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#教会

サン・ロレンツォ聖堂

Basilica di San Lorenzo ドゥオーモ(大聖堂)広場から北へ伸びるマルテッリ通り(Via dei Martelli)を200メートルほど歩くと、左手に石積みのルネサンス様式の宮殿(メディチ・リッカルディ宮殿)があります。 そして、その角をすぐに左に曲がり、少し歩くと、レンガを積んだだけの未完成の教会ファサードが見えるはずです。それがメディチ家の菩提寺、サン・口レンツォ聖堂です。 この教会の由来は、聖アンブロジウスによって祝聖された393年に遡ります。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Cattedrale di Santa Maria del Fiore フィレンツェが都市として一大発展を遂げると、かつてのサンタ・レパラータ聖堂のあったところに、都市の全住人を収容可能な巨大な大聖堂建設の必要性が生まれ、1296年にアルノルフォ・ディ・カンビオが現在の大聖堂の基本的な姿を設計しました。 工事は1302年の彼の死によって一時中断したものの、1334年にはジョットを総監督として建設が続行されました。この時、ジョットは大聖堂の南側に隣接するように高さ81.75

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

Battistero di San Giovanni フィレンツェの歴史をひもとく時、そこにはいつもサン・ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)の聖堂があります。 フィレンツェを追放されたダンテは、流浪の日々にあっても、「わが麗しきサン・ジョヴァンニ」を心に描きつつ、「洗礼の日、深い聖盤の中にはまって溺れかけた子供を、私自身がそれを壊して救った」( 『神曲』地獄篇、第19歌)と語っています。 La Divina Commedia illumina Firenze, Domenic

サン・ロレンツォ聖堂

Basilica di San Lorenzo サン・ロレンツォ聖堂は、聖ラウレンティウス(イタリア語名はロレンツォ Lorenzo)に捧げられた、フィレンツェで最も古い教会のひとつです。 393年にミラノ司教聖アンブロシウス(イタリア語名はアンブロージョ Ambrogio)によって献堂され、その後、フィレンツェ司教聖ザノービの遺骸がサンタ・レパラータ教会に移管されるまでの300年間にわたって、フィレンツェ最初のドゥオーモ(duomo 司教座教会)として利用されました。

オルサンミケーレ教会

Chiesa di Orsanmichele 宗教権力の拠点であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とサン・ジョヴァンニ洗礼堂、そして政治権力の拠点であるヴェッキオ宮殿の広場のちょうど真ん中に位置する、一風変わった外観をもつ建物がオルサンミケーレ教会です。 この箱型の建物は、教会堂のようには見えず、ピエトラ・フォルテ(petra forte, 黄褐色砂岩)で建てられた頑丈な要塞のように見えます。 この教会の名前は、750年に建設されたサン・ミケーレ礼拝堂(Orato

オンニッサンティ教会

Chiesa di Ognissanti オンニッサンティ教会は、13世紀にロンバルディア地方からやってきた、ウミリアーティ会の修道士によって創設された教会ですが、16世紀には修道会が解散したため、メディチ家やヴェスプッチ家の保護を受けていたフランチェスコ会士たちに譲り渡されました。 1627年には堂内が全面的に改築され、1637年にはファサードが手直しされました。彩色陶板のルネッタが特徴的です。 後陣に接して建設されている鐘楼は13世紀の姿をとどめています。堂内は、1

サンタ・クローチェ聖堂

Basilica di Santa Croce サンタ・クローチェ聖堂は、同名の広場にある、フィレンツェにあるフランシスコ会の最も重要な教会のうちのひとつで、イタリアにおける代表的なゴシック建築のひとつです。 サンタ・クローチェ聖堂のはじまりは、アッシジの聖フランチェスコの死後、修道士たちがこの地に建てた小さな礼拝堂です。その後、信者が増えると共に建物は増築され、1252年には完全に改装されました。しかし、改装された教会も早々に不十分となり、1294年には再建することが決

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Cattedrale di Santa Maria del Fiore フィレンツェの守護聖女レパラータに捧げられたサンタ・レパラータ聖堂ですが、聖堂の正面に向き合って建つサン・ジョヴァンニ洗礼堂が完成したことにより、「(急速な発展をとげた)フィレンツェにとっては小さすぎる」と判断され、1293年に「彫刻で飾られ、すべて大理石でつくられた」聖堂に再構築することが決定されました。 1296年、アルノルフォ・ディ・カンビオが建築監督に任命され、約1世紀後の1412年に「花の聖

サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂

Basilica di San Miniato al Monte サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂は、フィレンツェが一望できる人気の観光スポット、ミケランジェロ広場から10分ほど坂を上がったところにあります。 聖ミニアートはフィレンツェ最初の殉教聖人で、伝説によれば、アルメニア王家の血を引く人物だと言われています。彼は現在のミケランジェロ広場近くの洞窟でひっそりと暮らしていましたが、3世紀半ばに捕らえられ、円形闘技場で処刑されることになりました。 煮えたぎった油や溶け

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

Battistero di San Giovanni サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属の正面玄関に向き合って立っているサン・ジョヴァンニ洗礼堂は、後にミケランジェロが「天国への門」と呼んで賞賛した東側の扉が有名ですが、内部の天井を覆うビザンチン様式の見事なモザイク画も見逃せません。外からは想像できないほどのきらびやかな世界が広がり、全面金色の世界には時間という概念はなく「永遠」だけが存在します。 サン・ジョヴァンニ洗礼堂が奉献されたのは1059年ですが、この当時

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

Battistero di San Giovanni サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属の洗礼堂です。 大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物で、ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築のひとつです。サン・ジョヴァンニとは、フィレンツェの守護聖人、洗礼者聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)のことです。 サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を構成する3つの建物(大聖堂、鐘楼、洗礼堂)の中で1番古

シエーナ大聖堂

Duomo di Siena (Cattedrale metropolitana di Santa Maria Assunta) 地味で控えめな建物が多いなかにあって、唯一白く輝いている華美な建物がシエーナ大聖堂(ドゥオーモ)です。大理石の横縞模様が印象的なこの建物は、シエーナ中心部のカステルヴェッキオの丘の上にあります。 大聖堂は、1220年代から建築が着工され、1264年には建物の大まかな工事を終えましたが、ファザードや内部装飾が完成したのは1370年代で、約150年

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ大聖堂

Basilica di Santa Maria degli Angeli サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ大聖堂は高い優雅なクーポラのある巨大な建物で、1568年から1679年にかけて、ガレアッツォ・アレッシの設計で建てられました。ファザード上部には金色に輝くマリア像もあり、見上げるほど巨大で圧巻です。 この聖堂の中に一歩入ると、とても不思議な光景が目に飛び込んできます。クーポラの真下、聖堂の中央に小さな「教会」があるのです。ポルツィウンコラと呼ばれるこの教会は、フラン

アッシージのサン・フランチェスコ大聖堂

Basilica di San Francesco d'Assisi サン・フランチェスコ大聖堂は、アッシージで生まれ、死後に、聖人に列せられたフランチェスコの功績を称えるために教皇グレゴリウス9世によって建設されました。 聖堂は丘の斜面に建っているため、この斜面を利用するために上堂・下堂の二層構造を持つことになりました。1128年に教皇グレゴリウス9世によって建設が始まり、1253年に完成しましたが、その後、何度も改修が繰り返されて現在の姿になりました。 1997年9