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日常 vs 非日常。

身体中で感じてる衝動に
頭がまったく追いつかなく言葉が出てこない。

ちょっと前に訪れた佐賀県の武雄温泉で
そのめちゃくちゃ深い喜びと悔しさを感じのでした。

国登録記念物の名勝地
御船山楽園で開催されていた
「チームラボ」による展覧会


『 かみさまがすまう森 』


御船山楽園の庭園内にある
樹齢3000年以上の神木をはじめ
洞窟、巨石、池、谷などの自然を生かした
アートプロジェクトです。

これが、ほんとスゴかったんです…

1845年に開園した
御船山楽園の自然はそのままでも圧倒的ですが
チームラボのデジタルテクノロジーが加わることで
その自然へのスケール感がさらに増していって
途中から自分が2020年に生きていることや
佐賀県にいることなどがわからなくなってきて。

気づいたら
日本の自然や歴史への敬意を抱いていて
日本で生まれ育ったことへの誇りを感じている自分が。



ミュージシャンの高木正勝さんが
著書で述べていたこの話しが頭に思い浮かんでいました。


『 僕、自分の人生で
 究極的に何がしたいかといったら
 感覚を広げたいだけなんじゃないか
 と思えてきたんです。

 解像度を上げたいというか
 今まで見えてなかったところまで
 ちゃんと味わいたい。

 本当だったら100まであるところを
 30くらいしか味わってなかったら
 もったいないですよね。

 ピアノを弾いていても
 毎日少しずつ発見があって
 今まで何で気付いてなかったんだろう
 っていう単純な事実に驚かされるんです。

 ここまでだと思ってたのに
 こんなに味わえるんだ!って。

 そういうときが生きていて一番楽しいし
 それしか求めてない気がします。

 本を読んだり、誰かと話したり
 何かを経験したりするのも
 まだこんなにあったんやって感じたいから。

 なんとはなしの不満や不安
 欠乏を感じているのって
 それが感じられないときだと思うんです 』


今まで見ていたのに、見えていなかったこと。
それが見えるようになっていくこと。その快感。

たぶん、御船山楽園で
それを心の奥底から感じられたからこそ
身体中が衝動で支配されたんだと思います。

で、自分は
サッカーや保育園で関わっている子どもたちに
その快感を、これだけのレベルで
感じさせることができているんだろうか。

答えは、完全に「No」。めっちゃ悔しいけど。

19歳でブラジルにサッカー留学をしたときや
20代前半でヨーロッパ5カ国をひとり旅したとき
現地ではあんなに瑞々しく解放されていた感覚が
帰国して時間が経つと共にクローズしていき
目の前の日常に対して不満を抱いていってました。

日本は刺激がなくてつまらない。
旅をしたい。非日常をいつも感じていたい。

でもそれは
日本だからという理由では当然なく
日常の中に違いという刺激を見つけられない自分にあって。

自分自身の解像度が低かったんですよね。

その後、バリ島にひとり旅をしたり
コスタリカにサッカーチャレンジに行ったり
非日常の外国に飛び出しては
日常の日本に戻ってくる
ということを重ねていくうちに
少しずつ自分自身の解像度は上がってきて
日本での時間を楽しめるようになっていきました。

そして、外国に行けば行くほど
知らないことに触れられる快感は増していき
それと共に、日本のことが好きだという気持ちと
自分にできることを日本で実現したいという想いも
それ以上に増していきました。

で、自分の中で、こんな変化が。


【 日常 < 非日常 】 → 【 日常 > 非日常 】


今まで見ていたのに、見えていなかったこと。
それが見えるようになっていくこと。その快感。

自分もそれを一生感じて生きていきたいし
関わってる子どもたちにも感じてもらいたい。

それを痛切に感じさせられた
「 チームラボ 」の展覧会だったのでした。

これを見るためだけに
佐賀県を訪れる価値ありですよ、ほんっとに。



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