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舞台裏からの「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」②(戯曲について)

舞台裏からの「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」。
第2回はこの戯曲「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」についてお伝えします。

都市を書き続けた作家、如月小春

「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」は如月小春さんによって、
1988年に書かれた戯曲となります。

如月 小春(きさらぎ こはる)
劇作家、演出家。
1956 年東京都生まれ。劇団「NOISE」を主宰、
音楽の生演奏、映像などとのコラボレーションから、
従来の演劇の枠にとらわれない多くの実験的舞台を生み出す。
野田秀樹、渡辺えり子らと 1980 年 代の小劇場の旗手として注目を集める。代表作に「ロミオとフリージアのある食卓」「家、世の果ての...」「MORAL」「MOON」「夜の学校」など。
また、創作者としての活動にとどまらず、周辺環境整備にも尽力し、
アジア女性演劇会議実行委員長・ 日本ユネスコ国内委員会委員・
兵庫県立こどもの館演劇活動委員・立教大学講師なども歴任。
2000 年 12 月逝去。享年 44。

44歳という若さで、くも膜下出血のため急逝なさった作者ですが、
生前マルチな才能を発揮し、都市についての鋭いテキストを残しています。
以下は、彼女への弔辞でも引用された、印象的なテキストです。

都市 ソレハ ユルギナキ全体
絶対的ナ広ガリヲ持チ 把握ヲ許サズ 息ヅキ 疲レ 蹴オトシ
ソコデハ 全テガ 置キ去リニサレテ 関ワリアウコトナシニ
ブヨブヨト 共存スルノミ
個ハ 辺境ニアリ
タダ 辺境ニアリ
楽シミハ アマリニ稚ナクテ ザワメキノミガ タユタイ続ケル
コンナ夜ニ 正シイナンテコトガ 何ニナルノサ

大衆は歌う「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」

本作、「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」の舞台は高度経済成長期の日本、
東京の下町の靴工場「天下一運動靴店」。
大手資本企業との価格競争の中でつぶれかけの天下一運動靴店は、自社の靴を履かせ、宣伝してもらうことで製品を売り出そうと画策します。

タナカ君
走って走って一等賞になって、テレビのインタビューに答えて、
「一等賞になったのは天下一運動靴のおかげです」って言うんです。
それを聞いたら皆、ああ天下一の運動靴が欲しいなあって。

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そこに表れたのが10代の青年カズオ。かけっこだけは得意だというカズオを、オオヒラ社長と娘のハナコは雇い入れます。
目標達成のため、ハナコは古い友人のフクダとミキに声をかけ、フクダにはコーチを、ミキには宣伝係を頼みます。
また、町の喫茶「ラ・ムール」のママやウェイトレス、小学校の音楽教師スズキ先生なども巻き込み、町を挙げた応援がスタートします。
人々の声を背負ったカズオは、各地の大会で快進撃。
天下一運動靴店の売り上げもぐんぐん伸び、町の人々の暮らしぶりも驚くように変わっていきます。

サトウ君
カズオ君が来てからというもの、何だか町にも活気が戻ってきたし、
工場の方だって。

すべてが順調に行っているかのように見えたカズオと町の人々。
ついにオリンピックの選考会となる、極東大マラソン大会への出場が決まったカズオでしたが、その表情の、裏に一つの大きな問題を抱えていたのでした…。

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カズオ
大丈夫ですよ、フクダコーチ。僕はやります。
走って走って走り抜きます。

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この戯曲は、ある一つの町の人々とオリンピックを通じて、私たち日本人を描いている戯曲です。
サッカー、ラグビー、そしてオリンピック。
そんなイベントへの関心は事欠かず、スクランブル交差点で狂喜乱舞する若者たち。そんな光景には見覚えがあるのではないでしょうか?
ですが、この戯曲ではそんな熱狂する私たちをシニカルに描きます。

イケダ君
そんなの、僕、わかんないよ。どうしてカズオ君が、
一人で痛みをこらえてまで走らなくゃならないんだ?
みんな勝手に期待してるだけなのに。

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熱狂とその中心の人間、その関係性の歪さ。
戯曲は私たちの無邪気な欺瞞を告発します。

オリンピックの光と闇

初めてこの戯曲を読んだときに、ある一人の人物を思い出しました。
皆さんは円谷幸吉をご存知でしょうか?
1964年、彼は東京オリンピックで銅メダルを獲得しました。
しかしその後、人々からの金メダルへの期待と自身の腰痛とのギャップに悩まされ、その重みに耐えきれなくなった彼は、1968年「もう走れません」と言葉を残し、自ら命を絶ちました。
東京オリンピック、そして高度経済成長という輝かしい歴史の犠牲者とも言えます。

2020年、本来であれば東京オリンピックが開催されているはずでした。
奇しくも延期されてしまったオリンピック、今こそ私たちはオリンピックというものを再考する機会なのではないでしょうか?

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日本人と「祭」

また、演出の中島さんはこの戯曲についてこのように記しています。

この作品には、二つの日本人の姿が描かれます。高度経済成長という祭を素朴に無邪気に謳歌する日本人、もう一つは1980年代終わりのバブルという祭に欲望ブヨブヨに浸る日本人。
作家は「祭」と日本人の関係を見つめようとしていた、言い換えると、ある種の日本人論を書こうとしていたのだと私は思います。
(中略)この機会にこのテクストを通じて、もう一度「祭」と日本人の関係を、考えられたらと思います。

言うまでもなく、日本人はお祭りが大好きです。
地域のお祭に始まり、オリンピック、学校の文化「祭」に至るまで、
多種多様な祭りに、私たちは熱中します。
もっと広く考えることもできます。
ブームという「祭」、ネットの炎上という「祭」も含め。
多種多様な祭りに、私たちは熱中します。

祭に熱狂してしまう感覚は素朴で、無邪気です。
その無邪気さが渦を巻くことで、大きな暗い力へと変化してしまう。
2020年になっても、そんな悲劇から逃れられない私たちがいます。

2020年に、何度もこの戯曲が上演されているのは、
偶然ではないでしょう。

大きな「からっぽ」の真ん中の、小さな喧騒の物語

劇中ラストでは、「からっぽ」という言葉が何度も繰り返され、
何度も歌われます。この「からっぽ」という言葉こそ、この戯曲を読み解く上でのキーワードになります。

私たちは本当にからっぽなのかということを考えたい。
いつも誰かと自分を比較し、空気を気にし、論理よりも気分を尊び、
結局気にしているのは損得の事ばかり。
「からっぽ」に向き合わないために、祭りに没頭しているのじゃないのか。
「からっぽ」から私たちは脱することができるのか。あるいは、
グローバル化した世界は、われわれのように「からっぽ化」しているから、もはや「からっぽ」を気に病む必要はないのか。

この「からっぽ」という言葉こそ、如月小春さんが指摘しようとした、都市と人々の抱える問題なのではないでしょうか?
都市に人々が集まって、なんとなくの空気感に飲まれ、自己とは何かを見失い続けること、そうして体面ばかり気にしていく私たちの姿には、心当たりがあると思います。

町はカラッポ ビルはカラッポ
電車カラッポ 今日もカラッポ
明日もカラッポ みんな カラッポ
全部カラッポ あーカラッポ

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日々建築によって移り変わる東京、そんな都市の人々に
通りすがりの人々も含めて、この「からっぽ」を問いかける、
それこそが野外劇として、この戯曲を上演する意味なのではないでしょうか?

祭が好きな人間も、祭りが嫌いな人間も、
今一度祭というものを考えてみませんか?

池袋の真ん中。
グローバルリングの真ん中の「からっぽ」でお待ちしてます!

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舞台裏からの「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」
次回は音楽でこの舞台を強固に支える、渋さ知らズについてお伝えします。

(文責:豊川涼太)


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