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【バングラ募金で感じたこと】

きっかけ

4月の初めに、募金を始めました。バングラデシュの首都ダッカの、スラムに住む子どもたちを支援する募金です。
ダッカではコロナの影響により、ロックダウン(都市封鎖)が続いています。
学校は休みになり(給食が唯一の食事)、仕事がなくなり、その日を生きるための食料を得ることさえ困難な状況が続いているとのことです。

僕は今年の2月(コロナで騒がれる直前)にそこのスラムの子どもたちが通う学校に行ってきました。
そこで瞳がキラッキラの子どもたちと仲良くなりました。
彼らは瞬間、瞬間を最高に輝いて生きていました。
音楽が大好きで、ダンスが大好きで、人が大好きな子どもたち。

そんな彼らが危ないということを聞き、餓死するかもと想像した時に、自分がするべきことを感じ動きました。

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どうする

最初はFacebookとかで色んな人に知ってもらおうと思って発信したのですが、SNSってなかなか広がらない。
世界中とつながってる!…なんてことはなく、そもそも友達もそんなに多いほうじゃない。

ここで発信を続けるより、自分に向いてるのは実際に動いて知ってもらうほうやろ。
ということで、地元のショッピングセンターの玄関で募金をさせてもらおう、と思いつきました。

そこは、昔からあるショッピングセンターなのですが、地元を盛り上げたり、利用する人が増えたらいいなって思ってました。
(話はちょっとそれますが、
大人が楽しんでたり、面白いことしてたり、挑戦をしてたり。田舎の小さい街で、そんな雰囲気を子どもが感じてるのってすごい大事なことなんじゃないかなって思ってます。)
以前も何回かイベントで使わせてもらったりしていて、快くOKも頂きました。

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イメージ

僕の中に勝手な募金のイメージっていうのがあって、それとは違う感じにやりたいとぼんやりと思ってました。

・自分の主張を押し付けない
・通りすがりの人が罪悪感を感じない
・見た人が元気になったり笑顔になる

そんな募金にしたかったんです。

しかも、今、世の中コロナで自粛ばかり。仕事も制限され、子どもたちも制限され、イライラとかストレスとか不安でいっぱいです。
そんな雰囲気もどうにかしたかったし、身の回りの人の応援もしたかったので、音楽でつながって募金をしよう!って思いました。

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順調な2週間

そうなんです。最初の2週間は、たくさん募金もしてもらえて、順調な感じがしていました。
毎日、2時間ギター弾きながら歌って、募金活動をさせてもらいました。
「音楽でつながった友達を音楽で助けたい」
「コロナの落ち込んだ雰囲気もなんとかしたい」

雰囲気はすごい難しかったですけど(勝手に盛り上がってたり、自己満足ってとられないように)、あまり得意じゃない歌とギターもちょっと上手くなった気もします。

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日に日に悪くなる雰囲気

テレビとかで報道されるコロナの状況が悪くなればなるほど、だんだんと風当たりも厳しくなってきました。
「こんな時にいったい何をやってるんだ」みたいな。
そして田舎の小さい街なので、元々いいように思ってない人がいたのも感じていました。

そして、3週間目からは
「こんなご時世だから、歌ったり目立つことは控えてもらえますか?やるのも平日だけで1日置きくらいで」ということになりました。
何件かクレームもあったみたいです。

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こんな日本が大変な時期に…

「なんでバングラデシュやねん!」
この言葉、何回もぶち当たりました。
直接言われたり、顔に出てたり。
そんな雰囲気で溢れてました。

実際に言い合いになった事もあります。
伝わりにくいのは自覚してたから、何を言われても仕方がないとは思ってましたが、
「そんなにバングラデシュの募金したいんやったら、ここじゃなくてバングラデシュ行ってやれや!」
で堪えきれなくなりました。

分かるんです。
自分も何も知らずに、逆の立場やったらきっと思ってるはず。
日本が大変な時期なんやから、日本の困ってる人のためになることしたらどうなん?
そんな遠い国の全然関係ない人のためにって今やることなん?って。

一瞬だけ見たイメージでこの人はこういう事をしてるんやろうな。って判断されてしまうので、なかなか理解してもらうのは難しいです。
説明を書いてても読んでもらえないし、立ち止まってももらえないし。

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関係ないどころではない

僕も全然!気づいてなくて、
遠い国の関係ない人のことやと思ってました。

でも彼らは、
関係ないどころか、僕の生活を支えてくれてる。
もっとキツイ言い方をすれば、僕のために辛い思いをしてくれてる、この社会の中の被害者なのだと最近思っています。

ユニクロとかH&Mとか
ファストファッションと呼ばれる仕組みの中で、安い賃金で働くしかない、
生活を豊かにしようにも、しようがない立場なんです。

そしてコロナのパニックで世界の経済が停滞して、
まずどこよりも1番に影響を受けて、今日の食べる物までなくなってしまうような状況なんです。

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矛盾

そんな状況や自分の思いを、イライラした人に説明できる技術もなく、ぶつかり、自分の中にもモヤモヤが溜まっていきました。

自分の主張を押し付けたくない。
押し付けると余計に人は嫌がるし、そもそも人のことをコントロールすることなんてできないし。

4月いっぱいは続けると決めていたので、色んな矛盾を感じながら募金を続けてました。

こんな雰囲気の中、続けても
理解されるのか?
意味あるのか?
嫌な思いをさせるだけじゃないか?

歌ったりも出来ず、この時期に募金を呼びかけるだけじゃ、応援するどころか、ただの空気読めない人やん。

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種をまく。水をやる。

そんな中でもなんとか続けてきました。

実際に子どもたちが食べることができるようになるということ。
温かく声をかけてくれる人や、近くで応援してくれる人もいたのが大きかったです。

ずっとやっているから何となく気にかけてくれてて、帰りに小銭を入れてくれたり、理解してくれる人も増えてきました。
理解というか、雰囲気を読んでくれたんですかね。

「どうやったらいいのか」ばかりを気にしてた時もあったのですが、
結局、人に伝わるのって、やり方じゃなくて姿勢なんですね。
雰囲気で大体伝わっちゃうし、人にはそれを感じとる能力がもともと備わってる。

たぶん、というか絶対
バングラデシュだけじゃなくて、世界中で同じような弱い立場の人がいて苦しんでるはずです。
その人たちの声はなかなか僕たちまで届きません。
繋がってるなんて、思ってもみないんです。

だから
きっかけとして
「ん?」ってなるだけでもいい。
発信することって大事やなって気づきました。

結果ばっかり見てても
なかなか芽が出なかったらしんどい。
でも、今は気にせずに
種をまいて、水をやり続けてるんやと思うようにしました。
募金がどうこうでもなくて。

周りに不快な思いをさせてしまうかも知れんけど、何も気づかれずにスルーされるよりはいいのかも。
自分の気持ちにストレートに立って、言葉にしてたらいいし。
種がまかれたときの異物感くらいは逆に残してもいいんちゃう?くらいの。

日本の困ってる人のことは、みんなが気づき始めてるから、僕じゃなくても誰かお願い!

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NO REASON

むかーし、コカコーラのキャッチコピーにあったようなフレーズやけど。

なんでこんな事をするか説明できんし、理由はないです。
理屈とか嫌いやし。
だいたい言葉であれこれ言ってても、やった方が早いし、やればいいやん?ってなります笑
やらな分からんことばっかりです。

自分の心の声に従って、迷わずやろう。迷っても行動しよう。
ダサい1歩でも、足出した人にしか見えない景色があります。絶対。

今回、しんどい時期にたまたま見つけた「使命感」って言葉にも救われました。
理由はないんです。
でもやらなあかん。

僕たちは生まれた時から
加害者でした。
気づかなかったけど。
もしかしたら
被害者といってもいいのかも。
このことはどうしようもない。

でもだから何の責任もない
何も出来ることがない
自分と関係ない
なんてことはまったくない!

それは嬉しいことに!
自分で何とかできるし、
未来も作れるし、
全部、自分と繋がってる。

今まで散々外に向けてきた矢印。
自分に向ける作業をしていきます。

優しさを回そう。
愛を回そう。
笑顔の未来にしていこう。

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