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法廷傍聴控え トカレフ警察官射殺事件5

 残りの弾の数はともかく、高橋は拳銃を持って逃げている。主婦を撃って逃げた後、周辺に大捜査網がしかれた。神奈川県警は、主婦を撃った場所の東側を走る国道246号線に警戒線を張った。
 西へ数百メートル行けば東京都町田市である。警視庁も町田市側で捜査を開始した。総勢1000人を超える大動員である。現場の北側を走るJR横浜線と田園都市線の長津田駅など近辺の駅には警察官が立ち、この地域を担当する神奈川県警緑警察署では「お願い」というチラシを配布したり、駅や街頭に掲示した。
「凶悪犯人が逃走し、まだ発見されていません。外出は差し控え、戸締りに注意して下さい」と高橋の正面向きと横顔の顔写真をつけて、「身長175センチ位、坊主刈り、やせ形。着衣、青色半袖シャツ、青色Gパン。このような男をみかけたら、ただちに110番か警察へ通報して下さい。また、あやしい人物や不審なことなど、どんな情報でも110番でお知らせ下さい」と呼びかけた。
 246号線と横浜線、田園都市線で囲まれた三角形の地域は徹底的な捜索が行われた。8日の深夜まで戸別訪問でしらみつぶしに当たった。雑木林なども捜索したが、発見できない。捜索はいったん打ち切られ、翌9日の早朝から再開された。
 この日、包囲網の中を通るバスの運行はストップした。心配そうに出勤する人などを除けば、ほとんどの人が戸締りを厳重にして捜査を見守った。
 包囲網の一部を校区に持つ、町田市立つくし野小学校では、犯人が逃走中というので、午前7時過ぎ、集団登校を実施しようと連絡網を使って伝えたが、父母の一部から、「こんな状況なのに登校させられない」という声が学校に寄せられ、午前中は自宅待機に切り換えた。しかし、その後も犯人は逮捕されない。そこで、結局、この日は休校となった。

 一方、雑木林に逃げ込んだ高橋は、8日の午後8時ごろ、警察の包囲網の中で、雑木林に接して建っていた町田市側にある民家2階のベランダに、木の枝を伝って侵入した。そこで眠り、翌日の午前4時過ぎ、目をさました。ベランダからおりて表の通りに出ようとしたが、警戒にあたっていた警察官の姿を見つけて引き返し、今度はその隣家の2階に忍び込んだのである。
 その家の妻(60歳)は、8日夕方のテレビニュースで高橋の事件を知った。目と鼻の先の出来事だ。夫(65歳)は帰宅していない。息子も不在だ。1人で家にいるのが不安になり、夫が帰ってくるまで隣の家にいることにした。

 午後7時過ぎ、自分の家の呼び鈴の鳴る音が聞こえ、隣家から顔を出してみると、夫である。夫も加わって、隣家で事件などについて話した。そのころ、この家の2階のベランダに、高橋がいたのである。
 午後10時を回って、2人は自宅に戻り2階の寝室で寝た。午前5時前、夫がトイレに起きると、隣室のドアが開いている。「おかしいな」と思ってのぞくと、人の上半身が見えた。
「あっ、あの犯人が家に来たんだ」
 1階にかけおりたが、高橋は素早くあとを追った。さも拳銃を持っているかのような口振りでいった。
「俺に撃たせないでくれ」
 喉が乾いた高橋は、夫を台所に案内させて水を飲み、そこにあった果物ナイフを手にとった。「他にだれかいるのか」と聞く。
 階下の物音で目覚めた妻は、寝室の窓から警察官の姿を見つけ、身振り手振りで、1階で異変が起こっていることを訴えた。その後、警察官がこの家を訪ねたが、家にいるはずなのに応答がない。電話をしても出ない。これらの状況から、高橋が立てこもっていることが判明した。
 高橋は夫に妻の手足をタオルで縛らせ、夫にも自分の口を使って手足を縛らせ、2階の寝室のベッドで横にならせた。高橋の腕からの出血は止まらない。しかも、いつ警察官が踏み込んでくるかもわからない。
「立てこもったとき、自分ではもうだめだと思っていたが、ここまで逃げてきて、はい、すみませんでした、では……」
 素直に逮捕されようとは思わなかった。高橋は、「車があるか」と夫に聞いた。車はあるという。そこで、車庫にある車に乗り、妻を人質にして逃走しようと考えた。

 立てこもってから約8時間後の9日午後零時45分ごろ、高橋はその家の主婦に果物ナイフを突きつけて外に出た。「機動隊どけ」などといいながら、その家の車の鍵穴にキーを差し込もうとした瞬間、包囲していた捜査員が飛びかかって逮捕した。
 高橋が逮捕されて間もなく、神奈川県側では自治会の広報車が走り回った。
「こちらは長津田自治連合会です。昨夜来、ご心配かけました殺人犯は逮捕されました。ご協力ありがとうございました。明日は通常どおり登校してください」
 逮捕されたとき、高橋は拳銃を持っていなかった。「拳銃は3発撃って、弾がなくなって捨てた。逃げれば、拳銃はまた買えると思ったので、とくに隠しておこうとも思わなかった」。前夜、民家に侵入する前、潜んでいた雑木林に無造作に投げ捨てたというのである。拳銃は立てこもった家から200メートルほど離れた場所から発見された。

 そのトカレフによる被害者や遺族の調書が、法廷で検察官によって読み上げられた。右手を撃たれた主婦は、「寝ていても、だれかに追いかけられている夢を見る」し、「殺されなかったのが不思議」と恐怖の体験を述べている。殺された山中巡査は、神奈川県警のベテラン捜査員である父親の姿を見て、「父親のような温かい刑事になりたい」と刑事になった。
 事件の前年の3月、結婚したばかりだった。救急車で運ばれた病院に駆けつけた妻(25歳)は、夫が寝たふりをするのが癖だったので、また、寝たふりをしているのかと思いたかった。早く目をさましてほしいと、顔を触ってみたが冷たい。夫の死が信じられなかった。裁判の傍聴には、山中巡査の父親が欠かさず顔を出し、1回だけ、父親の隣に母親らしい姿も見えた。
 遺族に対する気持ちを、検察官が聞く。

 ──山中さんの家族に対して、どう思っているか。
「もし、自分の女房を殺されなくても何かされたら、いてもたってもいられなくなるほど、自分でも頭にくるから、山中さんの奥さんに対しては、一生償えないことをしたと思っている」

 弁護人は、こんなふうに尋ねた。

 ──山中さんの奥さんの上申書には、「死刑にしてほしい」と書いてあるし、調書には、「死刑以上の罰があればそうしてもらいたい」ということも書いてあるが。
「自分が逆の立場だったら何をするかわからないし、当然だと思う。刑務所に行っても償えないと思う」

 高橋の事件の1年半前、90年11月23日、沖縄で暴力団抗争の警戒にあたっていた2人の警察官が、暴力団組員に射殺された。この凶器もトカレフであった。
 3人目のトカレフ殉職者を出した高橋の判決は、第6回公判(93年5月10日)でいい渡された。
 横田警部補に対する殺意を認定し、主婦を負傷させたのも暴発とは認めず、「希望のある前途を残して一瞬のうちに射殺され、殉職した警察官本人の無念さ、その遺族の心中は察するに余りあり」、

 また、その後の逃走中に、「被害者に与えた恐怖感は多大なものであったと推測され、人質にされた老婦人が被害を受けた後、半年以上経過しても、なお情緒不安定のため治療を要する状態であるというのも、衝撃の大きさを物語るもの」で、「本件の犯情は極めて悪く」、求刑どおり無期懲役の判決を下した。

 高橋は、横田警部補に対する殺人未遂の事実認定などに不服で東京高裁に控訴したが、94年6月、やはり殺人未遂と認定され、さらに最高裁に上告した。しかし、最高裁は、95年9月、上告を棄却し、無期懲役が確定した。

 ところで、事件後、山中巡査の殉職などをめぐって出てきた議論が、現場におもむいた警察官が拳銃を持っていなかったことだ。
 たとえば、『週刊新潮』(92年7月23日号)では、
「ホテルの駐車場にあらわれた高橋は、職務質問をしようとした警官にいきなり発砲。警官1人が死亡、1人が負傷した。高橋が拳銃を所持していることを予想もしなかった警察は、だれも銃を持っていなかったために、応戦さえできず、まんまと高橋を取り逃がしてしまう」
「警官が職務質問をした時には、多分、覚せい剤による興奮状態の最中。そこでいきなり警官に発砲したということらしい」などと書いている。
 さらに、同年9月10日号では、「27歳警視の現場指揮で失敗した警察のエリート馬鹿」というタイトルで、同様な趣旨の記事を掲載している。
「ホテルから出てきた高橋を取り押さえようと捜査員が近づいたところ、高橋が突然発砲し、警察官1人を射殺、1人に重傷を負わせて逃走してしまった」
「発砲から高橋が逮捕されるまでの約20時間、地域住民は恐怖の時を過ごしたのである」「追い詰めた犯人を拳銃を携行しなかったために、取り逃がしてしまっただけではない。犯人に銃で応戦していれば、殉職者を出さずにすんだかもしれないのだ」というような前置きがあり、「エリート馬鹿」を登場させている。
「こうした修羅場では、現場の指揮官の判断が重要になってくるし、その責任も当然重い。ところが、現場指揮にあたっていたのが、27歳の警察庁のキャリア。去年8月に県警捜査一課の課長代理として着任したというから、実際の捜査指揮経験は1年に満たない」
「県警内部から課長代理の判断ミスという声も上がっている」として、現場に向かう捜査員から、拳銃携行の意見具申があったが、課長代理は必要なしという指示を出したことが問題だと指摘している。
 また、山中巡査の7回忌にあたって、山中巡査の父親の気持ちを中心に紹介した読売新聞(98年7月9日付朝刊)の記事では、
「トカレフを手に出てきた犯人に、山中さんはひるまなかった。真っ先に間合いを詰め、タックルをかけようとした瞬間、犯人は山中さんの胸に向けて発射した」「山中さんらは、拳銃を持っていなかった。現場指揮官(課長代理のことだろう)の経験が浅く、指揮に手落ちがあったと指摘された」。
 その現場指揮官が、父親のところに、「母親と一緒にわびに来てくれた。『息子の指揮のまずさから、あんなことになってしまって、私から、一人っ子のこの子がいなくなってしまったことを考えると』。畳に額を擦りつけて……」などと書いてあった。
 この点だが、ホテルを張り込んだ捜査員が拳銃を持っていなかったことと、山中巡査の殉職は関係があるのだろうか。高橋の公判を傍聴したり、目にした限りでの記録で、犯行の経過をたどってきたが、これから判断すると、逃走後のことはともかく、殉職との関係はないといえる。
 高橋は部屋から車庫に出たとき、捜査員に対し、「いきなり発砲」「突然発砲」はしなかった。ここでの逮捕に際しては、警察官が拳銃を使用する状況はまったくない。
 警察の行動で歯がゆかったのは、あれだけの捜査員を動員しながら、逮捕を予定していた車庫で高橋に逃げられたことである。車庫で逃げられたことは、警察官が拳銃を持っていなかったこととは関係ない。高橋は、それまでにも、3回、逮捕されそうになったのを逃げたというから、4回目の逃走成功だった。
 もし、逮捕方法に関して、ベテラン捜査員からより適切な意見具申があったにもかかわらず、現場指揮官が自分流の考えで車庫内での逮捕計画、捜査員配置を押し通したというのであれば、それは「指揮のまずさ」といえるのかもしれない。(了)

(2021年11月19日まとめ・人名は仮名)

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