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本当にあった怖い話(11月15日に際して。4つほど。)

【その1】 
むか~しむかし。あれは1994年だったかのぉ。
福島県原町で、ある歯科医院勤務の女性「ひとみ」さんが、車でコンビニに向かっていたのじゃ。

ひとみさんは21歳、午後1時に歯科医院を寿退社したところ。
数か月後に結婚をひかえ、同僚から花束をもらい、幸せに暮らそうとしたのだと。
すると、いつまでたっても連絡がない。
探してみれば、コンビニにひとみさんの車が。
車には無残に罵詈雑言がほられており、車内には婚約指輪、花束、財布、財布には現金ほか免許書や保険証、ダウンジャケットが残されておった。

ひとみさんの家には何件もの無言電話がかかっており、当日はひとみさんの職場にも若い女性から電話があり、ひとみさんは時計を見ながら対応していおったという。
ひとみさんの婚約者にはどうやら愛人がおり、婚約者はのちにこの愛人と結婚したようだ。

【おねぇちゃんだょ】
そして翌年。ひとみさんの家に電話がかかり。妹さんがそれを受け取った。
「はい〇〇(ひとみさんの苗字)です」
「おねぇちゃんだょ」
「はい?」
「おねぇちゃん」
「誰ですか?」
「おねぇちゃんだよぉ~」
「どちら様ですか?」
「ひとみです!!」(ガチャ、ツー、ツー、ツー…=切られる)

その声はあきらかに、50~60歳以上の別人の女性の声じゃった。(警察の鑑定もあり)
不思議な話じゃのぉ。ひとみさんがタイムスリップしたとかはありえない。
ワシはこれを、「戸籍をとろうとした背乗り」の人が、ひとみさんの状況確認するためかけた電話じゃと思うのだが、みなさんどうでしょうか。

【その2。当時13歳、今は57歳】 
むか~しむかし。今からちょうど、44年前の話じゃ。2021年11月15日今日は横田めぐみさんの拉致から44年なのじゃ。
めぐみちゃんは、バトミントン部の部活動が終わり、友達と帰っていった。
しかし、いつまでたっても家に戻らない。
不審がった母親が学校に駆けつけても、とうに部活動は終わっているよう。
母親は周辺を必死に探すが、見つからず、ついに捜索願をだした。
警察の捜索もむなしく、見つからない。しかし、前日の人のにおいをかぎわける優秀な警察犬のおかげで、めぐみさんのにおいをかぎわけた。
自宅からほんの数m、直前の交差点でめぐみさんは消えたようなのだ。

それから数年。北朝鮮の人がめぐみさんについての証言をした。
めぐみさんは船の底にとじこめられ、「お母さん、お母さん!!」と泣き叫び、船底の壁にはめぐみさんの指の皮膚と血がこびりついていたという。

北朝鮮は2005年の小泉首相の交渉により、めぐみさんたち数人の拉致を認めた。(しかし「特定失踪者調査会」の荒木代表によれば、北朝鮮の疑いが避けられない拉致事件は800人以上といわれる)

北朝鮮側は、めぐみさんは死亡したとして、その遺骨と遺髪を家族側に送った。しかし、念のためにDNA鑑定すれば、まったくめぐみさんとは違う他人のものだったと鑑定された。

めぐみさんは誰とでも仲良い明るい子。友達からもよい話を聞く。よくテレビに出ている画像は風邪で入学式に参加できなかったため、写真で家族をとるのが大好きなお父さんが学校近くの桜の木とともにとったもの。本人は病み上がりで顔がひどいのを気にしてダダこねていたという。

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この着物姿は、お正月、お母さんが着物を着て過ごした話を聞き、「あたしも着てみたいなあ」といったもの。
ちょっと口紅のお化粧をして、「あたし、お姉ちゃんみたいだね!」と喜んでいた。(アニメ「めぐみ」は誰でもみれるはずです)

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ワシが考えるにの。なぜ北朝鮮はたくさんの日本人を拉致したか。
日本人の戸籍をとり、北朝鮮の工作員を日本人として活動させるのが第一だと思う。現在、多くの北朝鮮の工作員を公安は監視しているようだ(しかし、現状、何もできない体制)。
また、そのために日本の情報を伝えさせるため。またはこれを外交の駆け引きにしようとしているかもしれない。何にしろ、これ以上を北朝鮮が話さないからのぉ。

めぐみさん奪還と、多くの北朝鮮の拉致事件について訴えかけ、ついに政府を動かした、めぐみさんのお父様は去年の6月についに亡くなってしまった…。しかし、多くの日本人が「外国に連れていかれた家族がいるのに、この国は何もできない状態なのだ」と痛感させてくれた偉業は忘れてはならない。

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【その3。病院がグル。】
藤田進さんを拉致した工作員Aは、中国にいる。良心の呵責から週刊現代の取材に答えた。

大学卒業後、朝鮮総連の紹介で都内の医療機関(N病院)で働くことになった。1953年に病院を設立した病院の理事長の金萬有は金日成と金正日親子の信頼が厚い、北朝鮮政府の幹部の1人だという。
「患者を埼玉まで連れて行くから、運転手をやってくれ」と病院関係者の「金先生」から電話が入った。
あとでわかった「金先生」とは、1960年代に都内で失踪した小熊和也さんや北海道の小住健蔵さんの戸籍を乗っ取り活動していた北朝鮮の工作員チェ・スンチョルで、警察が1985年に操作したアジトからは、日本のラジオ放送を利用した短波放送の乱数表(政府の暗号を解読する文書)が押収されたが、チェは逃亡、現在でも国際指名手配中。

言われるがまま、助手席にチェをのせて工作員Aは大宮氷川神社へ。ここで藤田さんを乗せる。藤田さんは拘禁服を着せられ、クスリ(自白剤?)を打たれていたようだ。

病院に戻り、「保護室」という訳のわからない部屋に工作員Aは藤田さんといた。Aは藤田さんの食事の配膳係として接していたが、翌日までは意識朦朧、2日目や3日目には「ここはどこなんだ?」「自分はどこに連れていかれるんだ?」と何度も泣き叫んでいたようだ。

4日目に突然藤田さんはいなくなった。「万景峰号で同志同胞の繁栄のために北朝鮮に向かった」と聞かされた。

東京学芸大1年生だった藤田進さんは1976年2月7日、「新宿にガードマンのアルバイトに行く」と自宅を去ったまま行方不明となっていた。
「自慢の息子」と語っていた父の春之助さんは「育て方を間違ったのか」と悩んでいたという。春之助さんは2019年の10月に亡くなった。

藤田さんの自宅のある埼玉県川口市には、のちに北朝鮮の工作員の拠点が多くあったのが判明、川口で北朝鮮の関与の可能性が高い失踪事件は田口八重子さん、井上克美さん、新木章さん、佐々木悦子さんなどじゃ。

【ラスト4話目。日本人が日本人を拉致。】
よど号ハイジャック事件は知っとるかね。そうじゃなぁ、かつて全国の大学で学生運動があったのは?

社会主義が当時の学生たちの流行で、オシャレな議論だった。今だと、LGBTやSDGSなどの社会問題を熱く語る。それ自体はとても良いことじゃ。
ただ、オシャレな喫茶店でタピオカを飲みながら、バーでワインを飲みながら貧困問題を語る。たとえば、そのタピオカやワインが発展途上国の貧しい人々を酷使して作った業者が輸出しているものだとすると、とても滑稽に見えるのぉ。何にしても、真実を探し常に考えていく姿勢が大事じゃなぁ。ワシもたいそうなことは言えない、ただ仕事の合間の憂さ晴らしにこの記事を書いているだけじゃが。起きたばかりの白シャツにパンツ1枚というだらしない恰好で。

さて、これからねじれていくのぉ。学生の多くが社会主義革命を実践しようと実力行使をしていく。成田闘争、渋谷暴動、浅間山荘事件。
あげく、丸の内の三菱重工爆破事件。凄惨な事件を起こしていく。

よど号ハイジャック犯たちは、北朝鮮に憧れた学生たちの犯行じゃった。
今は拉致事件やミサイル・核実験などの問題で、北朝鮮は困った国という扱いじゃが、当時は理想を掲げ国民が団結している理想の国のようなイメージじゃったらしい。

とまあ、今でも北朝鮮の主体思想を広める日本人も多いらしいな。また、北朝鮮との関係を大事にしている国会議員も多いようだ。自民党のYT議員とか、立憲民主党のTK元議員とか。

よど号についてはここではくわしく書かないが、ざっくり言えば田宮高麿や森順子・若林佐喜子らが北朝鮮に渡るためによど号をのっとった事件じゃ。

彼らの行く末は、北朝鮮政府から保護され、住居が与えられた。「日本人革命村」を作り、現在でも生き残りが金日成の主体思想の教育と研究に努めているようじゃ。
そうそう、日本人革命村の出身で、田宮と森の子の「森大志」が2011年に「市民の党」から立候補したのぉ。当時、菅直人首相が市民の党に献金していたことが話題になっていたが、東日本大震災で国会の議論と報道がそれどころじゃなかったのにワシはちょっと違和感をもっていた記憶があるのぉ。

1980年に欧州にて失踪した、松木薫さんと石岡亨さんを拉致したのが、森順子と若林佐喜子であることが警察によって判明。
さらに、石岡さんのパスポートが北朝鮮の偽造パスポートの原本に使われていたようで、よど号の柴田泰弘や日本赤軍の戸平和夫が使用していたことがわかった。

日本人の戸籍とパスポートは、これまでの先人の努力と振る舞いで、世界一信用されておるので、書類を示すだけで簡単にパスされるようだからなぁ。

しかし、実は今も身の回りに工作員や活動家が近くにおり、実は知っている人の戸籍が乗っ取られ、実はちがう人だったというのも恐ろしい話じゃのぉ。

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