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慰安婦 戦記1000冊の証言38 寺内元帥豆絞り

 元陸軍大臣の元帥寺内寿一は、元首相寺内正毅元帥の長男。「若い頃はずいぶん放蕩もされたらしい」「法衣を着て吉原を練り歩くくらいは、平気であった」
「筆者は昭和13年北京に出張の節、寺内方面軍司令官から『ちょうど大阪から飛行機でうまい鮨が到来しているから』とて馳走になった覚えがある」「戦地での品行を云々する者もあるがこれは大間違いで、北京以来絶対に、私行を慎んでいられた。
 昭和18年マニラ出張の際、筆者が偕行社に招待された時、わざと皆の前で老女中の手を握って『手を握るくらいはよかろう』と陽気に笑い飛ばされたが、これくらいのことはもちろん平気であった」(1)

「筆者」は、陸軍人事局長を務めた額田坦である。寺内は、昭和16年創設された南方軍総司令官となり、敗戦までその地位にあり、敗戦後、マレーで病死した。
 南方軍総司令部は、戦況に伴い、サイゴン、シンガポール、マニラ、サイゴンと所在地を転々とする。

 昭和19年、マニラで寺内を見かけた、独立第10飛行団・第111飛行大隊の航空大尉の証言。
 昭和19年6月ごろか「南方総軍司令部は昭南からマニラへ移転」「総司令官寺内元帥は何故か、私は尊敬する気にはなれなかった」
「ヘルメットを被り、オープンの高級車を駆ってマニラ市中を通行している総司令官を見ると、戦争どころか如何にもドライブを楽しんでいるように感じたし、デマか本当かは知らないが『東條大将は寺内元帥に腰元30名を附けて南方へ追出した』という話は本当だと思った」(2)

 日本軍のマニラ占領以来、フィリピン全土の燃料を管理する燃料統制配給組合の常務理事の証言。
「その頃(昭和19年9月)、南方軍総司令官の寺内寿一元帥はマニラホテルに泊っていた」
「軍の命令でマニラホテルの支配人になっていた××さんは」「ある時、『寺内元帥は2週間のメニューをつくらせて、毎日違った特級料理を並べなければ承知しません。酒もフランスの極上でなければ駄目なんです。本当にこれにはほとほと弱っています』と私に語ったことがあった」(3)

 南方軍総司令部が、マニラからサイゴンへ再移動したのは、昭和19年11月。翌20年1月、独立混成第77旅団砲兵隊本部員のサイゴンでの行動証言。

「(昭和20年)1月の機動部隊の来襲の前に、私はサイゴン地区の地上対空火器の全般の指揮まで命じられたのだが、電話機が不足である。
 中隊内の戦闘用電話機だけでも間に合わず、思うような戦闘指揮ができないので、電話機をもらいたいと上申したところ、品物がないと却下された。
 そこで総軍は料理屋等不要不急の場所につけているが、それらを外してくれと申しても、不要のところに使用はしておらないで終わりであった。
 その直後、1月12日の米機動部隊の来襲で、やっぱり電話機が不足で、どうにもならないことを痛感、総軍に対して強硬手段をとったのであった。
 即ち××少尉に命じて、兵を指揮し、料亭を廻り、総軍が架設した電話機を外して持って帰らせ、次の様な借用証を貼ってこさせた訳である。
『借用証 戦闘部隊に於いて電話機不足のため、戦闘並びに訓練に甚だ困りおるところ、かかる不要不急の個所に施設しあるを認め、大東亜戦争完遂までこれを借用いたすものなり。×××少佐 寺内総軍司令官閣下』」(4)

 なぜ「料理屋に電話機必要」なのか。サイゴン支局長を務めた毎日新聞南方特派員の証言。
 昭和20年3月以後、「サイゴンの在留邦人は厭戦的虚脱におちいり、自暴的享楽にふけっていた。そんなある日、サイゴンの町はずれで、家数はややまばらであったが、熱帯にのみ咲くブウガンヴィルのかぐわしい生垣にかこまれた大きな邸宅であった。
(日本特派員団への)招宴がおこなわれた広い部屋には、新しい青畳がしきつめられてあったが、天井からは豪華なシャンデリアが5つばかり垂れさがっていた。
 この2つの対照が、なんとも辛抱できないほどの不調和であったことが、いまだに印象にのこっている。
 主人公の(寺内)総司令官元帥は、浴衣がけで、ズルハゲのビリケン頭に、豆絞りの手拭をのっけて、正面中央に大アグラをかいていた。
 粒揃いのサイゴン芸者、主人公の説明によれば、ごく最近台北から空輸されて、サイゴンの高級将校用料理屋に配属されているという美形が、お酌の席につくや、『ご苦労さんでした』という元帥の音頭に、宴会ははじまった。
 久しぶりのおいしい日本料理、とくに握りずしと、比較的に防腐剤のすくない日本の特級酒の味覚は、故国への郷愁をさそった」(5)

《引用資料》1,額田坦「陸軍省人事局長の回想」芙蓉書房・1977年。2,服部恭大「南方飛行戦隊―ボルネオ戦記」富士書房・1953年。3,大沢清「フィリピンの一日本人から」新潮社・1978年。4,果敢砲兵隊の会「果敢砲兵隊の思い出」私家版・1982年。5,和田敏明「証言!太平洋戦争」恒文社・1975年。

(2021年12月31日更新)



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