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鎌倉殿と女性たち

来年の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」てことで、多くの人の鎌倉時代での推しキャラといえば、源義経なのだろうか。

源義経といえば源平の戦いのヒーローであろう。他のヒーローへ焦点が当たらぬほど華がある。静御前との悲恋もそれに華を添えるからであろうか。

義経は平泉にて、付き人の武蔵坊弁慶が矢面に立ちながら、兄の頼朝軍に攻め滅ぼされた。「なぜ兄弟が争うか」は今の価値観による野暮なツッコミで、僕も兄に幼い頃、ご飯に牛乳かけられた時、包丁持って兄を追い回したことがある。不謹慎だが。殺人未遂の時効だよね。ダメなら消します。
ましてやこんな道徳や倫理も教わらない、武士の時代、家の存続と自分の名誉や野望のため、家族同士争うのですよ。

義経の首を見て、頼朝はどう思ったのでしょうか。静御前は頼朝にとらえられ、白拍子で舞がプロ級ですから、頼朝も「舞え!」と命令しました。「しずやしず しずのおだまき繰り返し 昔よ今になすよしもがな」と義経を想う歌で舞い、頼朝は激怒。しかし妻の政子はそれを鎮めます。静のお腹には義経の子がいて、男子だったため由比ヶ浜に沈められます。その後、静は京都に戻り、その子孫が源しずか、あのドラえもんのヒロインになったとかなんとか。

実は静以上に、鎌倉時代は女性がアツい時代というか。政子もそうで、頼朝亡き後、頼朝をとむらうために尼になるも、後鳥羽上皇による幕府転覆の危機があれば寺から戻り幕府を救ったのが尼将軍こと北条政子!いわゆる承久の乱で、後鳥羽帝の幕府討伐命令に狼狽する鎌倉軍の武士たちに叱咤激励、その剣幕はおそらく政子に逆らえば討ち死にどころか畜生道にでも落ちると思ったのでしょう。

それだけでなく、政子は弟の義時とともに指揮を務め、箱根で朝廷軍を迎え撃つ案を退け、京都に進撃する案をとり、わずか20日で圧勝。おそらく、源平の戦いでも政子は頼朝と戦っていた経験もあったのでしょう。きっと戦国時代も女性の武将はいたのでしょうが、生まれ変わりかもしれません。いや、イギリスの女王でスペイン無敵艦隊を破った名武将のエリザベス2世とか?

鎌倉時代には他にも埋もれてしまっている女傑がいるのかもしれません。
源平の戦いには源義仲とともに戦った妾の巴御前。または、以前も僕がnoteに取り上げた天草大夫大蔵太子タン。たかぎ七彦先生の漫画「アンゴルモア」の博多編で元寇と戦ったヒロイン。元軍と邂逅したとき「一番銛に心踊る!」「お主らの首を、我が諏訪大明神の贄(にえ)にせん!」と突撃する様はかっこいいし美しい。ああ太子タン太子タン、ずるいよあのキャラデザ。ちなみに太子タンは僕の母の故郷・熊本県本渡市の諏訪神社の神様です。

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他にも鎌倉時代だけでなく、いつの時代でも活躍した女性はいたことでしょう。江戸時代の儒教が浸透していた時代でも、それ以外の時代でも。それが埋もれているだけで、発掘しなければなりませんな。
フェミニズムについてとやかく言うつもりはありませんで、戦や政争に明け暮れる野郎共の背景に偉大な女性もいたはずだから、女性重視ならまずそこを歴史の男子と同じくらい見ましょうという提案です。
「女性が指導者ならば平和を望むために戦争はしない」て最近聞いた発言にも、ヒントもあると思うのです。
戊辰戦争でも会津戦争は白虎隊の戦い以外にも、新島八重様、中野竹子様、さまざまな戦う女性がいた。今の働く女性達もそうですが、必要に迫るとき女性達は大いに活躍していたのではと仮説して研究したいものです。

さて、今日の主役は実はこの人。鎌倉時代の女性を語るのならば、「大姫と義高」は避けられません。これぞ悲恋中の悲恋。くわしくは北崎拓先生の「ますらお~秘本義経記」がとても良いです。北崎作品はちょっとエッチで大人の作品ですが、ただのエロではなくその背景にグッとくるものがあります。

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「ますらお」はかなり昔、90年代あたりかな、連載されて中断されたままでしたが、ここ数年でまた復活しました。作者がまた過去の名作を復活させるのは最近よく見られますが、少年誌を離れたせいかもう堂々と表現されてまして面白いです。正直、大姫が淫乱のように描かれてますが、けどけど泣く泣く。だからこそ大姫が愛らしいのです。

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大姫は頼朝と政子の第1子。彼女が6~7歳のころ、頼朝はいとこの武将で倶利伽羅峠の戦いで平氏を撃退した源義仲と和議のため、義仲の子の義高(11歳)と、娘の大姫の婚約を進める。

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大姫と義高の未来の夫婦ぶりは「ますらお」にて楽しんで欲しい。史実をのべると、義仲と頼朝は対立、やがて京都で義仲は頼朝軍に討たれる。

鎌倉にいる義高は立場がない。頼朝は容赦のない人間だ。大姫は義高を逃がしたらしいが、頼朝の家来が義高を討つ。

大姫の不幸な人生はここから始まった。愛していた未来の夫が父により討たれた。その焦燥ぶりに政子は頼朝を叱責。頼朝は義高を討った家来をさらし首にしたわけだが、本当に頼朝は鬼畜。しかし、だからこそ頼朝は鎌倉幕府を立て武士たちを統率できたのだ。頼朝の凄味の1つだ。

頼朝と政子は大姫のために義高の供養のため寺社参拝の旅に連れて行ったり、大姫の新しい婚約相手も探した。しかし、大姫は一途に義高をひたすらに想っていた。一条高能との婚約も「そんなことなら、深淵に身を投げる」と拒否。

頼朝は大金をはたいて、いろんな犠牲をはたらきながら、大姫のために後鳥羽天皇との婚約まで仕掛けようとした。しかし大姫の態度はきっぱりしていた。最期に大姫は病にたおれ、20歳でなくなる。

いろいろ出回ると、大姫以外にも悲運に倒れた女性がいるらしい。その碑や各地の伝承に残っているようだ。

大姫も戦ったと言える。自分の愛する人のため。神奈川県の常楽寺に大姫の墓かもしれぬ塚があるらしいが、そこに行き、大姫と義高が天国でキャッキャウフフと戯れているのを感じたい。改めてタイトルにある北崎先生の大姫の絵が素敵だ。かわいい。ただひたすらにかわいい。大事なことだからもう一度言う。この絵ドツボ、かわいい!!

これを悲恋というならば、頼朝を亡くした政子も悲恋と言えよう。付き合う長さもあるのだが、悲恋は必ずやってくる。

いかに生きたか、生きた人はどれも偉大であるが、義経や頼朝などよりも、まだスポットライトが当たらない人々の発見が1つでもあればと思う。

「ますらお」といえば、義経の正妻「郷御前」もまた魅力的に描いています。フィクションですが。

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要するに、鎌倉時代あたりはいろんな萌っ子が出てきそうで、僕は注目しています。僕の性癖にもよるのでしょうが。

最近会いたいのが、元寇のときに活躍した英雄の1人、熊本の御家人「菊池武房」など菊池一族ですね。熊本の菊池族が猛プッシュしていて、菊池市HPにも紹介があります。ぜひとも調べてみたい!

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