法廷傍聴控え 会社社長射殺事件2
第2回公判(93年1月25日)から、検察側の証人が続々と証言する。第2回公判では、現場から発見された弾や薬莢の鑑定を行った警視庁科学捜査研究所の技官が証言した。
弾のライフルマークや重さ、長さ、直径などを調べ、それを「弾丸識別マニュアル」と照合した。また、薬莢も、長さ、形、ヘッドスタンプなどを調べた。その結果、トカレフから発射されたと判断したという。
第3回公判(2月15日)では、全国学友会に勤務する2人の証言があった。1人は、中年の女性講師である。事件当日の夜、7時から8時の間に、木下と事務所で会ったこと、8時過ぎに事務所を出て、近くのお好み焼屋にいると、8時半ごろ、木下が顔を出して、すぐに帰ったことなどを証言した。
2人目は、40歳前後の男性である。家庭教師派遣業の内容について話す。派遣の他に、事務所に来て習う生徒もいた。経営は赤字であり、経営者の木下が事務所の家賃や経費を負担していた。
また、木下の経営する輸入雑貨などの会社の事務所も学友会と同じところに置いていたが、こちらも赤字経営であった。さらに、事件当日、前述の女性と一緒にお好み焼屋で木下に会ったが、その夜、被告が事務所に戻ってきたのは11時を回っていたなどと証言した。
この日の2人の証言を合わせると、木下の経営する家庭教師派遣業も会社も経営は芳しくなく、事件当夜、8時半ごろから11時過ぎまで、アリバイがないことになる。被告の捜査段階の自白を裏付ける証言であった。
第4回公判(3月8日)では、現場検証した警察官がオートロック式のマンションのドアの開閉状況などについて証言した。
第5回公判(4月19日)は女性の証人だった。身長は165センチほどか、髪は茶色でショートカット。灰色のタイトスカートで、腰の線がくっきり浮かび上がっている。証言席の手前に立ったとき、宣誓した後、証言席の椅子に腰掛けるとき、「失礼します」と一礼した。証人がこのようなことをいうのを初めて聞いた。
この女性は遠山芳枝といい、事件当時は28歳だった。都内の私立大学を卒業しているが、学生時代から東京・渋谷の神宮前のマンションに住んでいる。遠山は上原と深い交際のあった女性だ。彼女は、はきはきとした口調で、こんな証言をした。
──上原社長と知り合ったのは大学4年のころ。社長の会社が募集していたイメージガールに応募して採用された。半年間の契約期間が切れてイメージガールをやめた後、社長と男女の関係になった。当時、社長は別のマンションに住んでいて、独身だと思い、結婚を前提にして交際を続けた。
90年11月、社長は事件のあったマンションに引っ越したが、ほとんど、毎日、私はそこに泊まった。社長に奥さんがいることを知ったのは、91年の春、お手伝いさんから聞いた。奥さんがいても交際していたのは、彼を愛していたからだ──
ここで、上原の断ち切られた人生を振り返っておこう。彼は新潟県で生まれた。5人兄弟の三男で末っ子。高校卒業後、大学進学を希望していたが、自宅が火事にあうなどして進学を断念し、兄を頼って上京する。縫製会社、英語教材販売会社、冷凍食品会社などに勤め、80年ごろ、英会話ビデオ教材などの販売を主な事業とする会社を設立し、社長に就任した。
以来、順調に業績を伸ばし、事件当時、その傘下に8社の子会社を持ち、グループ全体の売り上げは20億円を超えた。会社の事務所は、渋谷駅から東急百貨店本店に行く途中にある10階建ての事務所ビルの3階にあった。
オーナーとしての上原の年収は約5500万円。個人資産は約20億円といわれ、ロールスロイスやフェラーリを所有していた。趣味は空手と絵画収集だ。空手はキャリア10年とかで、事件当時、太り気味というので、会社でよく練習していた。また、6年の歳月をかけて完成したという空手の教則用ビデオも製作・販売していた。
絵画のほうは棟方志功の板画作品を中心に、シャガール、ピカソなど300点以上にもなる。上原はマンションに飾ってある分だけでも3億円ぐらいと遠山にいっていた。
上原は88年12月に結婚したが、当時、別居状態だった。
さて、遠山は上原と結婚を考えて交際していたが、91年6月ごろ、木下の知人である鈴木信二と出会うのである。遠山の証言を続けよう。
──友人の鹿川陽子から鈴木君を紹介され、一緒に食事をして、その後、3人で上原社長のやっている渋谷のカラオケスナックにも行った。
社長は英会話教材の販売とか、英会話学校をやっていて、このカラオケスナックもそうだし、このビルも持っていると、鈴木君に教えた。社長の持っている車についても、白いロールスロイスと赤いフェラーリで、松濤のマンションに住んでいる。
趣味も、絵が好きで、棟方志功とかシャガールの絵を持っていると話した──
上原と鈴木は直接面識はないが、上原の資産状況、会社のこと、車のことなどについて、鈴木が上原から聞き知った状況を証言したわけだ。これで、検察側の証人としての役割を十分果たしたが、さらに、証言は続いた。
──鈴木君とも深い関係になり、プロポーズされたのは、91年8月の中ごろ。しかし、断った。私は社長のほうを愛していると思ったからで、鈴木君と深い交際するようになってからも、社長との関係を継続していた。
社長と最後に会ったのは、91年11月27日、事件のあった当日。このころ、社長のマンションにあまり行かなくなっていたが、27日の午前零時半ごろ、社長のマンションに行った。
そのとき、社長は奥さんと離婚するといって、改めてプロポーズされた。本心だと思い、うれしく受けた。午後1時過ぎ、社長と連れ立ってマンションを出て、社長の会社のあるビルの前で別れた。
その日の夜、鈴木君ときちんと別れるために会っている。会う前に、鈴木君の自宅の電話や携帯電話、ポケットベルにも連絡した。しかし、午後8時15分から午後11時30分ぐらいまでの間、鈴木君からは連絡がない。
ようやく、11時40分ごろ、鈴木君から私の家に連絡が入り、車で私の家の近くまできたのは、12時ぐらいだった。一緒に居酒屋に行き、午前零時半から1時半ぐらいまでいた。上原社長のプロポーズのことや別れ話は、結局、切り出せなかった。
鈴木君が、「お金に困った。どうしよう、どうしよう。木下に200万円持っていかれた」とか、お金の話ばかりするので、切り出すチャンスがない。その日、鈴木君の家に泊まった。
28日の昼ごろ起きて、自分の家に電話を入れ、留守番電話のメッセージを確認したら、何人かの連絡があり、その中に社長のお姉さんからのメッセージが入っていた。鈴木君の家から電話しにくいので、近くの公衆電話からお姉さんにかけようと思い、鈴木君の家から外に出る理由がないとまずいので、「昼ごはん買ってくる」といって出た。
公衆電話から電話すると、「友則が殺されたの、芳枝さん、知ってる。ピストルで」とお姉さん。それを聞いて、後はちょっとぼーっとなった。
とにかく、早く家に帰ろうと鈴木君に車で送ってもらい、その車中で、私のようすが変なので、「どうしたの」と鈴木君から聞かれた。「上原社長が殺されたの」「うそだろ」「ほんと」という会話をした──
彼女はたんに上原のことを鈴木に教えたということだけでなく、くしくも事件当日、上原から正式にプロポーズされ、婚約者になったというのである。検察官が最後にこう尋ねた。
──被告に対していいたいことは。
「もし、アルカトラズのような独房があれば、そこで一生と思いますが、ないので、やはり死刑を望みます。上原社長が殺されなければ、自分は結婚できました」
この法廷で初めて木下の顔を見たという遠山は、最後にこのように答えると、「失礼します」といって退廷した。アルカトラズとは、アメリカ・サンフランシスコ湾のアルカトラズ島にある重罪犯用の連邦刑務所だ。厳重な警備でも有名だったが、63年に閉鎖された。
第6回公判(93年5月10日)では、私立大学をこの年の春に卒業したという女性が証人だ。89年5月ごろ、上原社長の経営する英会話学校の説明会に参加したのを機会に、上原社長の誘いで何回か一緒に食事した。
そのとき、ロールスロイスやフェラーリにも乗ったが、マンションの車庫から出るとき、いつも急発進して左折するなど、上原の運転はかなり乱暴だったと証言した。これも、木下が上原に目をつける契機となった、赤いフェラーリとぶつかりそうになったという自白の裏付け証言である。
この日は、さらにもう1人、木下の内妻、伊藤弓子が証言した。年齢は木下と同年代か、少し上であろうか。薄い色のついたメガネをかけている。証言のポイントは、木下の自供に基づき、自宅の家宅捜索でダイヤの裸石が発見されたが、これは事件後、被告からもらったというものであった。
次回公判は、鈴木の証言だ。検察側の主張によると、木下は鈴木を通して上原のことを知ったことになっている。その点で、鈴木は“ダメ押し”証人ともいうべき人物である。
ところが、鈴木の証言が予定された公判は弁護人の都合ということで中止になり、前回から2カ月以上経過した7月22日、第7回公判が開かれた。
鈴木の証言のはずなのに、どういうわけか、木下が証言席に座る。弁護人席を見ると、弁護人が変わっている。新しい弁護人は、前任者よりも一回りも若く、40代か。弁護人の質問に対し、木下が驚くべきことを述べたのである。
「実は、鈴木信二が拳銃を用意し、上原を殺すためにマンションに行きました。自分は鈴木の行動を止めるためについていっただけです。鈴木が上原を拳銃で撃ちました。私はそのとき、その場にいました。ダイヤとか腕時計は鈴木から受け取ったものです」
要約すると、こんな供述だった。これまで、上原のマンションにも行ったことがないし、上原を殺してないと全面否認していたのだが、その主張を翻し、マンションに行ったことは行ったのだが、上原を射殺したのは鈴木だというのである。そして、詳しい状況を話した。
裁判官は3人の合議で行われているが、裁判長はこの供述に対して、そうとう苛立っているようだ。木下の供述が終わった後、次のように尋ねた。
──鈴木がやったと、きょういったが、ほんとうですか。
「間違いありません」
──うそだったら大変ですよ。
「ぼくも大変なんです」
(2021年11月20日まとめ・人名は仮名)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?