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法廷傍聴控え 覚せい剤密売イラン人グループ事件6

 6月22日、警視庁薬物対策課と蒲田署の合同捜査チームが、神田のマンション周辺に集結する。神保町交差点から水道橋駅に向かう大通りを左手に入り、1ブロックほど先にある6階建ての古いマンションだ。入口は通りの裏側、狭い路地に面している。
 捜査チームは、マンションを取り囲むように数地点に分かれ、各地点で無線を持ち、マンションの入口付近を見張っている捜査員からの連絡を待った。
 午後3時過ぎ、ヤザニがマンションを出たという連絡が入る。歩きだす方向に待機していた林と男性捜査員がアベックを装い、2人だけで尾行体制をとる。6月初旬から、すでに数回尾行し、行動確認を行っていた。

 ──6月22日以前、アスカとヤザニの追尾で、捜査員がまかれた経験はありますか。「捜査員はたくさんいますが、何名かはまかれるものもいました。22日、私と男性捜査員は、10メートルは離れない位置で追尾しました。ヤザニは道の脇のマンションの中へ入って、しばらくして出てくるという行動をしたり、後ろを振り返ったりすることは何度かありました」

 ヤザニは用心しながら水道橋駅方向へ早足で歩く。水道橋駅を通りすぎ、ファストフード店で男と接触した。その男が山下だった。林と男性捜査員は、ファストフードの前にある地下鉄入口の階段を少しおりたところで見張る。山下がヤザニから譲り受けた場面を目撃する。

 ──山下がヤザニと接触し、逮捕される間、ほかの外国人と接触したことはありましたか。
「だれとも接触していません」

 その3日後、ヤザニが、今度は佐藤三郎に大麻を譲り渡し、佐藤が大麻所持で現行犯逮捕された。林はその現場にもいた。

 ──佐藤に大麻を譲渡した者はだれですか。
「山下のときと同じ、ヤザニです」
 ──ヤザニと佐藤の接触状況を見た経過は。
「この日も、蒲田署と薬物対策課で同じような体制で、ヤザニのマンション周辺に待機していました。ヤザニが出てきたと連絡が入り、私は男性捜査員と一緒に追尾しました。途中、ヤザニはマンションや神社に入り、一度、車と接触して車の助手席に乗り、1、2分後、下りてきて、また歩きはじめました。ある路地に入ったとき、2人が接触しました。ヤザニが佐藤にブツを渡したのを見ました」

 薬物密売方法は非常に巧妙だ。

「薬物は身につけず、マンションの生け垣や石垣のすき間、クーラーの室外機に磁石で張りつけるなどして隠匿。携帯電話で連絡を受けた別の仲間が運んだが、その際も薬物をビニールと銀紙で包んで口の中に入れたり、下着の中に隠したりと、“細心”の注意を払っていた。
 移動の際も電車やタクシーを乗り継ぐほか、電車に乗るふりをして、ドアが閉まる直前に降り、反対側電車に飛び乗るなど、スパイさながらの警戒ぶりで捜査員を振り払おうとしていた」(『読売新聞』97年12月18日付夕刊)

 東京・歌舞伎町を拠点に薬物密売をしていたイラン人グループの方法である。

 捜査員6、7人で尾行をはじめたが、ヤザニの尾行をまくような行動のため、最終的には4人が残った。大通りから路地に曲がったところで、取引場面を目撃したのである。大麻と代金を引き換えると、すぐに2人は別れた。
 その直後、佐藤は逮捕される。佐藤は手にしていたものを路上に投げ出したが、大麻であった。

 ──佐藤がヤザニと接触した後、佐藤が逮捕されるまでの間、別の外国人と接触したことはありませんか。
「していません」

 弁護人も林に多くの質問をしたが、見たのはヤザニであると証言した。次の点は、検察官が尋ねなかったことである。

 ──アスカ、ヤザニが外でだれかと接触したことを確認したことは何回ありますか。
「外国人との接触はありませんが、日本人の客との接触は数多く見ました」
 ──何回ぐらい見たのですか。「20回から30回見ています」
 ──そのたびに、追尾し、客から事情を聞き、現行犯逮捕していたのですか。
「内偵当時は、2、3名で行動確認をしていましたので、逮捕にまで至っていません」

 陪席裁判官は、検察官、弁護人の聞かなかった点を尋ねる。

 ──6月22日、6月25日、山下、佐藤との接触後のヤザニに対する尾行はしなかったのですか。
「ほんとうでしたら、ヤザニも追尾しなければいけないのですが、山下のときは、2名で人が足りません。佐藤のときには4名でしたが、佐藤が暴れたので、全員で逮捕しました」
 ──6月25日、尾行中、ヤザニが車と接触しましたね。
「はい」
 ──車に乗っている人に大麻を譲り渡すということは考えなかったのですか。
「過去にも、車で買いに来たと思われるのが十数回ありましたが、車で来たものは、車をとめて現認することが難しいわけです。そのとき、捜査はしませんでした。大きな(捜査)体制をとらないとできません」
 ──車と接触した後も、ヤザニを追尾したのは、マンションに帰るようすもなく、歩き続けていたからですか。
「それ以前の行動確認で、ヤザニはどこからか薬物をとってきて、4、5人に渡すので、追尾を続けました」

 5番目の証人は佐藤である。短髪で、青い長袖シャツに草色のズボン、手錠と腰縄つきで、刑務官に連れられて出廷した。
 ヤザニから買った大麻0.628グラムを所持していたとして、98年9月9日、東京地裁で、懲役8月の判決を受け、現在、服役中だ。

 ──この法廷の中に、あなたに大麻を譲り渡した者がいますか。
「はい」
 ──ヤザニに間違いありませんか。
「はい」
 ──ヤザニから大麻は譲り受けたのは1回ですか。
「2回です」

 1回目は98年5月下旬ごろだった。買った場所も大体同じところである。「大麻がほしい」と思った佐藤は、以前、別の事件で警察の留置場に入っていたとき一緒だった男に入手ルートを教えてもらった。「トニーに電話したらどうか」というので、教えられたトニーの電話にかけると、ヤザニが大麻を持ってきた。
 6月25日にも同じ電話にかけた。代金は、2回とも2万円だった。

 ──6月25日、大麻はどういう状態でしたか。
「目薬のケースに入っていました」
 ──何か会話はありましたか。
「当時、サッカーのワールドカップをやっていて、かれのほうが、『日本は強いね』といい、ぼくが『イランも強いね』といいました。それだけです」

 佐藤の証言は簡単に終わり、再び、手錠、腰縄つきで退廷した。

 これで検察官の立証は終わり、99年2月22日、第6回公判から、弁護人が反証のための被告人質問を行う。最初に、アスカが証言席につく。かれは自分の言い分を饒舌に話した。そのポイントだけを聞いてみる。

 ──逮捕当時、何をやっていましたか。
「送金の仕事です」
 ──変造テレフォンカードを売って、生活していたのはいつごろですか。
「送金の仕事と同じ時期です」
 ──逮捕される1年前から、送金業をやり、変造テレカを売っていたのですか。
「はい」
 ──いつごろまで、テレカを売っていたのですか。
「5カ月ぐらい前です」
 ──仕事は送金業ということですが、客のリスト、口座のメモとかはありますか。
「あります」
 ──どこにありますか。
「ノートに書いてありましたが、なくしました」

(2021年11月1日まとめ・人名は仮名)




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