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もったいない

こんばんは。いつもお疲れ様です。

全く疲れたものだからとりあえず今の気持ちを綴っていこうと思う。

9月で今までお世話になっておった箱ともおさらばしたので、演奏の仕事は半分になった。
従来の半分である。

まぁもともと他人の曲を演奏するのは向いてないから精神的負担が減った。
バクチクの今井さんが他のミュージシャンの曲を弾いてるようなもんだと思ってくれればよい。

テレビをつけてもXを観てもYahooニュースを開いても、ハロウィーンを渋谷区がやりたくないから来ないでねってのをよく見る。

なんだか私みたいな人間からしたら知能指数が低いとしか思えない。

友人がゲストハウスを経営しているんだけど、何故か毎年そこに泊まってる海外勢は喜んで渋谷に行く。
私もその日本フリークな海外勢と交流を持つまでは知らなかったのだけど、コスプレして渋谷に行って、他のコスプレした方々と写真を撮って、とかやるみたいね。
全然知らんかったけど、ハロウィンに日本に来ていたら行かなきゃ損!みたいな感じなのかもしれん。

ジャパンエキスポとかやってる会社はどこなのかわからんけど、渋谷区長はあの辺の繋がりはないのかな〜と思ってしまう。

デイビッドアトキンソンさんとか絶対こういったことをチャンスにしないとマズいよねって立場だと私は勝手に思ってるんだけど。
彼は今どう思っているんだろうか。

人々の寛容さがどんどん薄れていくのが残念だなと思う。
こりゃウッドストックもやらないわけだわ。

この前実家に帰った時にたき火をした。

昔祖父が年の瀬に餅を作っていたのを思い出した。あれはお米を炊いていたのだろうか。
庭で、火を焚べて、何段かに別れている釜のようなものがあって。
まぁ一年でその時だけどこからか出して来るんだけど、今はそうゆうことはできなくなったようである。

たき火が出来ないような国には住んでいたくないと思うんだけど、それは何年か前に火を見ると人間セロトニンが分泌されて自律神経が整うという事を知ったからだといえる。

先週トフィソパムってやつを処方されたからタイムリーな話題であるが、どうやら自分は小学生の頃から自律神経失調症っぽかったんだなと思った。

薬を呑んだらいろいろと大変だった症状がおさまったのである。

一体今までの苦しみは何だったのやら。

私も学校なんか行かないで祖父といろんなものを燃やしていれば良かったかもしれない。
そして燃やせなくなったものだから祖父は死んでしまって自ら燃えてしまった。


そういえば先週の土曜に娘の小学校で音楽祭があった。
アフリカンシンフォニーという難解な曲を縁添していた。あとはやたら転調の多い曲を歌っていた。
プログラムにあった始まりの言葉とか終わりの言葉とかが意味不明過ぎて異世界に飛ばされた。

「とても〜な演奏でしたね!〜を思わせる曲でした!」という用意された文章で、何と形容すればよいのか、とりあえず急にそれまでと世界線が変わってしまったような感じがしてびっくりした。

思えば学校で学んだ事が凄く少ないというか。当たり前だけど、提示された事に対して同じように考えた友達を作る為だけに存在しているんじゃないかと思う。今となっては。

その部分が一番色濃く出ているのは大学かもしれない。

結局友達を作る為の機関である。

と思うと、結構今納得出来るような人生のphaseにいる。

だからこそ子供がいるならば義務教育はそこそこにして、習い事やら祖父母の住んでる場所やらで新しいコミュニティーを築いて行かないと、出力する事がないまま過ぎ去ってしまって、何にもならない。

言語化するとたぶんとんでもない本が出来上がる部分の話である。

即ち田舎だと発達障害グレーゾーンという部類は凄く少ないんじゃないかと思うね。田舎というか、何の規制もなく自然と向き合える環境を持っている事だけど。

そんな場所今全然ないから不思議なんだけど。
私が子供の頃にはあったと言えるね。

そこがアナーキズムを発揮出来る場所だった。
まぁ私有地だから当たり前なんだけど。それを経済合理性を優先させた結果、利害関係の対立を放置させる事になって、渋谷のスクランブル交差点が自然価格みたいな、なんて言うんだっけ、自然に適正な位置になっていくような、見えざる手に導かれて行くような意味合いの、言葉が見つからないけどとりあえずわかりやすく都内近郊に住まいを持った方の脳裏に共通して浮かんだわけだわ。

それをまた禁じられるというのは、私としては凄く長い社会的な抑圧の旅路があっての事だから、この状態を監視社会と言う人もいるだろうけど、兎にも角にも人間らしくないと思ってしまうわけ。

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