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遠くまで流された

今日は朝早く起きたんだけど、たしか5時くらいに起きたと思うんだけど、そこからやる事もないのでまた横になってみた。

そしたら6時半になったり、9時になったりした。

気付けばいつものように昼過ぎになった。

毎日、何かやらないと一日が終わってしまう時間帯に何かをやり始めるわし。

とりあえず子供達に家がむちゃくちゃなデザインになる事と、中学校と市役所に連絡したけど2拠点で生活をさせてくれない教育委員会の現場と、そしたら転校するしかないけど、まぁそれも良いと思うっていう話をする為に、一回実家から帰ってみんなでバーミヤンに行って、作戦を練った。

バーミヤンはなんだか食べたらいけない油の味がした。

この前王将に行った時もそれを感じたんだけど、やっぱりバーミヤンは学生向けなのかもしれない。

学生向けの店は質より量だ。

そんなこんなでお風呂を高い所に作って、天井は二階建て並みに高いのに平家で、屋上は作るとしたら斜めになって、部屋は寝るところと勉強する所と遊ぶところを分けて作るから、12部屋作らないといけないなという話をした。

なんだかとんちんかんな話になってしまったから、今ベッドの中で頭の中を整理しないといけないなとなっている。

だけど、寝て起きれば整理されてる事がほとんどである。

次の日の朝、何にも覚えてないタイプの人が周りに多いけど、そうゆう奴らは毎日楽しそうだし、金持ちである。

わしは全部覚えているから、デールカーネギーさんみたいな考え方はなかなか難しい。

その後家に帰ってねこと話して、ねこと遊んで、服に毛がたくさんついて、なんか身体がだるいなと思って、熱を計ったら37.1だったので、また急いで実家に戻って来た。

行くのに2時間掛かったけど、帰りは40分くらいであった。

今もまだ渋滞が苦手である。

渋滞が不快なくらいだったらいいのだけど、発作が起きたら路肩に停めて、薬を飲んで、30分待って、治らなかったら救急車を呼んで、とか考えて結局発作が起きる。

最近はボックスブリージングってやつでなんとか耐えられるんだけど、不安の方が大きいもんだから、全然好転しない。不思議なもんだ。

パニック障害を治療し始めた頃は、発作が起きない事の方が珍しかったから、改善して行ったのだろうか。

たしかにあの時はレジの列にも並べなかった。

そのくらいの広場恐怖具合だった。

今は微妙なところなんだけど、二十代とか三十代とか纏めて考えてしまう。

治療を始めた時は、治療を始めて1ヶ月、通院してから1週間とか、かなり細かく見直していた。

つまりジャネの法則だこれは。

どうやって対策を立てれば良いのやら。

もう自殺しても良いから薬を変えてみようかね。そういった気持ちが必要なのだろうか。

こうなると、家を建てても思い出に残るのは本当に本当に、最初にその家でやった事のみになりそうだ。

毎日同じ様に生活する事は、時間を短く感じさせるだけだ。

んーむ。どうすりゃ良いものか。

歳を取ると感動する事が少なくなってくるし、クリストファーノーランのセンスはゴミ屑だと思うくらいだ。

自分は一体日々の何を憶えているんだ?

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