辺野古強行(2)

もし、「本土」リベラルと左派による辺野古反対の共闘が間に合わず、現状のまま「夏の陣」「秋の陣」を迎えてしまったときのことを想像しよう。それは、沖縄の基地反対運動にとってだけでなく、リベラルな国政諸政党の共闘にとっても最悪のシナリオとなりかねない。

まず沖縄では、本土リベラルに見捨てられるかたちで、裁判によって知事の「撤回」処分が無効化される、あるいは自民政権側の新知事が誕生する。辺野古の工事は大きく進展し、沖縄の基地反対の民意は大きなダメージを受ける。

さらに、ダメージを受けるのは沖縄の民意だけではない。着々と建設されていく辺野古新基地は、協力して安倍政権に対抗するべきリベラル野党と左派野党の間に打ちこまれたくさびとなる。近い将来に実現しなければならない、リベラルな政権交代の可能性が損なわれる。

もし立憲民主党が辺野古反対を旗幟鮮明にし、左派と協力して「夏の陣」「秋の陣」を戦うなら、もし個別の裁判や選挙で反対派が破れたとしても、その後の風景はかわってくる。敗北の中からであれ、「本土」と沖縄の民主主義の連帯をなりたたせる前提がようやく復活するからだ。リベラル野党が反対できなければ、その機会は失われる。

あるいは、民主党系のリベラル政治家たちは、進むも退くもやっかいな辺野古新基地を安倍政権が完成させてくれるのを待っているのだろうか? 地元の反発をうける建設工事さえ保守政権のあいだにやらせてしまえば、基地を維持するだけならリベラル政権にも可能だという考えが少しでもあるのだろうか?

そうだとすれば残念なことだ。2012年にオスプレイを強行配備した普天間基地が県民によって封鎖され機能停止に陥ったように、県民の意思を無視した新基地を安楽に維持することはできない。維持するためには反対運動を過酷に取り締まるしかないが、それは自民党政権にはできても、リベラルな新政権には不可能なことだ。リベラル新政権は、自民党政権の置き土産である辺野古新基地によって不安定化し、鳩山政権のように瓦解する。

辺野古新基地は本土リベラル野党に仕掛けられた時限爆弾だ。共闘を願う市民は、見て見ぬ振りをさせてはいけない。

『沖縄 うりずんの雨』を撮影した映画監督ジャン・ユンカーマンの言葉が痛烈にひびく。

「沖縄が教えてくれる大きな教訓、それは不当に押し付けられた現実は、あくまでも押し付けであり正当化されないということ。時がその理不尽さを弱めることもない。むしろ、時が経つほどに腐臭を放ち、不当性は増大する。もし辺野古に新基地が建設されれば、植民地支配者の横暴の象徴、日米両政府の不名誉の象徴、そして日米両国民の責任回避の象徴として永遠に刻まれるだろう」 。

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