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第2回かぐやSFコンテストの最終候補作品の感想

第2回かぐやSFコンテストの最終候補作品が公開されている。

読者の投票によって決まる、読者賞というのがあり、投票するために読んだ。というのは嘘で、最終候補作品たらしめる要素を探してみた。なぜ私の作品は落選し、これらの作品は残るのか、を知ろうという試みだ。ネタバレ全開で書いていく。

ヒュー/マニアック

意外な組合せ / 設定ならではの展開

透明な身体をもつ登場人物や、色覚のない人物が、カラーコーディネートに関わるという意外性。その設定で起こるべくして起こる苦悩や困難が、深みを作っている。

合う色を探すのではなく、何を求めているかを問う、というのは、ファッション系のコンサルティングの普遍的な課題設定だと思う。設定が明らかになるに従って、驚きが大きくなっていくので、飽きない。むしろ加速する。一人称が情報の制限として役立っている。恒星や光源、大気を聞くあたりにSF感がある。

境界のない、自在な

別集団の理解したがさ / 設定ならではの展開

主人公は周りに振り回され、最後に自分では解決できないような振り回され方をする。それは大きな意外性でもあり、世代間の分からなさでもあり、一方で、普遍的で必然的でもある。

技術で肌の色を変えられたら、という設定が、肌の色での差別をなくす代わりに、別の差別や断絶のある世界を作り出している。主人公は、旧世代と新世代の間の価値観で、翻弄されている。最初に大きなイベントがあり、細かいイベントを経て、最後にものすごく大きなイベントが起こる。皮膚は血を流さない、という前半の布石が最後に効いている。視覚的には鮮やかだけれど、陰鬱とした雰囲気が漂っているのは、すごいな、どうやったらできるんだ。

黄金蝉の恐怖

小さな世界と大きな世界との関連 / 現実との関連

最後に明かされる世界設定が、大ボラ的な種明かしになっていて、登場人物たちのありきたりな物語が、一気に重要探索の始まりという位置づけになる。

黄金の蝉が本当に科学的理由で存在したら、という設定が、ありがちなドタバタ劇を鮮やかにしている。デビーの一貫したしつこさが最後までいい方向に動いている。回想から始まり、現代に戻ってくるのが、越境と凱旋の物語っぽくなっている。アメリカ文学っぽいひとり語りが、独特の雰囲気を醸し出している。

昔、道路は黒かった

意外な組合せ

善意と悪行の共存 - 無邪気で無知で微笑ましい善意と、最悪の結果のギャップが大きい。物語世界では、具体的な色に意味を持たせているのも、印象づけを強くしている。

特殊材料によって道路が緑になって特殊機能があったらいう設定は、近未来のワクワク感がある。戸川の悪意のない無知と、認知症が、救いのない悪さを際立たせている。認知症患者のセクハラ、思い出話、成功譚と盛り上げて、最後に公害で落とすのは素晴らしい。インタビュワーとしての語り部の一人称が、世界説明と戸川の発言のコントロールをする必然性になっていて、効果的。緑の意味、意味のなさ、悪い意味と変遷していく。

オシロイバナより

動機の意外性

Why Done it? が、とにかく魅力的(語彙)。

何者かが意味もなく地球を救おうとしている、という設定が、why done it? を魅力的にしている。出来事の重大さとギャップがあるからか。最初のシーンでおおまかな舞台設定をして、その後は時系列、俯瞰と詳細が並列に提示されている。ときどき挿入される会話の主が分からないので、重要な感じがして、真剣に読もうとする。

スウィーティーパイ

小さな世界と大きな世界との関連 / 現実との関連

壺による世界の接触というせっていにより、物語のスケールが大きくなる。ターガーが主人公の代わりに変化を経験しているので、主人公が直接大きな体験をすることなくとも、窓辺系にならず変化を描ける。ヘンリー・ターガーと、異世界の主人公のつながりは、意外性となるほど感がある。中盤の壺から一気に物語世界が広がる。三人称視点で神の視点は、異世界物語の説明として有効。説明的にすぎないのはなんでだろうか。ところどころで、登場人物に寄り添うから?

二八蕎麦怒鳴る

意外な組合せ / 会話のテンポ

意外設定が、もう完全にすごい(語彙)。会話のテンポがよい。

自我の芽生えを、そばを母体にするという、はちゃめちゃ設定でもっていく。できるからってやるなよ感。そば、語り部、ヤマモトのくだらない葛藤関係が微笑ましくも、緊張を生んでいる。話が進むにつれて、解決すべき問題が変わっていく、それがまたどうでもいい方向に変わっていく。会話によってテンポが変わっていく。

アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ

プレッシャーと反発

経済的断切を、SF異世界っぽいところでやったら、という設定が分かりやすい。家族とさえ断絶して、やがて、我慢できなくなる、というのが想像力をかきたて、説得力を持つ。全体的に淡々と流れつつも、すこしずつグロテスクな世界設定が明らかになる。「それまでと違いはない。ただ表面張力が限界に達した。」という文の説得力。

七夕

イベントのメリハリ

いくつものイベントがあるけれど、大きさにメリハリがあるから、退屈ではなく、かつ、忙しくない。

寿命が長くなった世代と、短いままの世代が共存していたら、という設定が、幸福と不幸を同時に生み出している。無邪気な主人公ふたりの目を通して、世界が明らかになる。最初にいちばん大事な設定を提示して、世界設定を少しずつ明らかにしていくことで、あーなるほどそういうことか、という驚きを与えている。子どもがお祭りを歩くのと、ひとりずつ登場人物が出てくるので、分かりやすい。一人称が世界の見え方の制限として効果がある。

熱と光

意外性と必然性の共存

光に反応し、男性からは遺伝しないミトコンドリア、という設定が、物語舞台を魅力的にしている。

ミトコンドリアゲノム編集で、疾患を治療し、遺伝しない幸福がある、というのは悲しさと救いがある。女性が主人公だと、別の心配をする必要があるから。適度な複雑さに落ち着いている。

まとめ

これだけでは「Aという要因が良い作品たらしめるという仮説」過ぎない。ここからさらに、

1. 私の作品にAをいう要因を足すと、最終選考に残る、かつ
2. 最終候補作品からAという要因を取り除くと、最終選考に残らない

の両方が成り立つことを確認してこそ、仮説が実証できる。けど、そういうややこしい話は別の機会にしようと思う。

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