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言語の違い度(言語間距離)を指数化する試み

言語がどれほど異なるかを数量的に把握することは単純なことではないが、大雑把には確率的分散の理屈に従うとも仮説できよう。
地理的距離をdと書けば同時代的には言語間の距離Dは
d=10^D
また統語された時代からの時間的隔たりをtと書けば、時間的言語間距離Tは
t=10^T
td=10^T+D
log₁₀ td=T+D
単位はtが年、dがkmである。
このT+Dを言語間距離指数とする。
これが1〜2であればことばは普通にまたは大体通じ合える。せいぜい方言の差くらいの違いだ。
 言語間距離指数が3ならば文法は似ているけれど内容語が異なるので互いに言語習得の学習をしなければ通じ合えない。が、学習はしやすい範囲であろう。
 これが4以上ならば異なる文法を持つため、習得には努力して学び合わねば意思疎通できない。
例えば日本語と朝鮮語を比較してみる。
ソウルと東京間の地理的距離は10³kmのオーダーとなるだろう。だから同時代的にはT=0   D=3
くらいである。
 これは同時代の東京とソウルの人が互いの言語を理解するにはそれぞれ単語を学ぶ必要がある。文法は似ているので学習は英語を学ぶよりは楽かもしれない。
 では英語と日本語ではどうか。
 地理的には10⁴km離れた言語である。だからこの指数は4以上である。日英間で通じ合えるためにはしっかり文法を学ばなければならない。
 では同じ位置のことばでも昔の言語の場合にはどうだろう。
 京都でも現代と1000年前のことばでは、やはり学習しなければ通じ合えないだろう。しかし、文法はさほど変わっていないから、まるっきり外国語と言う訳でもない。1000年は10³年だから、同じ京都の市民ならば、この指数は3である。
 しかし1万年前の言語(指数は4)となれば、それは明確には現代に伝わっていないのでなんとも言えないけれど、おそらくかなり異なる言語であって、もしわかったとしても習得するには外国語を学ぶ努力が要るはずだ。

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