hideさんが旅立って今日で25年です。

X JAPANのギタリストの1人で私が
大好きだった、きっと最もファンに
愛された彼を惜しむ声は今も根強い
と聞きます。

彼の突然の訃報は、私の人生の忘れ
られない転機と重なります。
25年前の今日、当時22歳の私は
地元の病院の家族控室にいました。

父親が4日前に自宅で脳溢血で倒れ
て意識不明となり家族が交代で待機
していた日の朝でした。テレビの
ワイドショーから流れる事実に目と
耳を疑いました。

嘘であってほしい。
当時のhideさんはソロでブレイクし
てこれからもっともっと最高のロッ
クとファッション、その圧倒的な
存在感で世代を超えて人気を博して
いく,そうなるべきアーティスト
だったと思います。

X JAPANは前年、当時Toshiさんの
洗脳騒動に絡んで脱退したことが
きっかけで解散していたので、
hideさんの訃報は、
13歳で紅を聞いて以来、
大ファンだった私には辛すぎる
ニュースでした。

その4日後、父は一度も意識を取り
戻すことなく亡くなりました。
その間、築地本願寺で行われた葬儀
では沿道に数万人のファンが駆けつ
けて阿鼻叫喚する場面がテレビに
映し出されていました。

彼の後を追って自死する方が相次ぎ
Yoshikiさんが会場入口でテレビに
向かって「hideは喜ばない」と異例
の呼びかけをするほどでした。

一番好きなアーティストと父親をほ
ぼ同時に失った週、毎年、このゴー
ルデンウィークになるとこれまでは
思い出さないようにしていました。

でも今朝、出勤する時、雲ひとつ
ない青空が広がっていた時、ふと
hideさんのことを思い出しました。

元気ですか?

空に向かって呟きました。きっと
彼が眠るお墓にはファンが大勢駆け
つけて同じように彼に語りかけて
いることでしょう。

私はまだ行ったことはありません
が、いつかお参りに行ってみたいと
思います。

彼の最後の方の歌で私の大好きな
Hurry Go Roundという曲があり
ます。こんな歌詞があります。

蔦は絡まり 身は朽ち果てて
思い出の欠片 土に帰り
また 花となるでしょう
Like a merry-go-round & round
また 春に会いましょう

あの日見えなかった
愛でるべき花たち

今 日だまりの中 首かしげ
それでもやさしく 微笑んでいる

まわる まわる

こま切れの記憶の奥で 瞬く

涙も雨も 砂に呑み込まれて

急ぎ 廻れ 砕けても

果敢無く散るが故にも

今を待たずに
まわれ Hurry merry-go-round
生き溺れても
また 春に会いましょう
春に会いましょう
春に会いましょう

彼の残したメッセージではないかと
語られたりもしますが、私は多くの
ファンが思っているように彼は自死
ではなかったと信じています。

この曲を聴きながら多摩川にかかる
橋を渡っていた時、強い風が吹きま
した。

きっとhideさんも、親父もいつも
どこかから、彼らを愛する人たちを
きっと見守っていてくれている。

ふと、そんな気がしました。

とても心地よい風でした。
ありがとう。

また来年も、春に会いましょう。

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