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「極夜」Outtakes Part 2 “隼野×津田”

シリーズ完結篇『極夜3 リデンプション 警視庁機動分析捜査官・天埜唯』、発売となりました。
『極夜』シリーズには、本編に入れられなかった幻の場面がいくつかあります。それをここで、特別に公開します。『極夜』の作品世界を愛してくださった皆さんへのささやかなプレゼントです。

・Part 2 “隼野×津田”
 隼野一成(捜査一課主任刑事)と、津田淳吾(捜査支援分析センター機動分析3係)の、ある日の会話です。“死刑”をめぐり、二人の対話は広がります。

「ボランティア精神ってのは、厄介だな」
 隼野は悪ぶった顔をしてみせる。何か言いたげな津田を挑発したい欲求が膨らんだ。
「死刑囚と結婚する奴がいるだろ。あんなお為ごかし……何の意味がある。すぐ死ぬのに。触れ合うこともできないのに、結婚なんてよ」
 自分がこんなことを考えていたとは、自分で意外だった。だが会話の行きがかり上だ。ちょっとしたストレス解消だ。なにが悪い、と開き直った。
「どんな教えに基づいての行動か知らんけど、死刑囚は、死刑に値する罪で捕まって、裁かれて、刑を執行されるんだ。安易な救いはかえって毒だろう」
「あなたこそ安易だ!」
 津田はいきなり声を上げた。隼野は凝固する。そして、自分の不用意な発言をたっぷり後悔させられる羽目になった。
「死刑制度は明白な悪です。国家による殺人、取り返しのつかない究極の制裁は、イコール人類にとっての罪です。そんなことも知らないで刑事をやってるんですか?」
 ああ、やっぱりこの男は厄介な奴だった。
「あなた、法学部出身ですよね? 何を考えて勉強してたんですか」
「いや……俺は、なにも……」
「世界的に、死刑廃止の方向に進んでいることは習ったでしょう。どうしてだか学んだはずだ。授業中寝てたんですか?」
「待てよ。落ち着け」
 すっかりこいつの地雷を踏んでしまった。思わず逃げ出したくなる。
「お前が言いたいのは、冤罪問題だろ? たしかに冤罪をゼロにできないのは悲惨な話だが、しょうがないところもある」
「いいえ。一番のポイントはそこじゃありません」
 頭ごなしに否定される。
「殺人を犯した者に対する罰が、同じ殺人だというところが完全に矛盾している。殺人という罪を罰するのに、なぜ相手と同じ手段を使うんですか?」
 隼野が首を捻ると、津田は苛立しげに身体を震わせ、それからすぐ、右手で左肩を押さえた。どうやら両手を上げて頭を掻きむしろうとしたようだ。いまはそれができないことを忘れるほど興奮している。
「その瞬間に相手を非難できなくなるんですよ!」
 だが口は止まらない。むしろ勢いが増している。
「同じ手段を取ったことで、相手と同じレベルに堕ちるんですから」
「……お前は何を言ってるんだ?」
 頭でっかちな者特有の屁理屈が飛び出してきて、隼野は実際に視線を彷徨わせて逃げ道を探した。こいつは蜂なんかよりよほど厄介だ。
「隼野さん。答えてください」
 だが津田の身体の重心が低い。まるでこれから取っ組み合おうとする輩のテンションだった。
「あなたは、殺人犯を捕らえる捜査一課の刑事だ。なのになぜ、殺人を認めるんですか? 国家だけは殺人をしても許されるんですか?」
「殺人と、死刑は……違うだろうが」
 深入りはやめろ。内部の警告の声が聞こえたのに、隼野は言ってしまった。
「違いません。同じ殺人です」
 津田は待ってましたとばかりに声を張った。
「考えれば分かるはずですよ? 自分が言っていることの矛盾が。ねえ隼野さん。近代に於いて、〝報復殺人〟は認められていますか?」
「いや……」
 答えたくなどない。答えは明瞭だからだ。
「認められていませんね。当然だ。血で血を争う地獄になるからです。なのに死刑は認めるという。では重ねて質問です。死刑は、凶悪犯罪を抑止することに効果がある。これは事実ですか?」
 これにも答えない。答えを知っていたからだ。少なくとも欧州の研究では、死刑の有無によって凶悪犯罪発生率に有意な差は認められないという結論がくだっている。
「ご存じのようですね。死刑の犯罪抑止効果などただの俗説であり、日本ではまかり通ってしまっていますが、まったくのデマです。大衆は俗説に毒されて視野狭窄に陥っている。むしろ、死刑があるからこそ、「死刑になりたくて人を殺した」なんて殺人者が出てくる始末だ。死刑存置によって殺人を促したわけです。そんなことが許されますか?」
 一瞬、津田の怒りに隼野は共鳴した。それはその通りだと納得する。
 そこで津田は、少し勢いを収めてくれた。
「しかし、日本人が騙されるのは、致し方ないところもあります。日本では社会実験すらできませんからね。死刑がなくなった時代が、一度もないので」
 指摘通りだった。日本では死刑は“常識”になってしまっている。死刑がなくなるなど想像したことがない。
「お前、山本功夫さんと気が合いそうだな」
 閃きのままに隼野は指摘した。
「そうか、山本さんの影響か。本で、いまお前が言ったようなことを書いてたな。たしか」
「影響というより、“ただ一つの真実”だというだけです」
 津田は憐れむような表情になった。
「まともにものを考えている人は同じ真理に到達する。しっかり考えれば、道筋は一つなんです」
 ああ、この陶酔したような物言い。宗教的な熱狂を思わせる。苦手だ――隼野は眉を顰めた。こういう手合いとは話が成り立たない。
「津田。山本さんを捕まえて話せよ……俺には、無理だ」
「隼野さん。遺族感情の問題を言いたいんでしょう」
 だが津田はディベートを続けようとする。隼野の内心まで読んで決めつけてくる。
「遺族の無念はどうするんだ? 残された人々は報われない。なぜ、殺人者をのうのうと
生かしておく? 日本で最も声高に叫ばれるのが、この類いの感情論でしょうね。浪花節の残るこの国では、とてももっともらしく響きます。しかし、遺族感情も一様ではない」
「そんなことは……分かってる」
「そうですか。では、家族を奪われながら、死刑に反対した人も存在することもご存じですね」
 隼野は押し黙る。聞いたことはあるが、詳しく知っているわけではない。
「そんなの、少数派だろ……」
「たしかに。おっしゃるとおりです」
 津田は深く頷く。
「しかし、その事実が、図らずも真実を語っています。分かりますか?」
 隼野はだんまりを決め込んだ。まともに受けるから終わらないのだ。
 だが津田は意に介さない。完全に火が点いている。
「死刑は復讐以外の何ものでもない。という、揺るがしがたい事実です」
 否定できない。隼野はそう感じた。
「そして、復讐は殺人に他ならない。死刑という名前をつけようと、正義の裁きなんて美辞麗句を使おうと、殺人は殺人でしかない。殺人は人間にとって、血塗られた罪です。呪わしい罪悪です。みんなそこから目を逸らす」
 実際に、自分はいま津田から目を逸らしいる。と隼野は思った。向き合いたくない。この男の言葉をまともに耳に入れたくない。
「死刑は、復讐殺人のためにのみ存在するのです。現代では、表向きは否定されているはずの報復殺人を、国家が肩代わりしている。これを否定できますか?」
「お前が言うのか」
 ついいきり立つ。隼野の胸の底に溜まっていた感情がいきなり沸騰した。
「天埜はどうなんだ。あの女も殺人者だ」
「……個別のケースは改めてやりましょう」
「逃げるのか?」
 津田の冷静さが気に食わなかった。
「いいえ」
 という答えも落ち着いている。
「一つだけ注釈をつけるなら、彼女は病気の子どもだったのです。通常の殺人者とは区別されます」
「…………」
 納得しきったわけではない。だが隼野は、とりあえず矛を収めた。事実だと感じたからだ。
「話を戻しますね。死刑には犯罪抑止効果がないのです。なのに殺人者を殺す。これは、報復殺人ではありませんか?」
「まあ、治安維持になってないって言うんなら、そうかも知れないが……じゃあ、どんな刑罰がふさわしいんだよ」
 隼野は、引き下がるつもりはなかった。津田を絶対正義と認められない。
「家族を殺された人間に、理屈は通じない。納得しないぞ。死刑にしてくれ、と訴え続ける人たちが絶えないだろう」
「そうかも知れません」
 津田は太い眉を上下させ、溜息をついた。
「死刑にしないなら、どんな罰を与えるのか。必ずそう問われます」
 津田はすでに答弁を保持している。考え尽くしているという自信があるのだ。
 隼野は面白くなかった。自分が、万全な待ち伏せ攻撃に引っかかったカモだと感じた。
「マックスは、終身刑です」
 その予想通りの答えに、隼野はげんなりした。
「そう言うだろうと思ったよ」
「はい。でも、そうなんです」
 津田の方も、隼野の反応は予測していた。
「終身刑は、無期懲役とは違う。それはご存じですよね? 終身刑はより重く、社会復帰の芽がない。つまり〝社会人としての死〟です。もはや社会生活に復帰して、だれかを傷つける心配はない。なぜ、これでいけないのでしょう」
「税金で死ぬまで養うのか、という批判が出る」
「はい。でも、落ち着いて考えましょう。税金で殺人を犯す方がマシだと?」
 間違いない。この男は、他のだれかとも死刑をテーマにディベートした経験があるに違いなかった。厄介すぎる。
 だが、隼野は会話をやめようとは思わなかった。負けた気分になりたくないのもある。だがそもそも、とことんまで突き詰めて考えてみたいとは思っていたのだ。たいていの人間は考えていないから、深く話す前に終わってしまう。だが津田は違う。
 法学に喜びを感じていた学生時代の感覚も戻ってきた。曖昧にしか捉えられない〝正義〟という観念を、どうにか形にしようとしているところが法律の面白くも脆いところで、隼野は法律の条文を覚えたり、司法試験を受けることには情熱を覚えられず、むしろ法律の歴史や、法律と格闘してきた法学者や思想家や哲学者の本を読むのが好きだった。この津田淳吾も同じ資質を持っている。
 ならば、酔狂だが、とことんまで話をするのもいい。どうせ捨て鉢な気分なのだ。
「正しい裁き。報い。贖罪。難しい問題です。あらゆる宗教や哲学の中心テーマでもありますね」
 津田はしたり顔で言った。隼野は混ぜっ返したくなる。
「まさに宗教だろ? お前が、なにを信じてるのかは知らないが……普遍的な答えを出すのは、難しい」
「難しいからといって、放っておいていいはずはありませんね」
 津田はすかさず指摘した。
「隼野さんは追求したい気持ちを持ってる」
「持ってるが、お前に答えを求めてるわけじゃないんだけどな」
「まあ、いいじゃいないですか」
 津田はようやく笑った。言いたいことを言えている。相手も、ある程度はまともに対話しようとしてくれている。そう感じているのが分かる。
 さらに一歩踏み込んできた。
「さて、隼野さん。殺人者が、死という刑を受けることで、罪は贖われるのでしょうか」
「贖い」
 隼野は、呟くだけで口を閉ざした。
 それから、手振りだけで津田に先を促す。
「少し、話が飛躍したように聞こえる。それは承知しています」
 津田は頷いて続けた。
「でもよく考えてください、隼野さん。報復殺人で、暗い復讐の欲望は満たされるかも知れない。だがそれだけです。
罪そのものは消滅しない。むしろ、新たな罪が一つ増えるだけです。だれも救われない」
「待てよ」
 隼野は穏やかに口を挟んだ。
「救われた、と感じる人も多いだろう」
「だれかが殺されたことで、ですか? だれかの命が救われたことで、ではなくて?」
 津田の言い分が分かりかけた気がした。もちろん頷きはしないが。
「復讐とは後ろ向きの解決です。しかも、新たな殺人を必要とする。しかし、意識を殺人者、加害者に向けるのではではなく、被害者を出さない方に向ける。これが前向きな解決です。どちらが生産的でしょう?」
 論理的にはこの男が正しいのかも知れない。隼野は、素直にそう感じた。
 だが問題は、人間が論理的な生き物ではないということだ。
「家族を殺された人には通じないよ。理屈は」
 隼野はあくまで穏やかに言った。
「おっしゃる通りです。だがら、説得を続けるんです」
 津田は破顔一笑した。その曇りのなさに隼野はたじろぐ。
「感情に押し流されて、新たな殺人を重ねることが解決になるのか? むしろ問題をこじらせて、新たな罪と不幸を生むだけではないのか? 僕は、そう言い続けます」
 この男は伝道師になるつもりだ。ご苦労なことだと思った。
「殺人者の罪の贖いはただ一つ。新たな殺人を防ぐこと」
 津田が言い切り、隼野は頭を振る。素直に反応できない自分への悲しさもある。だが、ただ受け入れるわけにはいかない。
「殺人者自体を生み出さないようにすること。そうして、一人でも多くの人命を救うことです。それ以外に、罪を消す方法はない」
「お前の信じてる宗教の考え方か? 気持ち悪いな」
 隼野は、茶化すことを選んだ。だが津田の顔は明るいまま。
「なんとでも言ってください。僕は、科学だと思っています。論理的な帰結ですよ」
 不動の自信が小憎らしい。隼野はもっと茶化したくなったが、津田の笑みに押し負けた。
「どうして非生産的な方向に向かうんです? 殺したら殺し返すのではない。殺人を無くすために力を尽くすんです。いちばんいいのは、それを殺人を犯した者自身がやる。隼野さん、これ以上に正しい因果関係があるでしょうか?」
「因果関係」
 使い慣れない単語を口に含んだあと、隼野は凄んでみせた。
「貴様……天埜を擁護するためなら、何でもする気だな」
「それは邪推です!」
「なにが因果関係だ。机上の空論だ」
 隼野は凄んだ。相手の隙を見つけたのだ。隼野から見れば、そこが津田の急所だった。
「人殺しが、人殺しを無くすようにするなんて、できるわけがない」
「おっしゃるとおりです。ほとんどの殺人者は低劣な人格しか持っていない。ところが」
 津田の顔に浮かんだ笑みは消えない。いまやそれは、慈悲深い仏像のように見えた。
「例外がいます。本当に、稀有なことですが」
「それが天埜だって言いたいんだろうが……それは成り立たない」
 隼野は相手の土俵に乗っかっている自覚があった。負けているつもりはないのに、いつの間にか押されている。勝負を降りればいいのだが、とっさに土俵を下りる道が見つからない。
「どうやって……証明するんだ? あいつだけが、違うってことを」
「証明している最中です。僕も、物的証拠は提示できません」
 サバサバとした諦め。できるなら、津田は肩を竦めていただろう。
「だから今は、信じてくださいとしかお願いできないわけです」
「信じる奴は、ただの馬鹿だ」
「はは。おっしゃるとおりです」
 津田は右手で自分の頭を叩いた。だが顔は、いままででいちばん明るい。
「でも、僕は信じています。証明は可能だと」
「おめでたすぎる」
 隼野が言うと、津田はますます笑顔になった。

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