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民族主義

 民族の定義は一定ではない。地球上人類が様々に何らかのまとまりを主張して分化してきたものである。必ずしも遺伝子が似通ったものの集団とは言えない。人類というのはどの地域においても純系というものは存在しない。また言語は統語によって一律化(共通化)するものであり遺伝的素因とは関係ない。統語には自然的、商業的、学術的、宗教的、報道的、行政的なプロセスがある。統語によってコミュニケーション範囲を人類は拡張してきたのだ。言語には統語の方向と分散の方向がある。本稿では言語に関しては省く。
 民族主義はこの一律には定義しがたい民族なるまとまりが、独自の統治機構を主張し、もってその様々な分野の民族としての利益を主張するものであろう。
 ここで民族という語を個人と置き換えれば個人主義となる。
 つまり個人が自分のことは自分で決め、自分の利益や生き方を主張する志向性のことだろう。
 個人が自己中心的で自分の利益ばかり求め、他人の利益を毀損するならばその個人は結局はうまく生存できないだろう。
 従って、個人が個人主義を実現できるのは道徳的規範を守って集団のなかで協調的にその能力を発揮し利益を最適化できる場合であろう。利益の最適化というのは一人で利益を独占すれば利益はかえって活用できなくなり宝の持ち腐れとなる。一人で米を何tも蓄えたところで食べきれるわけではない。利益は集団内部で適時分け合ってこそ個人は最適な生活が実現できるのである。
 この道徳的最適化理論は民族という集団にも当てはまる。
 民族にとって最も重要なのは食料生産であることは言うまでもない。農地や漁場は祖先からの大事な財産の承継である。またその生産技術や設備設定、集落設定も祖先からの贈り物である。
 農地の土は微生物の集塊であり生き物である。これは先祖から引き継いだ資産である。この土から作物は生成される。灌漑設備も祖先から地理的条件にあった丁度よい水路がめぐらされていて、各農家が伝統的規範を守って運用することで生産を最適にする。
 本来、民族主義というべきものは、民族が歴史上育ててきた生産システムを保守、発展させていくことを目指すものである。生産システムは総合的なものである。システムに含まれるものは土地、土質、地理的要素、自然環境に適した作物、特産技術、用語、伝統的な道徳、習慣、芸術、文化など多岐にわたる。
 個人が自分勝手に振舞えば他者との闘争が起きてしまいうまくゆかない。民族も同様である。多民族と共存できず、民族優越、選民思想など他民族を蔑視、敵視すれば闘争が起き、その民族は滅びることになる。20世紀以降特にこのような排他的な歪んだ似非民族主義が勃興してしまい人類は戦争の世紀を経験してしまった。
 民族身勝手主義を民族主義と混同している場合が多いが、これらは区別すべきである。個人が周囲の人とうまくやることがその人の幸福のためになると同様に、民族も周辺民族と仲良くすることでその幸福はもたらされる。
 独占資本主義とセットで主張される民族主義のようなものは似非モノである。他の民族を征服したり、排斥するのは民族主義ではない。海賊だ。
 反知性主義、反共というのも民族主義とは無縁である。また反共を叫ぶ者のほとんどは反共になっていない。共産主義の内容理解もせずに反対したところで意味はない。こういうのはカルトの特徴でもある。
 カルトというのは狂信団体であるが、物事を自分で思考するのを止めた人々の集団でもある。自分で調べて自分の頭で思考し、判断できないから他者(教祖)の言うことに単純に従う。宗教カルトに反共が伴いやすいのは自分で物事を思考することのない習性によるものだろう。近年ではアメリカ諜報が資金を撒き反共喧伝にカルトを利用していることも考えられる。
 カルトと民族主義は全く関係ないものである。
 日本でも20世紀、テレビが普及した。テレビで言っていたことを鵜呑みに軽信するという悪癖が日本人にも染みついたようだ。マスメディアはカルトと同様に人々の観察力、思考力を奪った。テレビで唱えられたことが真実であるかのように錯覚し洗脳された。民主主義、人権、自由などという偽善的抽象概念に過ぎないものを共通の価値観などとして対米従属の理念、掟とされてきた。現実の内容も考えずにだ。
 ほとんどの日本住民はテレビの罠にはまっておりテレビで刷り込まれた価値観から逃れることができない。
 実は日本には民族概念がまだ育っていない。いわば共通のテレビ民族だ。(日本人なる者が日本人らしくまとまっているのはテレビ教による)
 キラキラした都会にあこがれ若者は農村を棄てて東京暮らしを始めた。わずか1世紀でこの国は滅亡のモードに入った。
農村を棄てること=国が滅亡すること
という方程式が理解できない。
 民族主義を実践するならば農村を再興して生産を高めることだ。農村には民族のすべてが詰まっている。その農村を過疎化して都会に人口が集中し、過密となった。このいびつな局在的な生活の在り方は民族主義とは逆さまのものだ。
 残念ながら日本は民族主義が成立する前に滅亡してしまう。
参考まで)
 日本人というものは7割くらいが朝鮮などからの渡来人の子孫であり、3割くらいがアイヌなどの日本列島先住民の子孫である。これらは遺伝子レベルでは7:3くらいで交配されたものである。固有の日本族という概念は存在しない。
 明治以降「民族主義、国家主義」めいた思考がはびこったのだが、これは大英帝国の模倣であり海賊の真似でしかない。(疑似的英国)


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