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「話す人」より「引き出す人」の方が価値が高い! 【対話力 番外編】

私はよく「話す人より、引き出す人の方が価値が高い」という話をする。

たとえば、上司が部下にいろんなことを教えている場面、あるいはセミナー講師が受講生にレクチャーしている場面を想像してみて欲しい。

この場合、どうしたって「教える側」の方が価値が高いように感じるだろう。

「教えている側」>「教わっている側」

という構図。
普通に考えればそうなのだが、私には微妙な違和感がある。

最初に言っておくと、これは私の超個人的な見解で、私の視点はかなり歪でシニカルではある。

それを踏まえた上で言ってしまうと、そもそも「教える」という行為にはなかなかの「気持ちよさ」が伴う。

「先生、先生」なんて呼ばれてもてはやされたり、「勉強になりました!」「○○さんってスゴイですね」なんて言われれば、誰だって嬉しい。ご満悦になるのも当然だ。

すべての人がそうだとは言わないけれど、けっこうな割合で人は「教えたがり」。教えることに快感を覚え、そのポジションにつくことで承認欲求が満たされる。要するに “気持ちいい” のだ。

それが悪いという話でなく、そもそも「そういう構造」になっていることは(お互いに)認識しておいたほうがいい。

そして、その「気持ちいい行為」を成立させているのは誰か。
それがまさに「教わる人」である。

教える人の「気持ちよさ」を生み出しているのは紛れもなく「教わる人」。
私の価値基準で言えば「気持ちいい人」と「相手を気持ちよくさせている人」を比べれば、価値が高いのは後者で決まり。

これを私は『マッサージ理論』と呼んでいる。

マッサージは「気持ちいい人」と「気持ちよくしてくれる人」の関係で成り立っていて、「気持ちいい人」は「気持ちよくしてくれた人」にお金を払う。当然の関係だ。
それだけの「価値」を提供してくれたからだ。

マッサージ理論で言えば、「気持ちいい人」は「気持ちよくしてくれた人」にお金を払わなければいけない。


さて、上司と部下の飲み会を思い浮かべてみて欲しい。
上司が部下に(説教とまではいかないまでも)いい気分で指導的なことをペラペラ話したり、自分の体験談をがっつり、たっぷり、ご満悦になって話している場面はよくある。

そんなとき、部下は「勉強になりました!」「○○さんってスゴイんですね!」「ありがとうございました」などと言って相手を気持ちよくさせる。

この場合、上司は部下にお金を支払わなければいけない。
「いけない」は言い過ぎだとしても、お金を払った方がマッサージ理論的には筋が通る。

まあ、だから、上司が飲み代を全部払うことで、一応トントンになるのかなぁ・・・と私はなんとなくの落としどころを見つけている。
上司は部下に「話をしてやった」のではなく、「聴いてもらって、気持ちよくさせてもらった」のだ。

ーーー
このマッサージ理論はさまざまな場面で応用できる。

一対一でも、集団でもいいのだが、人が集まって話をしているとする。
そのときに「気持ちよくなっている人は誰か」。
そして「気持ちよくしているのは誰か」。

この視点で対話やコミュニケーションの風景を観察していると、本当に価値が高いのは誰かが見えてくる。

よほどの話術の達人でもない限り、自分が話すことで周りを気持ちよくさせることはむずかしい。
たいていは「話している本人」が一番気持ちよくなっている。

そして、ていねいに観察していると、その「気持ちよさ」を引き出している人がいる。巧妙に質問を投げかけたり、相手が喜ぶようなリアクションをしたりしている人だ。

この人の価値は本当に高いと思う。

「喜ぶ」「喜ばす」と言うと、ちょっと下世話な感じがするが、実際にはさまざまなミーティングや会議、対話、コミュニケーションにおいて質問やリアクション、あいずち、表情などによって「話しやすい雰囲気」を作り、対話に貢献している人がけっこういる。

少し真面目なことを言えば、こうした人の「対話への貢献」をもっとみんなが気づいたり、評価して欲しいと私は思っている。

どっちがより価値が高いか、なんて話はそれこそ下世話なのだが、やっぱり私は個人的に「話す人」より「引き出す人」の方が価値が高いと思っている。









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