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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件2

 北1舎は60年以上も前に建てられた古い舎房だが、ハミッドらの雑居房の広さは13畳ほどで、南側の壁の中央にドアがあり、左右に窓もついている。北側には細長い窓が3カ所。房内の窓側には、洗面台、テーブル、食器棚、私物箱があり、便所もドアから見て右手奥に備えてある。
 96年2月11日午後8時ごろから、北1舎1階1房では、紅茶パーティーが始まった。かねてから準備していた脱走の前祝いだ。かれらは、この脱走を“ゾルファガル作戦”と名付けた。ゾルファガルとは、イスラム教シーア派の開祖が手にしていた剣の名前だという。

 ハミッドを筆頭に、“ゾルファガル作戦”前祝い紅茶パーティー参加者の2人目は、ボゾルギ(39歳)である。妻とこども3人がイランにいる。数回の来日歴があり、今回は偽造パスポートで入国した。
 95年4月14日、東京・池袋駅で、警察官から職務質問受けた。偽造パスポートを提示したが、警察官から、洋服の左胸のあたりが膨らんでいることを指摘されると、右手で下に着ていたシャツのポケットからビニール袋を取り出し、放り投げ、逃走しようとして、逮捕された。ビニール袋の中身は、覚せい剤であり、約46グラムと大量であった。5月2日、東京地裁に起訴される。
 さらに、同年4月、東京・巣鴨で、自動車内にいた密売人のイラン人と運転手役の日本人の2人が大麻、覚せい剤、アヘン、コカイン、LSDの所持で現行犯逮捕された。ボゾルギが、このイラン人にそれらの薬物を売ったことが判明し、8月18日、追起訴された。
 同日、警察の留置場から東京拘置所に移され、12月18日、北1舎1階1房に移動した。
 この間、公判が進み、12月15日、懲役7年、罰金100万円を求刑された。
 年長のため、雑居房のイラン人からは、「ダイレザー(おじさん)」と呼ばれていた。「求刑が予想より重かった」し、「ペルシャ語で書かれた拘置所の規則も読んだが、脱走しても、拘置所でちょっとしたペナルティーを科せられるだけだと思った」ので、脱走計画に“参謀格”として参加した。
 ボゾルギは、公判で検察官に聞かれる。

 ──日本から出られると考えていましたか。
「考えていました」
 ──具体的には、日本から出してくれる人がいたのですか。
「いえ、とくにそういう人はいません。以前、ほかの人を日本から出した人をしっていました」
 ──その人を尋ねていけば、出れるということですか。
「はい」

 紅茶パーティーに参加した3人目は、メマンド(29歳)である。91年11月に来日し、鉄工所、レストラン、植木屋、ガソリンスタンドなどに勤め、1カ月に平均20万円から25万円の収入があった。94年8月ごろ、フィリピン女性と同棲するようになり、95年2月、男の子が生まれる。出産費用に30万円かかったが、ヤクザから借りたという。
 そのヤクザから、「金がたくさん入る」と薬物密売の仕事を紹介された。「今から考えると、出産費用を貸してくれたのも、薬物密売に誘い込む手段だった」とメマンドは思ったそうだ。
 95年8月、覚せい剤、アヘンなどの薬物、それに拳銃と実弾を所持していたので逮捕される。当番弁護士を呼んでもらい、「自分の罪について、相談した」が、裁判になってから、「ヤクザの名刺を持ってきた弁護士」に弁護を頼む。
 脱走11日前の96年1月31日、東京地裁で、懲役7年、罰金200万円の判決を受けた。控訴することを考えていたが、「長期間服役したくない。自由になりたい。逃げられたら逃げよう。成功しなくて捕まったら、控訴しよう」と考えて加わった。

 紅茶パーティー参加者4人目のシャロッキー(26歳)は、イランに両親と弟、妹がいる。91年3月、来日し、家屋解体工、中古車販売店で働くが、そのうち、薬物密売にかかわるようになる。95年9月22日、覚せい剤、大麻の所持、不法残留で逮捕され、同年11月15日、東京地裁に起訴され、翌96年1月8日、北1舎1階1房に収容される。同房には、逮捕されて留置された警察署で知り合ったメマンドがいた。
「薬物は営利目的ではなく、大麻も覚せい剤も自分で使うために持っていた」などと弁解したが、脱走2日前の2月9日、懲役4年、罰金30万円の求刑があった。
 裁判所から帰ってきて、求刑のことを話したら、「4年なら執行猶予はつかない。お前は絶対に3年か2年半、刑務所に入れられる」と同房のイラン人にいわれ、判決公判は3月7日に予定されていたが、脱走を決意した。

 紅茶パーティー参加の5人目はバンザーデ(28歳)である。テヘランで生まれ、母親は死亡し、父親と兄弟が5人。「イランにも働き口はたくさんあったが、収入は少ない。月給は、日本円で5000円。日本で働くと1カ月の収入で1000ドルぐらい貯金できると、日本で働いたことのあるイラン人から聞いて」、91年10月に来日し、埼玉・八潮の鉄工所で、95年5月まで働くが、給料が少ないのでやめる。
 その後、8月から、私鉄の駅で知り合ったサミーというイラン人と一緒に薬物の密売を行う。報酬は1日1万円。日本人の客から携帯電話で注文を受け、薬物取引に向かうサミーを乗せて、自動車を運転する役目だ。同年11月、サミーの密売事件に関連し、その関係場所の家宅捜索が行われ、バンザーデのアパートも捜索された。アヘン、コカイン、紙片にしみ込ませた覚せい剤、大麻、電子計量器、携帯電話4台などが発見され、逮捕される。
 アヘンは自分で吸っていた分もあり、ほかの薬物は預かっていただけと弁解したが、同年12月15日に起訴され、96年1月22日、北1舎1階1房に収容され、初公判を待っていた。
「死んだ母親のことを夢によく見た。母親の墓参りをしたいのと、父親にも会いたかった。イランに帰りたい」と、参加する。

 紅茶パーティーの6人目は、アーマド(26歳)である。94年5月、イラン航空の乗員がアヘン約5キロを密輸しようとして、成田空港で税関に逮捕された。その後、日本での共犯として逮捕され、95年7月5日、千葉地裁で、アヘン密輸などで懲役4年、罰金100万円の判決を受けた。アーマドが東京高裁に控訴したため、東京拘置所に移り、北1舎1階1房に入った。「逃げるのは権利だ」などと声高に主張していたという。

 薬物事件ではなく、ただ一人、約4年の長期不法残留で起訴されたのが、紅茶パーティー7人目の参加者であるラゾギ(24歳)である。96年1月12日、起訴され、同年1月18日、北1舎1階1房に収容された。「オーバーステイで強制送還されると、好きになった日本人女性に会えなくなる」と仲間に加わった。

 収容者の出入りはあったが、事件当時、この雑居房にいたのは8人だった。残りの1人は、ラスール(25歳)である。ラスールは、95年6月、約4年の不法残留で逮捕され、家宅捜索で、多量の大麻とアヘンが発見された。薬物所持と不法残留で起訴され、前橋地裁で懲役3年の実刑判決を受けた。これに不服で、東京高裁に控訴し、脱走事件3日前の2月8日、北1舎1階1房に入ってきた。ラスールは日本人女性と結婚するつもりで、正規の手続をして日本で住みたいので、脱走に加わるつもりはなかったと、脱走者たちは供述している。
 その女性はしばしば面会にも通っていた。弁護人は、「執行猶予を目指して頑張ろう」と励ましていた。事件後の7月12日、東京高裁で開かれた判決公判では、傍聴席の最前列中央に、その女性の姿が見られた。

 脱走計画はハミッドとボゾルギを中心に練られた。15分ごとの巡回があること、休日には警備が手薄になることはわかった。2月11日は建国記念日で日曜日、12日は振り替え休日。決行日は2月11日の深夜と決めた。
 房の中からは、外のようすはわからない。北側の窓から約30センチ離れたところに、目隠し用の板が立っているからだ。「外のようすは、ハミッドやメマンドから聞いた。面会や医者のところに行ったとき、資材置き場に梯子があるのを見たといった」(シャロッキーの供述)。
 塀を乗り越えるには、その梯子を使うことにした。外には監視カメラもある。ハミッドは、「カメラではなく、問題は電流だ」(シャロッキー)と考えていた。
 電流というのは、外塀の上に横に3本張ってある“防犯線”のことだ。この線に一定以上の圧力がかかると、線が切れ、同時に、庁舎内の監視セクションで警報がなる仕組みになっている。脱走計画の最終関門ともいうべきものだ。
 最初の関門は房から抜け出すこと。55年の脱走事件のときは、外側の窓の鉄格子を金ノコで切った。ハミッドたちの計画も、やはり、外窓の鉄格子を切る以外になかった。
 外窓は半円形の回転窓で、外側に鉄格子が縦に8本、横にも数本通っている。縦横十文字になっている鉄格子だが、縦の鉄格子の一部分を切断すれば、縦約47センチ、横約22センチの隙間ができる。房内にあったテーブルの高さがちょうど同じぐらいだった。かれらはそれを使って実験してみた。やせているため、全員通過できた。
 さて、残る問題は切断道具である。鉄格子の太さは直径約2.4センチ。テヘランから差し入れの糸ノコは使わなかった。ハミッドは別の金ノコを入手していた。2月に入ってから、ハミッドが長さ20センチほどの金ノコを仲間に見せている。「金ノコを見た時点で逃げられると思った」(ボゾルギ)。
 2月5日、メマンドの内妻であるフィリピン人女性から、ツナ缶3個の差し入れがあった。鉄格子を切るとき、「金ノコで削る音を消すのと、金ノコの歯を保護するため」(シャロッキー)、ツナ缶の残り油が必要だった。
 この女性は不法残留だったが、以前からメマンドにしばしば面会にきた。本も差し入れしている。脱走後、この本も調べられたが、何か隠してある物を取りだしたような跡が見つかった。もしかすると、ここに金ノコが隠されていたのかもしれない。
 金ノコと油を入手し、窓の鉄格子の切断にとりかかったのは、2月9日の夕方からだ。北側には三つの窓があるが、狙ったのは真ん中。
 ハミッドが金ノコで切りはじめる。外窓側を向いて一生懸命に切っているハミッドの姿を隠すため、メマンドやラゾギがその前に立つ。削る音を消すために、水道の水を出したり、トイレの水を流すのは、バンザーデやシャロッキー、看守の巡回を見張るのはボゾルギなど、それぞれが役割を分担した。シャロッキーはシーツを歯で切り裂いて、長いローブもつくった。
 切断作業は、2月10日、11日と断続的に続けられ、11日の夕方、切断作業を終えた。といっても、鉄格子を全部切り離したわけではない。上の部分は完全に切断したが、下部はほんの数ミリ切り残した。完全に切断すると、脱走前に発覚するおそれがあったからだ。
 予定どおり鉄格子の切断が終了し、前祝いの紅茶パーティーとなったのである。

(2021年10月29日まとめ・人名は仮名)



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