ロンドン出向体験記
0. はじめに
(1) 自己紹介
日本の法律事務所に所属する弁護士。金融取引をメインに従事。現在はロンドンにて金融機関に出向中で、年明けに帰国予定の者。
(2) 目的
出向期間が終わりに近づいていることから、この機会に自分自身の振り返りを兼ねて、体験談をまとめたもの。
(3) 留保事項
この種の体験談で公開されているものはあまり見たことがないが、そもそも出向先や出向元との関係上、書けることが限られるから、わざわざリスクを負ってまで書いて公開する人はあまりいない。悩みながらも書ける範囲で多少なりとも参考になるものがあれば、という気持ちでまとめたが、後で修正や削除するかもしれない点はご容赦。
1. 弁護士の出向概論
出向の形態は、出向先にとっての目的から大まかに
①外注先常駐型
②人材交流型
の2つがある(独自説)。
①は単に外注先の物理的距離が近いという話。②は、出向者の研修や、出向元と出向先の関係構築を目的とするもの。弁護士の出向と聞くと、①を思い浮かべる人が多いかもしれないが、今回の私のケースは比較的②の要素が強めのものだった。
出向者に求められる役割も異なる。①は、内部で不足している専門的知見やマンパワーを補う目的があるので、要求水準は高く、その代わり報酬も高め。
一方②では、出向者の希望を聞きながら業務内容を調整することが可能な場面もあり、法律事務所の場合派遣されるのは比較的ジュニアな者が多い。
出向者の賃金の話をすると、法律事務所から出向する場合、出向先からの賃金見合いの報酬をパススルーで受領するケースと、事務所が独自に算出する報酬を受領するケースがあるが、この対応は、事務所の方針、出向の態様、出向先からの報酬額によって様々。今回の私のケースは前者。
以下関連ツイート。
2. 出向までの経緯
私は、アメリカのLLMに留学した後の海外研修の一環として、某金融機関へ出向してロンドンに赴任することになった。日本人弁護士だと法律事務所で研修する人が多いが、私の場合、上司のパートナーと相談しつつ、海外の金融実務を経験し、かつクライアントのビジネスサイドを深く理解するという観点から、当該上司からの紹介先を選んだ。出向先は、以前日本の弁護士を受入れていた時期もあったようだが、私の事務所からの受け入れは初めてだった。
なお、海外赴任の準備において、VISAは時間に余裕をもって準備することをお薦めする。私の場合、コロナの影響もあったが、スキームの検討から含めるとVISA取得まで半年以上時間がかかった。出向先側と出向者側それぞれで手続が必要となる。詳細は割愛するが、英国はVISAの審査が厳しいのでそれなりに神経を使った。
3. 出向先での体験
(1) 業務内容(ファイナンスに馴染みがない人はおそらく聞き慣れない用語が頻発するので適宜読み飛ばしてよいかも)
私はプロジェクトファイナンスのオリジネーションを担当する部署に配属してもらった。社員の出身地域はイギリスが多かったが、その他はフランスやドイツなどヨーロッパ出身の人達が中心だった。私の入ったチームは、私ともう一人日本人がいて、後はチームヘッドを含めイギリス人だった。
業務の分掌としては、プロジェクトの探知から貸付実行までを主導することになる。流れは、案件にもよるが大まかに以下のとおり。
① スポンサーやFAから案件の紹介をうける。
② NDA締結。先方から案件の情報開示をうける。
③ 先方に対して金利、金額、期間などファイナンス条件のインディケーションをする。
④ デューデリジェンス、プロジェクトのクレジットの社内決裁。
⑤ ドキュメンテーション、契約締結。
⑥ 貸付実行条件の充足確認、貸付実行。
このうち、DDレポートやドキュメンのレビューなどは、今後も弁護士として関わるだろう業務だが、個人的に最も興味深かったのが、③や④の過程で行うレーティング及びプライシングだ。
レーティングは、スポンサー、オフテイカー、EPCコントラクター、プロジェクト所在国などの信用力にそれぞれ点数をつけ、プロジェクトの内容や仕組みに応じた割合で掛けたものを足し合わせて、プロジェクトの総合評点を算出する作業だ。例えば、オフテイク契約上アベイラビリティベースで収益が確保できる場合はオフテイカー重視で、マーケットリスクをとるような場合は、スポンサー重視など。各要素をどうやって数値化し、どのくらいの比重で見るのか、こうしたレンダー内部の判断枠組みは、社内で長い間かけて作られた知恵の結晶のようなものであり、外部にいたらまずお目にかかれないものなので、非常に貴重で参考になった。以下のツイートにも関連するが、法務もこうした判断枠組みを理解しておくとストラクチャーや契約上のリスク分担の在り方を検討する際に役立つと思う。
評価したレーティングに応じて、取り得るプライシングの幅が決まる。レーティングが高ければプライシングの自由度は高まるが、レーティングが低いと、高めのプライシングでしか資金提供できないことになる。もっとも、提示する条件は、レーティングのみではなく、マーケットの水準、既往案件の条件、自社のポートフォリオなど様々な要素を勘案したうえで、デリバティブやエージェントフィーなど他のロールも組み合わせたパッケージで決めることになるので、かなり複雑。
(2) 業務の感想
自分はいくつも職場を経験してきたので、新しい環境での業務にもそれなりに耐性があると思っていたが、弁護士人生丸10年になって「法務以外の仕事」をしたのは初めてで、もはや「新しいことへの好奇心」よりも「慣れない業務へのストレス」が勝っていた。それくらい業務内容に隔たりを感じたということで、中でもきつかったのはエクセルの操作。自分は異職種への転職はもうできないかもなと思った。もし弁護士からPEファンドとかに転職を考えている人がいたら、若いうちに移った方がキャッチアップしやすいのは間違いないだろう。
また、社内のディスカッションは上述したレーティングやプライシングなどのコマーシャルな議論がコアとなるのだが、弁護士には馴染みがなく正直なところ話についていくのがやっとだった。ただ、フロントの業務を体験するというのは他では得難い貴重な機会だったと思う。財務モデル分析なども希望すればやる機会はもらえたと思うが、私生活でも変化があり余裕がなかったので、そこまではチャレンジできなかった。
加えて、出向期間の前半は完全にリモートワークで、後半になってようやく週1で出勤するようになったが、このようにリモートワーク中心だったことも、キャッチアップのハードルを一層高くしていたと思う。リモートワークでは以下の点で不都合を感じた。
・ちょっとしたこと(社内用語の意味やイントラネットのどこをクリックすると必要な情報が得られるかとか)が気軽に聞けない。わざわざ電話やメールするほどでもないのだが、新参者にはこのレベルの疑問が頻繁に湧いてくる。もしかしたらチームメイトも、対面に比べてリモートは巻き込むのに労力を要することから、声をかけづらいところがあったかもしれない。
・Web会議でしか顔が見えないので、何だか打ち解けにくい(気がする)。実際に顔を合わせてみて「この人意外と背が低かったんだ」という発見もあったりして、どこかホッとした気持ちになった。画面越しより直接会った後の方が親近感も湧き、Web会議でもコミュニケーションがとりやすい気がする。
・自分以外の人同士のコミュニケーションが聞けないのも痛い。他の人はどういった電話対応をしているか、他の案件ではどんなところが問題になっているか等、単に職場にいるだけで得られる情報はけっこう多いと思う。
・家だとついだらけてしまう。
ちなみに、正直なところ英語力はあまり向上した気はしない。一応毎日チームミーティングがあったり、上司へのプレゼンを担当したり英語を喋る機会はそれなりにあったものの、リモートワーク中心で、やはり生活の中で家族との日本語でのコミュニケーションが大半を占めていたからだろう。ただ、これはこれで育児面でのメリットが大きかったので仕方ないことだと考えている。日本に帰ってからも気長に学習を継続していこうと思っているところ。
(3) フロントから見た法務
プロジェクトを進める中で法務とやりとりをする機会もあるのだが、担当によってやり易さの違いを感じた。やりやすいのは、レスが早く、イシューの評価(軽重付け)が適切にできている人。トランザクションではスピードが大事で、あまり重要と思えないイシューについて延々とやりとりするのはフラストレーションがたまる。
と言っても単にフロントに迎合するだけでは法務の役割を果たしていることにはならない。法的イシューを適切に評価するには、ビジネスの理解が必須であると思う。当たり前だが、ビジネスは様々な分野で構成されていて(プロジェクトファイナンスであれば、会計、財務、審査、環境、保険など)、法務の割合というのはほんの一部に過ぎない。これをフロントに行って体感できたのは、貴重な経験だったと思う。こういったバランス感覚を養うことを目的に、法務パーソンも事業部を経験してみる価値はあると思った。
もう一つ印象的だったのが、同僚から「法務にどこまで情報を伝えるか」という問いを何回か受けたことだ。きっと現実には現場で握りつぶされている問題も多いんだろうなと想像できた。
以下関連ツイート。
(4) マーケティング
法律事務所から出向する弁護士は、「できたら事務所に戻った後にこの出向先から案件受注したいな」と考えるのが自然な発想だと思うが、予想はしていたものの、今回の出向ではその手ごたえはあまり得られなかった。
プロファイ部隊は、主に現地採用のスタッフで構成されており、ドキュメンテーションやデューデリジェンスなどのリーガルワークは英語のみで完結し、ファイナンス契約の準拠法は英国法なので日本法が問題になることは殆どない。つまり日本人弁護士の強みが生かせる場面はないのだ。なお、出向期間中に部内で日本法が問題になったのは、私が認識する限り1回だけだった。
以下は以前私が書いた記事だが、今回の出向を通じてこの見方はより強固になった。
もっとも、今回の出向は、あくまでクライアントのビジネスを理解し海外で実務経験を積むことが主目的で、これについては一定程度達成できたと思う。
その他、マーケティングに関する収穫としては、マーケットを見る目が養われたように思われる。金融機関にとって、ビジネスになりうる国、セクターが何なのか、今後どういう形態の取引が増えるか、背景事情を理解することによって、ある程度予測ができるようになったと思う。これをもとに今後の自分の注力分野を定め、来年セミナーでも企画しようかと考えているところ。
(5) キャリア
これは以前からも思っていることだが、法律事務所や法務部内の経験だけでは、やはり想像力に限界があって、外に出ないと得られない視点は確実にあると思う。出向は転職に比べると手軽にそういった機会が得られる手段といえる。ちなみに、出向先の居心地がよくて法律事務所から転籍してインハウスになったという事例も割と聞く。
自分の今後のキャリア展望の話をすると、自分の経歴は明らかに金融色が強く、今回の経験を活かして、引き続き金融関連の業務を軸にしていこうというのが基本路線ではある。ただ一方で、専門化については悩ましいところもあり、気になっているのは「世界の狭さ」と「飽き」の問題だ。先輩のファイナンス弁護士で「ぶっちゃけ飽きた」などと言っている人も実はいたりする。以下は以前ファイナンス弁護士の特徴をツイートしたもの。
なので、今後は金融を軸にしつつも、もう少し幅広い業務をやっていきたいと思う。
そして、より重視したいのは、クライアントと直接関係を築いて自分でハンドリングできる範囲を広げること。
海外に来たのは、自分のキャリアを見つめ直すという意味でもよい機会だった。これまでの職業人生を振り返ると、充実していた仕事って、単純作業的なものではなくて、自分の裁量で、主体的に責任をもってやり遂げた時だった(それがクライアントや仕事相手に認めてもらえればこの上ない)。
以下関連ツイート。
来年は帰国して事務所に復帰するが、個人の顧客はゼロからのスタートだ。日本法プラクティスからは遠ざかっていて不安もあるが、新しい挑戦は楽しみでもある。
4. 私生活
最後にプライベートの話を少々。私にとってロンドンでの一番大きな出来事は仕事関連ではなく、次男の誕生だった。
コロナ禍での海外の出産は不安もあったが、母子ともに健康で無事に出産を終えることができて心から安堵した。コロナ禍で実家などからサポートしてもらうのが難しかったので、これまでは全て夫婦二人で子供たちの面倒をみている。リモートワークのお陰で家族と過ごす時間が沢山持てたのが幸いした。
妻は「もっと長くロンドンにいたかった」と、ここ最近毎日のように言っていて、これは個人的には海外生活で一番の成果だと思っている。妻は、出国前は海外生活を望んでいたわけではなく、慣れない環境にストレスを感じるタイプ。そんな妻が名残惜しそうにしているのは、夫婦で子育てが協力してできていて、住環境や周囲の人間関係を良好に維持できているからであるはず。
この先何十年も一緒にいるだろう人と幸せな思い出を共有できるのは、自分にとって大きな財産で、きっと今後の人生で、長男の学校での出来事や、次男が生まれた時のこととか、写真を見ながらここでの生活を何度も振り返って幸せを噛みしめるんだろうなあと思う。コロナの影響も受けたけど、家族でイギリス来れて本当によかった。
これから家族で海外留学を検討される方は、法律事務所からだと金銭的にそこまで余裕はないのだが、住むエリアや住環境は妥協し過ぎないことをお勧めする。
以上、駆け足で出向生活を振り返ったつもりだったが長くなってきたのでこの辺りで筆をおくことにする。
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