法廷傍聴控え 覚せい剤男警察官射殺事件3
拳銃を乱射したときの気持ちなどを、法廷で弁護人が尋ねた。
──全部で6発発射すると、弾を詰めなおさなくちゃいけないわけでしょう。
「はい」
──どこで詰めなおしたか、わかりますか。
「全然、それがわからないです。頭から汗がびゅうびゅう出て、頭がぎんぎんして、目がちかちかしてきたから、わかんなかったです」
──何回か弾の詰め替えをしたと思うんですが、一度も覚えてないんですか。
「全然覚えてないです」
──部屋を出るときに持って出た覚せい剤と注射器はどうしました。
「それもどこに落としたのか、上着もどこで脱いだかわからないんです。汗が顔からばしばし出てくるから、それで暑くなって、どこで脱いだかわかんなかったです。脂汗が吹き出してくるんです、頭から」
周辺は防弾チョッキを着た多数の警察官によって厳重な警戒網がしかれた。
付近の家は明かりを消して、静まりかえり、何も知らず、一杯機嫌で帰宅する住民には、「この道を通るなら命の保証はできない」などと説得が行われた。
その後、鈴木は別な会社の寮に逃げ込もうとして、寮の玄関ドアのガラスをたたき割ったり、民家のサンルームに隠れようとしたが、家人に発見されて逃げだす。
結局、30日午前1時12分、民家の屋根にのぼって逃げようとした際、屋根から落ち、身動きできなくなる。ようやく、冷静さを取り戻したという。
「拳銃を乱射し、大それたことをした」と考え、自殺しようとして、拳銃の銃口を口にくわえ、引き金を引いたが、弾を撃ち尽くしていたため、自殺することができなかった。
そのうち、警察官が倒れている鈴木を発見し、数人で折り重なるようにして取り押さえ、銃刀法違反の現行犯で逮捕した。
鈴木は、「殺せ、殺せ」と叫びながら、暴れ続けたため、両手、両足に手錠をかける。さらに、自殺防止のため、鈴木のズボンのベルトを抜き取り、口にさるぐつわをかませ、午前1時27分、パトカーで川越警察署に連行した。
鈴木は、「おやじにいうな」「高橋をぶっ殺す」などと、パトカーの中でわめいていたそうだ。
鈴木がマンションの部屋を出て、逮捕されるまで約1時間20分の乱射事件であった。現場検証では、15発のから薬莢、弾を3個発見した。少なくとも15発を発射し、死者1人、負傷者3人、犬が1匹殺された。
逮捕後のようすを弁護人が法廷で聞いた。
──警察に捕まった後、どうなりましたか。
「もう、わかんないんですよ。気がついたら病院」
──捕まった後、簡単な取り調べを受けたことは記憶ないですか。
「なんか、うっすら、気がついたら、ぼうっとしてたから、うっすら」
川越署に連行された鈴木は、午前1時31分ごろから、取調室で調べられる。
鈴木が興奮した状態で、「俺を殺してくれ。あのチャカで殺してくれ。俺は死ぬつもりで1発残したんだから、頼む、俺を殺してくれ」「俺は代行の高橋をやるために、チャカを持っていたんだ」
「俺はきょう、捕まる少し前にシャブを10グラム飲んだんだよ」「頼む、俺に生き恥をかかせないでくれ。あのチャカで、この俺を殺してくれ」「チャカはほかにもある。俺を生かしておくと、大変だよ」などと、旧知の捜査員にいう。
さらに、「俺を殺してくれ」と繰り返した後、突然、「俺はおまわりをやっちゃったのか」といいだし、その後、ふたたび、「俺を殺してくれ」と繰り返す。
取り調べを開始して約1時間後の午前2時30分すぎ、鈴木は自分から水を要求したのに、「この中に毒が入っている」といっては、水を取調室にまきちらす。
このことを数回繰り返したあげく、ようやく水を飲んだと思ったら、「体がしびれる。しびれ薬を入れたな。きたねえことをするな。この野郎」と怒鳴る。午前3時ごろから、体をふるわせはじめた。
前日夜、覚せい剤約0.4グラムを注射し、覚せい剤約5グラムを飲んだというのは、もともと死んでもおかしくないほどの量だった。医学書によると、平均的な覚せい剤の致死量は、3グラムから6グラムになる。
午前6時すぎ、鈴木は救急車で大学病院に収容されるが、心臓や呼吸が停止したため、人工呼吸や心マッサージなどの心肺蘇生措置を行い、一命を取りとめる。薬物中毒、意識障害などで2週間ほど入院し、10月13日退院した。
その後、犯行時の覚せい剤の影響を調べるため、起訴前の精神鑑定が行われた。約5カ月間、精神科医から調べられたが、覚せい剤による精神障害は軽微で、責任能力があると判断され、起訴されたのである。
射殺された小泉巡査は、北海道で生まれ、81年4月、高校卒業し、埼玉県警の巡査になった。85年12月、結婚し、妻の両親、長男(2歳)、事件前月に生まれたばかりの長女の6人家族で、家庭は円満だった。殉職後、二階級特進し、警部補となったう。
10月2日の葬儀で、兄は、「小さなころからのあこがれの警察官になって、結婚もした。埼玉で骨を埋めるといっていたが、こんなに早く骨を埋めることになるなんて」と無念さを述べていた。
また、妻は、「こどもがもう1人ほしいなといっていた。悔しいの一言」と新聞にコメントした。
検察官は、論告求刑の際、次のような妻の供述を引用した。
「主人は、気はやさしくて力持ちでした。頼みも気軽に聞いてくれ、私が何かに腹を立てて怒っているときも、主人は決して怒らず、私を大きく包み込んでくれるような包容力のある人でした。
主人は、私の両親も慕い、私や私の父母など家庭を大切にする人でした。主人は仕事から帰ると、眠たそうな目をしながらも、長男と遊んでやっていました。主人のことを思い出すたびに、死んでしまったことが大変悲しく、涙がとまらないのです」
「主人を死亡させた犯人については、私の正直な気持ちをいわせていただきますと、極刑に処していただきたいと思います。主人はもう帰ってきませんが、主人の命の重みを考えると、犯人に対しても、それに見合うきちんとした処罰をしていただきたいと思っております」
検察官は、さらに糾弾する。
「急性覚せい剤中毒による要素性幻聴、被害的妄想様観念およびこれらにまつわる錯覚の症状が認められ、また、意識障害がうかがわれるものの、いずれも軽微であって、是非善悪を弁別し、その弁別に従って、行動する能力を著しく欠くには至っていない」
「被告の粗暴性、自己中心性、反社会性は、被告生来のもので、その年齢、これまでの経歴、前科等に照らせば、それはもはや、被告において固定していて、矯正の余地がない」
「被告が再び社会に戻ったら、これまでと同じ道をたどることになり、その結果、覚せい剤に手を出し、あげくは、本件のような凶悪重大事犯を再び引き起こすおそれがきわめて大きい」
「被告に対しては、極刑をもって臨むこともやむを得ないものと思料されるが、他面、被告は事実関係を認め、それなりに反省している上、被害者に対し、それなりの慰謝の態度を示していることが認められる」
このような理由で無期懲役を求刑した。
一方、弁護人は、覚せい剤使用は認めるものの、ほかの公訴事実は、「覚せい剤の影響により、病的知覚と病的思考に支配されて行われた」ので、責任能力を欠くなどとして、無罪を主張した。
ただし、反省として、「被害者に向けて、被告をして拳銃の引き金を引かせたのが大量の覚せい剤であるとしても、従前の被告の生活態度が因果の流れとして重要な位置を占めていることは動かせない事実である。被告もこのことは十分に自覚し、反省している」と述べた。
90年10月11日、浦和地裁川越支部は、「犯行時、覚せい剤中毒後遺症の症状再燃による被害妄想および一度に多量の覚せい剤を使用したことにより急性中毒に陥り、その影響による精神障害のため、心神耗弱の状態にあったものである」
「犯行当時の精神状態が心神耗弱の域に達していなかったならば、無期懲役を相当とするところである。しかしながら、被告は心神耗弱の状態にあった」というので、懲役20年の判決を下し、確定した。
この事件には後日談がある。鈴木の判決のあった年の暮れ、90年12月29日、鈴木の妄想の対象であった高橋が射殺されたのである。犯人は、鈴木が入院していたとき、見舞いにきた佐藤ら2人であった。(了)
(2021年12月4日まとめ・人名は仮名)
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