見出し画像

遊郭に、寄ってく?(前編・3000字くらい)

「遊郭めぐり」をたまにやっている。遊郭の跡は、昔の都市の繁栄ぶりや、働く人々とその憩いの様子、または熱情的恋愛模様などを偲ばせ、「町歩き」が趣味の僕の妄想を楽しませる。

か~ごめ、かごめ。駕篭の中の鳥は、い~ついつ出やる♪

買~ってうれしい花いちもんめ♪ まけ~てくやしいはないちもんめ♪

ゆ~びきり拳万、嘘ついたら針千本の~ます。指切った♪

童謡は社会の闇を残すものも多いですね。遊郭に関する歌だとも言われています。「かごめかごめ」は遊郭に監視されて囲まれた遊女、「はないちもんめ」は女性の人身売買、「指切拳万」は遊女の心中立てで不変の愛を示すのに指を贈る習慣。
遊女といえば社会の裏のようであっても、実は表にも大きな影響を与えているのでしょうな。

遊女は古来は一般的に巫女などの踊りや遊芸を行う女性のことを指していたようだ。
それがのち、「母系婚」から「男系婚」に変わったことから売春が中心になっていったのも興味深い。
つまり、僕の考察ですが原始から結婚は「夜這い」が中心で、地方では戦後まで続いていた「女子の家に男子が忍び込み、愛し合い、子が生まれたら女性が男性を選ぶ」というもの。
おそらくですが、女性は予めふだんの生活やいろんなイベントで男性を目踏みしておりそれで夜這う男性や結婚相手を選ぶ。

画像1

画像2

(夜這いについては柏木ハルコ先生の「花園メリーゴーランド」がわかりやすいかも。僕がとても興味ある、「歴史を人々の生活から見つめなおす民俗学」の分野に「婚姻史」がありますが、夜這いの風習も興味深いです。)

夜這いによる「妻問婚」による母系婚は古代の貴族の政治にも影響を与える。妻問婚は、夫は妻の家に通い愛を営む。子は妻の家で育てられるのだ。
だから、女性は貴族に愛されれば、その跡継ぎを育てることができる。
藤原道長など藤原氏はそれを利用して娘を天皇と結婚させ、次に天皇となる皇子を育て、そして外祖父として朝廷の位を独占してきた。いわゆる摂関政治だ。

しかし、同じ平安時代からか、土地という財産や一族郎党を武装してまでも守る人々こと「武家」が出現するようになると、「跡継ぎ」を父親が育てるようになり、女性を家に迎え入れる男性が増えてきた。
「跡継ぎ」がいないと家が滅びるため、武家は多くの女性と結ぶようになる。そこから男性は家で雑用として働きに来る女性などにも手をかけて子をなさせることもあったり、外で女性と交わり嫁に迎えることが増えた。これも遊郭が繁栄する大きな原因だろう。

とまあ、一般的な話で、たとえば神楽を舞う巫女や、白拍子など芸能をもって客を集める女性、湯屋を営む湯女から旅館での飲盛女など、さまざまなところで性を結ぶ場面はあったろう。
これらを「破廉恥」と簡単に目を背けるのではなく、「売春業は世界最古の職業」という一説もあれば、美しい女性を見ることは男性でも女性でも癒しであるし、恋愛と性交と出産は人生で尊いもの。日本の歴史書かつ神話である古事記もイザナギとイザナミの性交から国がはじまっている。

しかしながら、遊女屋などの売春業は鎌倉幕府や室町幕府や江戸幕府などが制限令を出すこともあった。不義や風紀の乱れ、性病の流行、税の徴収などが原因だったろう。

奨励することもあった。江戸の吉原などがそうである。一箇所に集めることで、不義風紀の乱れや性病の抑え、税の徴収、人々の心にゆとりを与え抑えたり、都市づくりの一環でもあったのだろう。遊郭があるとこは繁華街として栄えるのだ。そして子供たちなど清純な人々に「タブー」として近寄らせない効果もある。

僕は吉原には何度も向かっている。ちなみに僕はお金がかかるのでそのような風俗店の中に立ち寄ることはほとんどない。
事情はいろいろあり、これは僕の妄想に過ぎないかもしれないが、吉原などの遊女は子供のころに貧しい家から売られた人が多いように思える。
そして、男性を喜ばせるために芸事の訓練に努める。多くは身請けさればいいものも、性病や化粧による水銀中毒。若くして病に倒れる女性が多いようだ。(さすがに、遊郭や遊女の博物館とかは少ないか。あれば必ず勉強に行くのに!)

画像3

画像4

(貧しく、家族が生きていくためにどうしても女子を遊郭に売る話は、名作「花田少年史(一色まこと先生)」だけでなく、「鬼滅の刃」の栗花落カナヲもそうでしたな。)

画像5

(遊女のことを描いた作品でオススメは、高浜寛先生の「蝶のみちゆき」です。遊女=痴女と勘違いしている人は、この切ないドラマに圧倒されてください。吉原遊女の話だと、やっぱ安野モヨコ先生の「さくらん」でしょうが、読んだことない僕は勉強不足…(T-T)
身請けされた遊女の最期を描いたのが、「ゾンビランドサガ・リベンジ(2期)」の「佐賀事変」。あれも切ない話だった。)

僕は吉原へは、そのように辛い人生を背負いつつ、働く人々に夢を与えていった遊女や男たちのドラマを現地に妄想に行くこと。そして吉原弁財天。ここに関東大震災で亡くなった490人の遊女、彼女たちが逃げ惑い溺死した御遺体の写真… 胸が抉られるのです。

僕の妄想から、1人の遊女の一生を描いてみた。駄作ですが。


すーちゃんは、農村の娘に生まれた。
どうやら貧しいようで、弟と妹の世話だけでなく、お母とお父の家事も手伝うようになった。育ち盛りだがご飯が食べれない日が続き、華奢で小柄な子だった。
隣の家の「こうべい」さんは優しくて好きだった。よくくれるお菓子はすーちゃんにとって一生のご馳走だった。
お父が「すー子、ごめんな。」と言う日が増えた。すーちゃんがどんなに一生懸命手伝っても、お父の言うことを必ず聞いても、ずっと「ごめん」しか言われないのがすーちゃんには辛かった。
ある日、こうべいさんと見知らぬ男たちがやってきて、すーちゃんを連れて行った。すーちゃんはこうべいさんにひたすらついていったが、どこか知らぬところへ行くようだった。

すーちゃんはある屋敷に囲まれ厳しく育てられ、花丸さんという美しい女性の付き人となった。花丸さんは、きびしく芸事を教えた。ご飯もあまり食べれない。しかしたびたび、花丸さんからおいしいオヤツを、お客からもらったと食べさせてくれた。とても幸せだった。

…あたしは、いつ、男に乱暴にされたかわからない。覚悟はしていた。
素敵な男性もいれば、ひどい男性、おもしろい男性もいた。まわりの女性たちも素敵な人がいれば、ひどい女性もいた。
そういう日が何度も続き、気づけば私は年をとり、将来ここを出るみたいな話もあり、家がこの遊郭に変わったショックを思い出した。気になるのは腕にできた斑点。どうやら梅毒といわれ、これから体が変形し、崩れ去るとも言われた。こうなったらそれも良いかもしれない。

お外に出され、ひたすら近くの御寺様へお参りした。こんな私にも仏様が見守ってくれているようで、お参りは唯一の楽しみだった。幸いなことに、亡くなったあとその御寺様が遺体を引き取ってくれたらしい。
「こうべい」さんがわたしのもとに駆けつけてくれた。正直、子供のころにふと出会っただけだったが、涙があふれた。わたしは、これだけでも生きていた甲斐があったように思える。

…駄作ですいません。すべてそんな妄想です。そんなことなどを思いながら、今回、吉原だけじゃなく他の遊郭跡も目指してみた。

(続く)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?