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法廷傍聴控え 覚せい剤男警察官射殺事件1

昔、こんな事件がありました。

 拳銃発砲事件は、日本においても日常茶飯事となったが、拳銃に薬物が加わると、治安悪化は激化される。覚せい剤乱用の暴力団幹部によって、警察官が射殺される事件も発生した。

 裁判での起訴状、冒頭陳述、論告、最終弁論、判決などをもとに、この事件を振り返ってみたい。

 1989年5月11日、暴力団幹部の鈴木次男(43歳)の公判が浦和地裁川越支部で開始された。覚せい剤取締法違反、殺人未遂、公務執行妨害、殺人、銃刀法違反、火薬類取締法違反と罪名は6つもある。

 鈴木は、母親が病弱で入院し、父親が働きながら育てることができず、4歳のときに、妹と2人で養護施設に預けられた。その後、母親が死亡し、父親も再婚したりして、家に引き取られず、そのまま養護施設で育つ。

 そのうち、鈴木は自分の境遇に自暴自棄的になり、同じ施設の仲間からの影響も受けて、次第に粗暴となり、中学生になってからは、他人とけんかしたり、施設を脱走するなどの行動を繰り返す。そのため、養護施設を転々とし、中学を卒業した。

 61年ごろ、窃盗で少年院に入院した後、暴力団組員とつきあうようになる。

 その後、暴力団組員となったが、ほどなく、対立中の組員とのけんかの際、相手の持っていた刃物を取り上げて、反対に、それでけんか相手を刺殺した。そのため、傷害致死などの罪で懲役3年以上5年以下の不定期刑を受け、少年刑務所で5年間服役した。

 69年ごろ、少年刑務所でしりあった暴力団組員を頼って、前の組とは別の山村組の組員となり、博打の手伝い、ノミ屋、債権取り立てなどを行い、76年ごろからは、覚せい剤の密売で収入を得るようになった。

 78年3月には結婚したが、87年5月、協議離婚する。こどもはいない。

 鈴木は前科8犯で、成人してからは、その大半を刑務所で過ごしてきた。前刑は、86年2月、覚せい剤取締法違反、傷害、銃刀法違反、火薬類取締法違反で懲役2年の判決を受け、87年12月、仮釈放された。

 しばらくは、前妻の親族のところに身を寄せたが、88年1月下旬、山村組に戻り、埼玉県川越市内に住むようになった。

 ところで、覚せい剤と鈴木の関係だが、79年ごろ、博打をする際の眠気防止のために覚せい剤に手を出したのがはじまりである。その後、博打をしないときでも、乱用するようになった。

 1回当たりの使用量もどんどんふえていった。通常、1回の使用量は0.03グラムといわれる。それが、10回分にもあたる0.3グラムから0.5グラムを1回に使用するようになる。それに伴い、覚せい剤中毒の症状があらわれ、異常な行動を繰り返す。

 医学書によれば、覚せい剤中毒症状として、妄想や幻覚が生まれてくると書いてある。妄想は、被害・関係・追跡・注察・嫉妬妄想などである。さらに、幻聴が多く見られ、被害的命令的人声や断定的な罵声、叫び声、笑い声なども聞いたり、また、幻聴、幻視もみられる場合がある。

 多くの事例では、「警察が自分を監視している」「自分を殺そうとしている」などと信じ込んだり、何でもないことを自分に関係づけたり、他人の何気ない言動を被害的に受け取るのだという。

 まさに、鈴木の症状は典型的なものであった。使用開始5年目の84年9月ごろから、タクシーに乗ったとき、警察官に尾行されていると思い込んで、タクシーをめったやたらに走らせる。タクシーの運転手が警察に無線連絡していると妄想して、運転手を問い詰めたりする。

 さらに、電車に乗ったとき、向かいの座席に座っている人が、自分を監視している刑事に見えてきて、その人を詰問したりした。また、自宅にいても、周りに人の気配を感じたり、ドアをたたく音が聞こえたりする幻聴や妄想を抱いた。

 そのような妄想のもとに、天井裏や室内を調べたり、短刀や拳銃を携えて外のようすをうかがったりした。大家に対しても、「だれかが天井裏で自分を見張っている」とか「仕掛けた盗聴器を外せ」などといって、たびたび怒鳴り込んだこともあった。

 87年12月、刑務所を仮出所後、事前に身元引受を頼んでいた前妻の親族が経営する溶接業の手伝いをはじめた。

 ところが、刑務所にいる約1年10カ月間、覚せい剤を使用していないにもかかわらず、フラッシュバックがあらわれ、妄想を抱いて、前妻の親族に向かって、突然、「随分ひどいじゃないか。警察とぐるになりやがって」などと大声で怒鳴ったりした。

 結局、この溶接業手伝いも長続きせず、旧知の暴力団組員からの誘いもあって、88年1月下旬には、山村組に戻る。

 山村組長から、「おまえはヤクザをやめられない。ヤクザの気性だけは忘れるな」などといわれ、出所祝い金として20万円を渡されたこともあり、改めて暴力団組員として生きていくことを決意する。

 組に復帰してまもなく、88年3月、鈴木が乗っていた車が交通事故にあった。鈴木は、酒を飲んで助手席に眠り込んでおり、衝突のショックでフロントガラスに頭をぶつける。

 治療のため、病院に入院中の88年5月ごろ、山村組の幹部である佐藤良三と組員が見舞いにきた。そこで、山村組の内情が話題になる。

 組の勢力は約30人と中規模の組織だが、ナンバー2の高橋信吉組長代行がけしからんというのだ。

 金の力で渡世を渡り、組織の金を自分の懐に入れ、その反面、組の若衆には一切金を出さない。高橋と縁を切って追い出し、佐藤が中心となって組をまとめようという話になった。鈴木は、前々から高橋に反感を持っていたので、すぐに同調した。

 もし、高橋が縁切り話におとなしく従わない場合には、鈴木がいつでも高橋殺害の鉄砲玉になる覚悟を決め、これを実行に移すときを待ち望んでいた。

 鈴木の決意は本物だった。護身用としてだけでなく、高橋殺害にも使おうと自分の拳銃を用意することにした。88年7月下旬、交通事故の休業補償、医療費として、保険会社から500万円が支払われたので、拳銃の代金を用意できた。

 そこで、刑務所に服役中にしりあった別の暴力団組員の田中明から、88年8月上旬、拳銃1丁を入手する。

 フィリピンのスカイヤーズ・ビンガム社製のM100ディテクティブチーフの38口径回転式拳銃だった。この拳銃1丁と実弾6発で75万円を支払う。

 鈴木は前に拳銃を触ったことはあったが、自分のものは初めてだった。川越市内の山林で2発試射したが、拳銃がずっしりと手にきて、本物の感触を味わった。

 鈴木は警察の捜索を受けた場合に備え、8月中旬ごろ、川越駅前のおもちゃ店で、おもちゃの拳銃、ホルスターなどを購入する。本物の拳銃をおもちゃのホルスターに差し込んでおけば、ごまかせると考えたようだ。

 さらに、田中から、8月20日ごろ、実弾20発を8万円で追加購入する。

 高橋のことはどちらに転んでもいいように、鈴木は準備万端整えていたのだが、肝心の山村組長が高橋の縁切りについて承知しない。そこで、88年8月下旬には、時期を待つこととなった。

「高橋の野郎は男気がないくせに、金の力で組長を抑えている」と鈴木は思い、組長が承知しないのもおもしろくない。といって、組長の命令には従わざるを得ない。

 鉄砲玉として、ヤクザに生きる男として、高橋殺害を決意していただけに、むしゃくしゃした気持ちになっていた。

 88年9月27日、28日、2日間かけて、鈴木は、前の部屋が契約切れになったため、川越市内の別のマンションに引っ越す。

 29日、鈴木は、ある組員から覚せい剤60グラムを売ってくれと頼まれていたので、拳銃を買った田中から代金後払いで覚せい剤約60グラムを購入する。これを21万円で依頼された組員に譲り渡す。

 この代金を田中に渡す際、鈴木は覚せい剤の誘惑に負けた。

 仮釈放以後、覚せい剤に手を出していなかったというが、生きがいにしていた高橋との縁切り話が組長の意向で挫折し、組員として焦燥感、挫折感、孤立感を深めていたこと、交通事故の後遺症で首のしびれに悩まされていたこと、引っ越しのため、疲労がたまっていたことなどで苛立っていた。

 この気持ちを一掃しようと考え、田中から覚せい剤約10グラムを4万円で購入した。

 88年9月29日午後9時30分から10時ごろにかけて、鈴木はマンション3階の自室で、まず、覚せい剤約0.4グラムを注射する。しかし、どうも覚せい剤が効かないようなので、次に、覚せい剤約5グラムを茶碗の水に溶かして飲んだ。すると、胃に痛みを覚え、目がチカチカしはじめた。

 法廷で、弁護人がその後の状況を鈴木に尋ねる。

 ──そういう状態になって、どうしましたか。
「痛いから、ぐうっと押さえていて、うろうろしているうちに、ドアをどんどんたたく音がしたから、ドアに出てみたら、だれもいないですから」
 ──その音が聞こえるまで、どうしていたんですか。何か仕事をしていたんですか。 「座っていたんです。テレビを見たり、テレビをつけっぱなしだったですから」
 ──それで、ドアをたたく音が聞こえたと。
 「はい」
 ──で、すぐ、玄関に出ていったわけですね。
「はい」
 ──だれか、いましたか。
「だれもいないです」
 ──で、どういうふうに、あなたは考えましたか。
「だれもいないか、下へ降りていってみて、ようすがおかしいから。で、また、上がってきて、わしのところにだれか殺しに来たと思って、拳銃を持って降りて行ったら」
 ──下へ降りて行ったら、ようすがおかしいからということでしたけれども、ようすがおかしいというのは、どういうことですか。
「わしのところに、だれかやりに来たと思ったから」
 ──何か人の気配が感じられたということですか。
「はい」

 覚せい剤の中毒症状で、自室のドアをどんどんとたたく音が聞こえたのは、午後11時ごろだった。

 鈴木は、自分が高橋を殺そうとしているのを察知して、高橋が仲間とともに、先制攻撃で逆に自分を殺しに来たとの妄想を抱いた。この際、かれらを拳銃で射殺しようと思い、拳銃を持って、室外に出た。

 鈴木は坊主頭で黒ずくめのスタイルである。黒いズボン、黒いオープンシャツの上に黒のジャンパー。足はサンダルだが、ジャンパーのポケットには覚せい剤と注射器を入れ、6発装填した拳銃、白いガンベルトに弾6発を差し込み、残りの12発は、ハンカチに包んで黒いバッグに入れた。

 あたかも、西部劇に登場するガンマンのようなスタイルであった。

(2021年12月3日まとめ・人名は仮名)

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