法廷傍聴控え 会社社長射殺事件4
犯行後──翌日、財布は首都高速の箱崎パーキングの駐車場、軍手を明治神宮の駐車場のゴミ箱に捨てた。拳銃は東京湾に捨てたと捜査段階で述べたが、ほんとうは荒川に捨てた。腕時計は、92年1月中旬ごろ、身内にやった。
逮捕──92年10月20日、渋谷署に出頭を求められ、21日に逮捕された。任意取り調べの段階から犯行を認めた。ほかに共犯はいないかと聞かれたが、一貫して1人でやったと嘘をついた。
嘘をついたのは、自分自身の身の危険と家族への危険があったからだ。ほんとうのことをいったら、鈴木の先にいる人間に殺されるとも思った。今回、真実を供述したのは、伊藤と母親と弁護人の説得があったからだ。
検察官が尋ねる。
──強盗殺人は死刑か無期懲役しかないが、知っていますか。
「刑事さんに聞きました」
──公判を前に、大変な刑とびっくりして否認に転換したのではないですか。
「違います」
──鈴木を犯人というのは、覚悟の上のことですか。
「事実です」
裁判長も、改めて問いただす。
──あなたの話を総合すると、自分自身としては何も罪を犯してないということになるのですか。
「いえ。鈴木のことを止められなかったのが最大(の罪)です。一緒について行って、家宅侵入とかいろいろあります」
以上が木下の“真犯人供述”である。6回にわたって聞いたが、鈴木が殺しを引き受けたという話を、木下は真剣な顔で供述する。
木下の“鈴木真犯人供述”を受けて、改めて行われた弁護人の陳述によれば、次のような図式になる。
──この事件の本質は上原を狙った殺人事件である。つまり、遠山の実家は裕福な製造業者であり、その遠山をわが物にするため、鈴木は木下をだまして利用し、強盗を装って上原を殺した、恋がたき殺人事件ともいうべきものだ。
というのも、主犯はまったく変装を考えてなかった。また、強盗目的と思えないのは、上原宅にあった棟方志功の直筆署名入りの板画十数点、シャガールの絵、金の延べ棒、クルーガーランド金貨などに手をつけていない。さらに、上原は木下よりも体力、腕力ともはるか上で、単独で実行できるものではない。上原を殺害したのは主犯であり、木下は強盗もしていない──
木下の“鈴木真犯人供述”に続いて、第14回公判(93年11月30日)から第16回公判(12月20日)までの3回にわたり、注目の鈴木信二(28歳)が証言した。
出廷した鈴木は長身でやせ形、眼鏡をかけ、頭髪はきちんと整髪し、少しよれよれの紺色の背広を着ている。証言席につくと、からせきを2、3回。ゆったりと余裕のある受け答えである。鈴木証言のポイントをまとめてみる。
遠山との関係──友人の鹿川陽子から、遠山のつき合っている人が金持ちで、自分の商売につながるといいというので紹介してくれた。遠山が自分の家に連日泊まるようになったのは、91年10月の末か11月のはじめからだ。夜、原宿のマンションに迎えに行き、朝、送って別れる。遠山は昼間はとくに仕事をしていなかった。家賃や生活費は親から出してもらっているといった。
弁護人から質問する。
──事件前夜、遠山は上原のところに泊まっていますが。
「夜、遠山が女友だちの家から電話してきて、そこに泊まるというので、そう思ってました」
──上原に対してどう感じていましたか。
「自分も頑張らなくては、立派になりたいと遠山に語ったことはあります」
上原のこと──遠山から上原を紹介されたり、上原を町中などで見かけたことはない。上原のマンションの場所も知らない。木下には上原のことを話したことがある。事件のころ、木下と会う用件というのは、自分が関係していたベルギーでの学習塾や日本語学校の設立計画と、裏口入学の件だった。
事件当日の行動──昼の12時半から1時の間に、木下からポケベルに連絡が入った。携帯電話を使って代々木の事務所にかけた。木下が出て、午後9時過ぎごろ仕事が終わるので、9時過ぎ、木下のほうから連絡するということになった。午後7時半ごろ、車で自宅に帰った。この夜も、自分の仕事が終わり次第、遠山に連絡することになっていた。
午後9時10分前、木下から連絡が入らなかったが、自宅を車で出た。新宿駅西口の銀行の前に着いた。9時半ぐらいだった。ここは、車が止められ、公衆電話も近くにあるので便利だから、いつも木下との待ち合わせに使う場所である。
到着して間もなく、木下からポケベルに連絡が入った。車から降りて、公衆電話から木下の携帯電話にかけた。木下が出て、あと1時間ぐらいでそこに行くといった。
そこで、車の中で待つことにした。木下が到着したのは、11時半ごろだった。普段乗ってるマスターエースでやってきた。30分ぐらい遅れることはしょっちゅうだったが、1時間は初めてだった。「12月2日が入試だから急がなくてはいけない」と木下がいった。すぐに事務所に向かい、事務所で遠山に電話した。
12時少し前には事務所を出た。遠山を乗せて西日暮里の居酒屋で3、40分。自分自身で金のないのをはぐらかすために、木下が金を持っていったとか社員の横領話をした。午前2時近くに店を出て、自宅に戻った。
遠山が昼食を買って帰ってきたとき、変なようすだと気づいた。普通は買ってきた食事を家で食べるが、茫然とした態度で「車の中で食べよう」といった。
遠山のマンションに送っていく途中、遠山が涙を流しているから、「どうした」と聞いた。「上原社長がきのうの夜、殺された」。遠山は疑われるかもしれないが、自分と一緒にいてよかったといった。
アリバイづくり──遠山が警察に呼ばれたと聞いて、自分も遠山のアリバイ確認のために呼ばれるのではないかと思った。11月28日の夕方近く、木下と会った。「きのう何時ごろ、会ったか」と聞いた。「どうして、そんなこと聞くの」と木下が問い返す。「きのうの夜、上原が殺されて、遠山が警察に呼ばれているので、自分も呼ばれるかもしれない。それで時間を確認したい」といった。
会ったのは11時半ごろだったが、夕方からそれまでは、「自分と一緒に裏口入学のための小論文を見ていたことにすればいい。論文を見ていれば、2、3時間すぐにたつ」と木下がアドバイスしてくれた。
予想していたとおり、12月5日、警察に呼ばれた。遠山との関係や当日会った時間などを聞かれた。殺されたのは、遠山といた時間帯で深夜と思っていた。2回目に呼ばれたのは、92年2月。殺されたのは深夜ではなく、10時過ぎとわかり、その時間帯の行動について細かく聞かれ、夕方から木下とずーっと一緒にいたと答えた。
このことは木下に話した。同年4月にも取り調べがあったが、同じように答えた。それから、木下が逮捕された10月にも取り調べを受けた。
弁護人が追及する。
──8時50分に家を出てと、なぜ、その通りのことをいわなかったのですか。
「8時50分から11時半までアリバイがないので、何度も警察に呼ばれるのがいやだったからです。木下さんのいうとおりにいえば楽だから」
──木下被告は1人だけで殺しができるものでなく、共犯がいると思われるが。
「取り調べのとき、お前ら2人でやったのかといわれました」
白状──木下がやったと刑事に聞かされ、新聞にも出た。最初、信じられなかった。2日間ぐらい、嘘のアリバイの話をしたが、10月22日、この嘘のアリバイを撤回した。木下は自分がかわいそうだと思って、アリバイのことをアドバイスしてくれたと考えたが、逆に木下自身のアリバイをつくりたかったからだと思った。
盗品について──91年の終わりごろか92年のはじめごろ、木下からダイヤの盗品があるので、内々でさばいている人はいないかなどと聞かれたことがある。腕時計についても、安く時計が入る、買い手いないか、特殊ルートなので、表に出ては困る、趣味で個人で買ってくれる人はいないかと聞かれた。
(2021年11月21日まとめ・人名は仮名)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?