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法廷傍聴控え 警察官強姦事件2

 93年11月2日、12月7日、94年1月13日の公判では、強姦事件に関してDNA鑑定を行った警察庁の科学警察研究所法医第二研究室の女性の主任研究官が証言した。山本が逮捕された3日後には、福井県警からの嘱託により、DNA鑑定に着手した。
 鑑定資料は、強姦された直後の吉田さんの膣内液、ネグリジェ、血液、そして、山本の血液である。同時に血液型も調べた。膣内液には、精子と精子頭部が含まれている精液が混在していた。ネグリジェには、何カ所か、精子頭部を含む精液、膣液が付着していた。
 これらの精子の検査によると、犯人の血液型はO型、分泌型であった。吉田さんの血液型はO型、分泌型。吉田さんの血液型はO型、分泌型である。
 DNA鑑定では、膣内液からは、MCT118型が15、21、25の型が検出され、HLADQα型が1.1-3型。ネグリジェの犯人の精液からは、HLADQα型が15、25の型が検出され、HLADQα型が1.1-3型だった。
 山本の血液を調べると、MCT118型が15-25型、HLADQα型が1.1-3型。吉田さんの血液では、MCT118型が21-21型、HLADQα型が3-3型。
 つまり、「犯人の精液と被告の血液は同じ型を示した」のである。
 さらに、血液型のO型ということだけならば、日本人では約3.3人に1人もいる計算になるが、今回の犯人の血液型とDNA型を総合すると、「同じ型を示す日本人の出現頻度は、約1万人に1人である」と書き添えてあった。
 DNA鑑定という目新しい鑑定方法のため、検察官はその歴史などから研究官に尋ねる。簡単にいうと、DNA鑑定とは、85年、イギリスのレスター大学のジェフリーズ教授が、人間の設計図といわれるDNAの違いを個人識別に使えるのではないかと科学雑誌に発表したのが契機となった。
 DNAというのは4つの塩基が並んでいる。その並び方に個人差があるのに着目したのだ。科警研では、早速、86年ごろから、DNA鑑定の研究をはじめ、90年ごろからDNA鑑定を開始し、これまでに140件以上の鑑定を行った。主任研究官は、そのうち40件から50件の鑑定を手がけた。
 今回の鑑定書では、DNA鑑定でも、2つの型を実施した。まず、MCT118型というのは、第Ⅰ染色体にあるMCT118と呼ばれる16塩基の繰り返し回数を見るもので、12回から三十数回までの繰り返し回数があるという。その結果、351通りの型分類ができる。ABO式の血液型だと、4通りだから、抜群の分類力だ。
 この方法は、科警研の研究員が開発に携わり、科警研が世界ではじめて犯罪捜査に使ったものである。

 ──たとえばなんですが、だれでも父親と母親がいるわけですが、その場合、MCT118型の繰り返し回数なんですが、簡単に例を出して説明していただけますか。
「父親が16回と20回の繰り返しを持っていて、母親が25回と28回を持っていれば、父親から1つ、母親から1つ(遺伝として受け継ぐの)で、子供の場合は組み合わせとしては4通りです。(MCT118型としては)16-25とか16-28とか、そういうふうになります」

 具体的な方法としては、血液や精液などから精製したDNAの一部を用いて、PCRという方法でMCT118型の部分の増幅を行う。それを電気泳動によって泳動を行う。このときに、塩基数を測る物差しとして、123ラダーマーカーというものを一緒に泳動する。泳動後、染色して発色させ、それを写真にとる。
 すると、123ラダーマーカーの縦の長い線と検査対象DNAが横棒みたいに写し出される。それを機械にかけて、対象DNAの塩基数を測り、16塩基の繰り返し回数を出し、MCT118型として判定する。
 また、もう1つのDNA鑑定であるHLADQα型は、第6染色体にHLADQα部位を調べるものである。ここもHLADQα型ほどではないが、個人差があり、犯罪捜査に限らず、広く使われているものである。
 弁護人がDNA鑑定の問題点をつく。まず、証言から1年以上も前に書いた今回の鑑定書には、「約1万人に1人である」と記述した出現頻度の問題である。鑑定書には、出現頻度の表も添付されていた。

 ──いまのDNA鑑定書には、(出現頻度の)表を掲載することをやめたんですか。
「表は掲載しておりません」
 ──そうすると、出現頻度を記載するのをやめたんですか。
「多分、いまはしていないと思います」
 ──そこに問題があるからなんですね。
「いや、出現頻度に関しては、統計上の数値に問題があるとは思っていません。ただ、あくまでも型分類の1つとして、血液型とかDNA型をやっています。たとえば、いままで血液型がA型といって、A型が何%であるということは書いていないのに、DNA型になって、そういうことを求められたので記載していたんですが、本来の姿に戻したというふうに考えればいいと思います」
 ──血液型が一致したので、それが犯人であることの1つの要素かもしれないけど、それ以外の証拠できちんと判断してもらわないと、DNA鑑定が決め手になって、犯罪捜査というものか行われるのは、本来の姿じゃないと考えておられるのではないですか。
「あくまでも型が同一ということで、血液型とかDNA型を細分化することは犯人を断定することにもなりますけど、DNA型は犯人以外の人を犯人にするということを防ぐ、非常にいい手段だと思います」
 ──ただ、一致したという場合、この頻度は、問題になるんだけど、そこにどういう危惧をされたかということですが。
「危惧はしておりませんけど、50億人に1人の血液型(DNA型の間違いか)も、隣に同じ人が絶対いないといえるかということは、私は何ともいえないと思います」
 ──やはり、出現頻度というのが、ややひとり歩きしている嫌いがあって、あくまでも証拠の中の1つだと考えてほしいということを考えておられますか。
「はい」

 また、当初、科警研の初期のDNA鑑定書には、123ラダーマーカーを用いて判定したということを記入していなかった。その後、今回の鑑定書も含めて書くようになった。マーカーの点も問いただした。

 ──将来、この鑑定によって、123マーカーを用いて、しかも、123マーカーによる出現頻度だという注記のないDNA鑑定書によって、ある人が断罪されたことがわかったとする。その出現頻度に基づいて、裁判所が有罪判決をしたとする。再審ですよ。再審事由に当たるから、あなた方は、鑑定書に出現頻度を書くことをやめた。なぜかというと、裁判所が出現頻度を判決の中に引用して有罪といいはじめたから。
「それとは関係ないです。そういう意味で出現頻度を書かなくなったわけではありません」

 さらに、123マーカー自体の問題点も指摘した。

 ──科警研で、アレリックマーカーを用いて、MCT118型のDNA鑑定を行った結果、123ラダーマーカーでは、繰り返し回数が14とされているバンド(写真に写った検査対象DNAの横棒)が、アレリックマーカーを用いたところ、繰り返し回数が16と判定されたという結果が出ましたね。
「鑑定じゃなく、研究の結果です」
 ──123ラダーマーカーは、ほかの研究機関では用いないわけですか。
「われわれがはじめたころは、123ラダーマーカーしかなかったんです。それで、一般的に、それが正しいということで、世界的にDNAをやっている機関では、それは一応認められていたわけです。それで、われわれはそれを使ってやっていたわけです。ただ、ここ1年ぐらいで、いろいろDNAの研究が発達してきた段階において、塩基組成の違いで、多少、泳動距離が違ってくる場合があるということがわかってきたわけです。
 ですけれども、われわれとしては、それがわかったからといって、すぐに切り換えることが、ちょっと、頻度とか、いろいろ弁護士さんにつつかれることがありますので、そういうことも全部詰めて、きちんとした形でしたいと思っています」
 ──123ラダーマーカーでいうと、ある特定のものの繰り返し回数として判定されていたんだけれども、別のマーカーを使うと、もっとバラエティに富んでいるということが、最近、わかったということですか。
「基本的には、それほど変わっていないと思いますし、123ラダーマーカーを基準にして計算することに関しては、同じものは同じですし、違うものは違います」
 ──123ラダーマーカーで15回と計算されたのは、アレリックマーカーでやった場合は、何回と判定されるかわかりますか。
「おそらく、17と思います」

 主任研究官は、123ラダーマーカーとアレリックマーカーは、ともに物差しであるし、鯨尺かメートル尺かの違いに過ぎないと述べた。しかし、正しくない繰り返し回数を表示していたことにはなる。

 94年1月13日の公判では、今回の強姦事件で、血液型と精液検査を行った福井県警科学捜査研究室の技官が、膣内液、ネグリジェなどの精液を確認し、血液型はO型だったなどと証言した。2月17日の公判では、追起訴分の2件の住居進入事件の実況見分調書を作成した警察官が証言した。
 そして、2月17日、3月8日の公判では、被告人質問が行われた。山本の言い分を聞く前に、強姦事件のあらましを見ておこう。
 吉田さんは会社員で、小林らが張り込んでいた家から約300メートル離れた自宅で、22歳の娘と2人暮らしであった。7月31日午前2時20分ごろ、娘は友達と食事をしてくるというので、帰宅がおそくなっていた。1人で寝ていたが、どこからか家の中に入ってきた犯人が、自分の体に馬乗りになっているのに気がついた。
 男は両目のところをくりぬいた白色のタオルみたいなもので覆面しているように見えた。「静かにせえ、殺すぞ、声を出したら殺すぞ」と福井弁で脅迫し、さらに、「10分間だけ我慢せえ」と命じた後、吉田さんのネグリジェを腰のあたりまでまくり上げ、履いていたショーツを無理やり脱がせ、強姦し、2、3分間で射精すると逃走した。
 部屋の天井の蛍光灯の豆電球と隣の仏間の明かりで、犯人の姿を見た。髪形は普通、肉付きは普通で、背丈は170センチぐらい、年齢は40前後。半袖ポロシャツで、下半身裸のまま、ズボンを手にして逃げていったという。
「絶対に許せない。まだ、物取りや強盗のほうが許せる。1日も早く捕まえてもらい、厳しく罰してもらおう」と考え、吉田さんは、午前2時27分ごろ、警察に通報した。2時40分ごろ、実況見分が行われ、中庭に犯人の足跡痕を発見した。午前3時55分ごろ、県立病院で膣内液を採取した。
 92年8月19日、山本が逮捕された2日後、山本が連行された警察署で、面通しが行われる。マジックミラーごしに、座っている小林を見た。当然のことながら、「わからない」。逃げていった男の後ろ姿を見ている。後ろ姿を見たいと申し出た。
 取調室から出てきた山本の後ろ姿を見たとき、髪の毛、背格好、肉付き、よく似ている。「ああ、この男だ」とひらめいた。

(2021年11月3日まとめ・人名は仮名)


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