ミクロな視点とマクロな視点の両立

部分的な最適解は、必ずしも全体的な最適解にはなり得ない。

全体的な最適解は、必ずしも部分的な最適解にはなり得ない。

そんな中で、部分的な最適解を求めるべきか、全体的な最適解を求めるべきか。

「部分を犠牲にしてでも、全体を求めるべし」というのが”正解”となりそうだが、本当にそうだろうか?

すべての部分の最適化が、全体の最適化につながるか?

それはそんな気がする。

だが、すべての部分を最適化できない場合も多くある。

だから、『いくつかの部分を犠牲にしてでも、全体を求めるべし』という考えが導かれるのだろう。それが”最適解”ということなのかもしれない。

”100%”でなくても良いということ。

何かを考えるとき、部分解を求めミクロな視点でものごとを見て判断しがちになる。でも、それは全体解にはつながらない。

必ず、マクロな視点や、ミクロな視点だとしても違った方向からの視点が必要になる。

自分でいくつもの視点を持つことはなかなか難しい。

であれば、他人の意見はとても重要。

思いもつかなかったような視点が得られるチャンスと捉えるか、自分への攻撃と捉えるか。

ミクロな視点とマクロな視点の両立。

生活や仕事の中で、なかなか実践できないことの一つ。

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