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法廷傍聴控え 会社社長射殺事件5

 検察官が確認のための質問をする。

 ──被告は1回公判以降、全面否認でした。ところが、鈴木証人の尋問を前に、射殺犯人は自分ではなく、証人であると主張していますが。
「しってます」
 ──証人自身が上原を射殺し、ダイヤなどを強取したことはありますか。
「ありません」
 ──被告は証人から、拳銃、ダイヤなどを預かったと主張していますが。
「ありません」
 ──証人が上原殺害の前に、マンションや会社の下見をしたといっていますが。
「ありません」
 ──証人自身が上原を殺害する理由や必要はありましたか。
「ありません」
 ──被告は、公判で証人を射殺の真犯人として名指しして、無罪を主張しているが、どう思いますか。
「最初は信じられなかったが、いまは怒りしかありません」
 ──自分の罪を免れるために、証人を罪に陥れようとしていると。
「それしかありません。とにかく、よりによって自分なのかと、最初、思いました。アリバイの口裏合わせが、最初からそうなのかなあと、後で思いました」

 木下は鈴木から殺しの依頼人の名前を具体的には聞かなかったという。しかし、「たぶん、あの人かな」と推測するのは、ナガタという名前でコンベアに関するパテントを持っている人だと供述した。鈴木の知人にナガタという女性はいたが、コンベアには関係ない。
 鈴木の周辺でコンベアに関係する人物として心当たりのあるのは、無人化搬送装置の製作から販売、保守・点検までやっている会社の社長しかいない。
 第20回公判(94年2月14日)では、この社長が証人として登場した。パテントを生かした事業を拡大するために、業務提携や資金提供者の紹介を依頼するために、鈴木に会ったことがあると証言した。
 しかし、被害者の上原のことはまったく知らない。鈴木に殺人を依頼したこともなく、「まったく関係ないことに私の名前が出たことは許せない」と憤慨していた。
 さらに、この日、遠山に事件のことを知らせた上原社長の姉も証言した。他の兄弟や姪が傍聴席に並ぶ。遺族を代表して、遺族の気持ちを述べた。現在、新潟で母親と一緒に住んでいる。上原社長は生前、月に1度は里帰りし、3日に1回は電話するなど、孝行息子だった。
 母親は病気がちで、殺されたことは話していない。「幸夫はどうした」と聞かれると、「いま、忙しくて帰ってこれないのよ」とごまかしている。
 検察官、現在の心境を聞く。

 ──公判をずっと傍聴してきて、被告人の言動について、どう考えましたか。
「取り返しのつかないことをしながら反省せず、犯人の残酷無比な性格を表していると思います」
 ──鈴木の尋問を前にして、射殺した真犯人は鈴木と名指ししましたが。
「まったく反省の色がなく、こういうことをまた平気で繰り返すのではないかと思います」
 ──弟さんは棟方志功の板画を中心に美術収集していましたね。
「はい」
 ──その目的は趣味もあるが、故郷の町に有名なものがないので、美術館でも建てて人を集めたいということのようだった。生前の意志を継いでどうしましたか。
「継ぐのは私たち遺族の務めですので、絵を町に寄贈して美術館を建ててもらうことにしました」
 ──最後に遺族を代表して、木下の処罰についてどうしてほしいですか。
「弟を返してくれれば、何もいうことはありません」
 ──それはかなわぬことですね。
「はい」
 ──そうなると。
「弟を撃ったときから、被告の命はないものと思ってます」
 ──もう少し簡単に。
「死刑にしていただきたいと思います」

 弁護人も検察官に続いて質問するが、こんなやりとりもあった。

 ──ほんとうの犯人を適正に処罰してほしいと聞いていいですか。
「それはそうですが、ずっと公判を傍聴して、被告のいってることが支離滅裂です。まったく反省の色がありません。弁護士さんも不審な気持ちでいるのではないでしょうか」

 第21回公判(94年2月21日)では、最後の被告人質問が行われた。木下の供述内容は、これまでの繰り返しであり、“新供述”はない。
 第22回公判(3月14日)で、検察側の論告求刑が行われた。巨額の負債で金利の返済にも困り、返済資金目的の身勝手、卑劣、同情の余地ない計画的な犯行の上、他人に罪をなすりつけるなど改悛の情もない。「一生罪を償うべきだ」と無期懲役を求刑した。
 弁護人も最終弁論を行う。借金はあったが返済は可能であり、強盗殺人の動機がない。被告と犯罪を結びつけるものは盗品だけ。しかし、強盗殺人の証拠ではない。アリバイのない者に対して厳正な捜査をせず、放置していないかなどと、強盗殺人について無罪を主張した。
 最後に、木下が、「このまま、判決が下るのなら、非常に残念だと思います。鈴木の名前を出したのは、死を賭して鈴木の名前を出すしかないと思ったからです。私はやってません。私は人を殺せるような男ではありません」などと無実を訴えた。

 94年5月16日、第23回公判で、判決が言い渡された。無期懲役である。起訴状のとおり認定した上で、被告・弁護側が否認しているので、詳しい「補足説明」を読み上げた。
“鈴木真犯人供述”について、それまで嘘をついていたのは、真実を供述すると鈴木に被害者の殺害を依頼した者から、被告のみならず家族や内妻らの命が狙われると思ったという不可解なもので、納得できる理由ではない。鈴木が被害者を脅しているようす、拳銃で撃ったときのようすなどには迫真性がまったく感じられない。
 ほかにもいろいろ理由をあげて、「極刑を含む重刑を恐れる被告が、これを回避する意図からつくり上げた虚構に過ぎないと断じ得る」と判断した。
 さらに、鈴木の公判供述の信用性について、真犯人と名指しされているにもかかわらず、激昂したり動揺したりすることなく、弁護人の反対尋問に対しても誠実に応答している。「鈴木の公判供述は信用性十分であると認められ」、「鈴木が本件の犯人でないことはまったく揺るぎようのない確かな事実と断言できる」と認定した。
 最後に、「量刑の理由」である。
「上原は何ら落ち度がないのに、被告の凶行により、最愛の母親、兄弟、恋人を残し、美術館を建てる夢を果たさぬまま、また、会社のさらなる発展のため奮闘している最中に、一方的かつ突然に生命を絶たれた。その無念さは測り知れない。『死刑にしてください』と涙ながらに証言した実姉をはじめ、遺族の処罰感情が強烈であることも至極当然といえる」。
 ところが、「被告は、あろうことか、鈴木が真犯人と名指しし、反省悔悟の情がまったくうかがわれない」と断罪した。
 木下は証言席の前で直立不動の姿勢で主文を聞いた後、弁護人席の前にある被告席に座り、斜め右に体を向けて、判決理由を読み上げる裁判長の顔を見つめていた。むっとした表情を見せて退廷したが、判決を不服として、木下は東京高裁に控訴した。

 94年10月18日、東京高裁で控訴審の裁判が始まった。判決まで8回、公判が開かれ、長時間にわたる被告人質問でも、木下は一貫して、鈴木が拳銃で上原を殺害したなどと主張した。遠山、鈴木も再び証言席に座った。2人は一審の証言に沿ったことを、改めて述べたが、鈴木の質問のとき、裁判官の1人が次のような質問をした。

 ──ああいうショッキングな事件ですから、だれしも変化が起きると思います。何か木下被告について変わったことはありませんでしたか。
「特に事件の前後で何か変わったという意識はありません」
 ──11時半ごろ、会ったときの異常は何かありませんでしたか。
「あわてていました。ふだんは、自分の車の中で話すのですが、車をおりてやってきて、話すのが変わっていました」
 ──翌日、会っているときに、何か感ずることはなかったですか。
「わかりません。ただ、会うたびに、『あの事件、どうなった』とか『犯人、捕まったのか』という質問をされました」
 ──なぜ、木下被告が質問するんですか。
「遠山さんが警察から聞いて事情を一番しっているからだと思います」

 95年9月12日、控訴審の判決がくだされた。控訴棄却である。裁判長は、捜査段階で、単独犯を自供したが、単独犯に不自然、不合理な点はない。鈴木が射殺したというのは、目撃したにしては、現実味がないし、木下はまったくの傍観者として行動しているが、不自然で理解しがたいなどと理由を述べた。
 これに不満の木下は、さらに上告するが、98年、最高裁は上告を棄却した。
 木下が逮捕される前、上原の司法解剖を担当した私立大学の法医学者らが、「拳銃による頭部接射他殺例」として、この事件を『法医学の実際と研究』という学術雑誌に発表している。
 そこには、「右側頭部に銃口を突きつけられ、そのまま発射されたものと考えられるが、わが国においてはほとんど見られなかった珍しい拳銃他殺例であると考えられる」
「外国人の来日が急激に増加して、大都会およびその周辺地区における外国人同士、外国人と日本人間の殺人事件が発生するようになり、従来の日本人同士における使用凶器・殺害方法とは異なる事例が今後増加するのではないかと危惧される」と犯人像も推理していたが、日本人であった。(了)

(2021年11月21日まとめ・人名は仮名)


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