TGSライセンス問題 500万円が満額支払われないということに、なぜ熱くならないのか。


東京ゲームショウ2019のeスポーツの賞金競技大会で
賞金規約により、二人の選手が優勝賞金満額の500万円が
支払われないことにより、eスポーツあり方が大きく問われる
問題となりました。

この問題に対して「騒ぎにするなと」という人達がいます。
500万が支払われないということに、なぜ熱くなるのか
なぜ500万が支払われないことに、なんとも思わないのか。

ゴルフのような世界的スポーツですでにプロライセンスというものが
存在して、その世界に飛び込んだというのであれば、
プロ制度の賞金制度に従うというのはわかります。

しかしJesuライセンスはできて2年、
そして現在のCPT規約は2018年決勝大会2日目の
朝、ももち選手がベスト8で戦う日に、規約が変更されました。
そしてまだ、1年もたっていません。

もし最初の意義通りに、高額大会を開いて格闘ゲームシーンを
幸せにするのを目標としているならすぐに修正できるものです。

世界的人気スポーツのプロライセンスとはまるで成り立ちが違います。
最初にあくまで、格闘ゲームで高額賞金大会をつくるためという
意義と目標を示してるからです。

それを修正しないということは
最初から人を奴隷のように扱うことを計画して作られたことになります。
仕事の報酬を払わないことを前提とした規約を作って
それを押し通したことになります。

普通ならゲームシーンで熱くなってどうするのという感じで
ファンもいずれ冷めますが、
すでに格闘ゲームシーンのこととして見れてないのです。

既得権に立ち向かった人間が、仕事の報酬の500万を取られたというのは
あまりにひどすぎないかと思うのは、人の感情として普通のことです。
しかも誰も手を差し伸べず、ライセンス拒否したことすら責めあげる。
Jesuライセンスをゴルフの世界のように長い歴史のあるものとして捉えて
どうして今回のことは問題ないと思い込めれるのでしょうか。

ゴルフ、テニス、サッカーなどの世界的スポーツなら、
別世界すぎて他人事ですが
格闘ゲームシーンは規模が小さいためファンには身近すぎる出来事に
感じてしまうのです。

ライセンスプロが無関係な人間が騒ぐなと意見をするのも分かります。
格闘プロゲーマーはときに、ファンが自分のことのように近づくことに
うっと引いてしまうからです。

そしてライセンスのおかげでプロ達は、確実に潤ってきてます。
ファンとは一番違う目線にいるのです。

しかし自分たちはゲームシーンを守る正義を掲げておきながら、
片一方のライセンスの拒否する正義は認めない。
そもそも何故ゲームシーンを守ることに正義を掲げているのかと。
本来はお互いのライセンスの取得の話であるから、
正義を掲げる必要はないのです。

片一方が正義を掲げたからおかしい話になってるとは思いません。
問題は、最初のライセンスの経緯と、CPTでもももちさんに
最初に決められた支払うべき報酬を規約変更、規約解釈によって
変えられてしまったからこそ、それに対しての正しい法律の解釈と意義は
どこにあるのかと答えを求める騒ぎになっているのです。
そして、そういう当然の正義が発生しているのだとプロ制度を支持する
人達は理解するべきです。

賞金の満額500万円が支払われないという事実から、法律がどういう風に
なっているか懸命に理解しようとする騒ぎになるのは当然のことなのです。