実行するにあたって、今年で20代後半を迎える私が改めて意識したいことを記録。
反面教師で構いません。生まれや育ち・環境が違えど、自分の人生を歩むのは自分です。同じ時間を生きる者同士、共に人生の舵を切ってゆきましょう。もし誰かにとって何かのヒントになれば幸いです。

1 最初は 「やりたいことがある"かも"」でもよい


ステップアップの階段は高すぎず低すぎず。
どうしたらその高さが自分で決められるようになるかは2をヒントに。


1-1 関心のあるテーマをたまに更新する

 私の場合。ワードを挙げるとしたら、「生活」「暮らし」「命・健康」「自然」「学習」「コミュニケーション」「社会」「文化」「環境」「食」など。これらはもうすぐ20代前半を終える私にとって、関心のある大きなテーマとなった。
 自分が何に興味があるのかを考えることは自分の人生の舵を切るための
材料の一つになる。


1-2 曖昧な「やること」と、ボヤッとした「やりたいこと」を具体化する

 私にはやりたいことがある。もちろん、やらないといけないこともある。
 やりたいこととやることを踏まえた上で「何を大切にして生きていきたいか。そのために何を軸にして生きていくか。」をまとめるのは簡単ではなかった。
 中学校に入って初めて「進路」という言葉を知って以来、私は想像もつかない自分の未来を少しでも見据えようと、曖昧なボヤッとした将来のイメージを日々膨らませながら生活している。


1-3 メモ癖が役立った

 私のメモ癖が顕著に現れたのは16歳になってからだった。
 きっかけは「進路」。高校3年生で受験勉強を控えた傍らでも悩み続け、当時の難解な壁の一つだった。贅沢で幸せな悩みだがそれなりに必死だった。

1-4 思考の視覚化をして整理する

 自分は何を職にしてどう生きたいのか。
 まだ社会を知らず、学校という世界しか経験がなかったけれど、頭のなかを整理するために箇条書きし、思考を見える化(視覚化)した。A4用紙いっぱいにマッピングも試した。書いては整頓して、違うと思ったら訂正線を引き、また書いて、を繰り返す。
 抽象的なイメージも具体的な行動や数字も、なりたい自分、なりたくない自分、好きなモノやコト、苦手なモノやコト、興味関心のあること、疑問に思うこと、
やってみたいこと、内容も内容の大小も問わず思いつく限りを考えたり書き出したりしてみる。言葉や文章として書きだすのが難しいものはすぐに言葉として出そうとせずに、焦らず解る日が来るまで待ったり、人に相談して話を聞いてもらったり、人から聞く言葉をヒントにしたり、本や人から気になる言葉を引用してメモしておくこともあった。


1-5 経験値も必要

 考えるだけでなく行動という経験も必要だと思ったので、出来る限りで気になることは動いて体験してみた。恥ずかしい話、若気の至りか計画性の低い無茶をして切羽詰まったこともあった(主にお小遣いの金欠という経験)。

1-6 10代のインプットとアウトプットは原点。

 恥じることなく、記録・保管 or 忘れずに。
 初心にかえることを心がける。その初心への理解を深める。そしてブラッシュアップ。方向性を変えても良い。活かせる工夫を考えるとなおよし。
 初々しい(?)インプットとアウトプットを地道に続けて20代に突入。




2 増やすものは判断材料かもしれない


 階段の高さを決めるのは「判断材料」。


2-1 事実と評価は分けて考える

自分の過去について振り返ったとき、「私は今まで何も考えずに生きてきた。」と言ったら大袈裟な気がする。いや、事実を誇張している気がする。と言うのが正しいかもしれない。けれど、もしかしたら本当に「私は今まで何も考えずに生きてきた。」のではないかと思うほど反省点が高い過去だったので、そう思い違いをしかけていたのだと思う。
 実際は何も考えていなかったわけではなかった。ただ考えが足りなかっただけだった。当時の頭で考えたなりの、なるべくしてなったのが現在の結果だった。
 事実と評価を混在してはいけない。事実と評価を=(イコール)で結んだら反省点がぼやけて、また同じ失敗をしてしまうかもしれないから。
 ここで言う反省点とは「考えていなかったので、もっと考える」ではなく「考えが足りなかったので、情報をさらに集め、いろんな考え方を増やす」なのだと思う。
 今振り返ると、集めた情報は確かに多いとは言えなかったかもしれない。判断材料にするための手持ちの情報が足りていなかった。このことに気づくことが出来て初めて今までの自分のインプットとアウトプットのバランスとそのレベルを反省した。

2-2 意見と考えは別物

 「考えは増やすもの。変えるのは意見。」
法学系の大学で哲学の研究をしている教授が言っていた言葉。これも頭の片隅に留めている。
「意見と考えを一緒にしている人が多い。これでは討論の意義がまるでない。」
というようなことも言っていた。言葉の意味を理解していなければ本来の意義が失われてしまうのだという教訓になった。


2-3 厳しさと楽しさの両方を知る

「社会の厳しさは分かったから、次は社会の楽しさを教えてくれ。」
というような呟きをSNSで見かけたことがある。
 呟いた本人の真の心境は分からないけれど、この方は社会人になり社会の厳しさに疲れ果てた新社会人かもしれないし、いろんな立場で苦労や葛藤しているベテラン社会人かもしれない。もしかしたらこれから社会人になる学生たちかも分からない。
 究極的な救いを求めるような突き刺さる問いだなと思った。
 生活する以上、私も、社会の厳しさと楽しさ、両方の理解を持ち合わせながら社会と自分の人生を生きていきたい。片方だけでは理想的に苦しくなるか現実的に苦しくなるか、どちらにしろ極端に苦しくなるだけだから。

2-4 呟きを忘れない

 「他に道がなくこれしか出来なかったから」という理由で調理の世界に飛び込んだ同い年の知り合いがいる。
 ある日その人が私に
「何のために調理をしているのか分からない。」
とぼそっと呟いたことがあった。
 呟きは意外と本音だったりする。
 あの時はただ聞いて受け止めることしかできなかったけれど、彼にとってのこの根本的な目的が一日でも早く見つかることを願った。
 同じように社会で葛藤や模索する人々は私の知らないところにもたくさんいるのだと思う。それを知っているのと知らないのとでは、社会に対する目も変わってくる。これを社会の向上へ繋げるにはどうすればいいのだろうか、とも考えてしまう。


2-5 曖昧な距離感を明確にする

 社会や政治は私たちの生活と切り離せない。
 一方でそれらはどこか非日常的な、自分の世界とは程遠いものにも感じている。知らぬうちに世界のどこかで戦争が起こり、知らぬうちに環境が破壊されている。自分には何もできないという責任感から、この全体的な社会との曖昧な距離感に不安を感じてしまう人もいる。
 この曖昧な距離感を何とか出来ないだろうか、とも考える。

2-6 自分の置かれている状況を理解する

 「進路」とは進む路と書く。自分がどんな道に立っているのか、知らなければどっちが前で後ろなのかも分からない。
 自分には何が足りていて何が足りないのか、何が出来て何が出来ないのか、情報を集めなければいけない。そのために必要なのがインプットとアウトプットの両方だった。これを繰り返すことで結果的に判断材料の質を上げてくれる。


2-7 判断材料の質を上げる練習をする

 インプットとアウトプットを繰り返すと、出来ることと出来ないことがわかり、
やることとやりたいことがだんだんと明確になることがわかった。自然と優先順位が掴めてくる。




3 素直になる


 焦らない。


3-1 等身大の自分を知る

 小さな目的を地道にこなし、不思議と自分の人生や社会への不安も以前より軽くなり、地に足つけて歩く等身大の自分がいる。
 ふと気づいたら、山頂からの景色が広大になるのと同じように以前より広い視野で自分の世界を鷹揚と生きている。ただの好き勝手な生き方とも違う、本当の自由を得られている感覚。


3-2 傾ける耳を持つ

「人は自分の経験からしかものを語れないからさ。」と教わった。それを承知で、聞く耳を持つこと。相手を尊重する心を忘れない。



3-3 怒ると叱ると注意するの分別を意識する

 「怒る」と「叱る」と「注意する」は違う。
 使うときは、自分はどれを使いたいのか意識すること。
 逆の場合、相手はどれを使いたくて何を伝えたかったのかを考えること。 

3-4 広い心を持つ

 しなやかに凛と生きる。海のように広く、深く考える意識を持つ。

3-5 余裕を保つ


 余裕は無駄ではない。想像するための余白をつくる。

3-6  仕事の基本(初歩)を忘れない

基礎大事。
仕事の量が増えたりレベルが上がったりしたあとや忙しいときほど、疎かにしない。



1〜3の練習の場をここnoteから始める


アウトプットの実践の場としてコンテンツを発信。

自分のことが出来なければ、人のことは守れない。
逆もまた然り。
人のことを大事にできなければ、自分のことは大事に出来ない。

を忘れずに。自戒をこめて。


投稿日:2023年3月13日(月)
note 更新日:(より正確に伝えられるよう都度、校正に努めます。当時の記録として残したい為、変更は最低限に留めますが投稿後の修正にご理解ください。)



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