殺意の正体について

頭がおかしいと思われそうだが、よく「全員殺す」という気持ちになる。
誰を、というのは具体的にあるようでないし、ないようでありそうな気もする。自分でもよく分からない。
何かに怒っているのかと問われればそうだと思うが、じゃあ何に怒ってるのと聞かれると言葉に詰まる。何に怒ってるのだろう?

多分わたしはわたしのことを大事にしなかったすべてに怒っている。
生きていればある程度いやな思いもすることは頭では分かっていても、やはり嫌なものはいやだし腹も立つのだ。大事にされないのはムカつくのだ。
すべてというのは他者もそうだが自分自身にも思う、ぜんぶ嫌になって投げ出して自分の心も身体もちっとも大事にしなかった。
その頃の負債は精算したつもりだが、「そういうことがあった」ことはなくならない。つらい。
今は反動でもう自分以外にも以上にも大事なものなどなにもないと思ってベロンベロンに甘やかしている。わたしがわたしを甘やかし、わたしがわたしに甘やかされている。永久機関の完成だ。

「他者」といっても身内から知人から通りすがりの他人までいろいろだけど、思いつく限り列挙してみようかな。

踏み切りがあくのを待っていた私に「ブス!!!」と吐き捨てた知らない男、
会うたびに「太ったね」「今日クマすごいね」など見た目へのネガティブコメントばかりする元知人、
Facebookのメッセンジャー機能で卑猥なメッセージを執拗に送り付けてきた大学の後輩、
2時間遅刻して「朝までバイトだったから」と悪びれもしない女、
わたしに酷いことをしておいて後日謝罪の手紙を寄越したと思ったら「お母さんが死んで辛かったので」と親の死を言い訳にしていたあの人、
目の前にいるのに存在しないみたいに振る舞って無視して反応を見てニヤついていた男、
席替えでわたしが隣と知ると大声で文句を言ったクラスメイト、
数えきれない。なんか舐められがちなので酷いこと言われたりぞんざいな扱いされること多い。

さすがにひとりひとりに死んでほしいとは思わない。
いや、ごめん、2人ぐらいはマジで死んでくれって思ってた。嘘ついた。日和ってごめん。
今2人って言ったけど改めて考えたら3人だった。過少報告してごめん。

こういう人たちの存在が、その記憶が、ジワジワと「あ~~~~~~~全員殺したい」という気持ちにさせてくれます。ありがとね。何が?
つまるところこういう嫌な記憶に消えてほしくて、自分の気持ちが無視されたり自分という存在が蔑ろにされたりしたことがなかったことになってほしいのかもなぁとここまで書いて思いました。
なかったことにできないなら殺すしかないよね。あれ?もう分からん。

大人のわたしは「マジ殺して~~~わ」とイキり散らかすことで溜飲を下げますが(下げるな)、わたしの中に住んでいる小学生のわたしはそうもいきません。
なんでもない日の昼下がりに、大事にされなかったことが悲しくてつい泣いてしまうこともあります。何せ小学生の女の子なので仕方のないことです。仕方のないことです(圧)
わたしはその子のために、わたし自身の力で、その子がもう泣かないですむような結果を残さなくてはならないとずっと思っていて、
なかったことにはならなくても、絶対にそんな酷い人たちには屈しない、負けたくないという気持ちがあります。
若いころは弱くてあわや敗北かと思うこともあったけど、案外人生は長いのでリカバリーできそうな気がしてきたのも最近です。
「全員殺す」という物騒なワードになってしまうのは、そのような現実と向き合って自分なりに戦うための虚勢のような何か…なんでしょうか?(結局分からん)

わたしの中の小学生さんがいつでもニコニコでいられるように頑張らないといけないですね。これなんの話だっけ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?