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自由主義という幻想

 最近はあまり聴かなくなったが、かつては経済体制に関し、対比的に自由主義陣営と社会主義陣営という言い方をしばしば目にしたものだ。ただ、それは常に、何をもって自由主義といい、何をもって社会主義といっているのか、定義めいたものを伴っていなかった。
 日本は自由主義の国ということになっていたようだが、私には何が自由なのか理解できなかった。
 自由主義は資本主義や民主主義とセットで、あるいは混用されるようにも用いられたことばである。
 ここでは経済に関する自由について限定して述べる。でないと自由に関する議論はあまりにも幅が広すぎて話がまとまらない。
 この国で「自由」に商売できる分野ってあるのだろうか。あったら教えて欲しいくらいだ。
 いずれの仕事を始めるにも、監督省庁や住所地の役所へ行って届け出を書いたり許可もらったりしなければならない。
 土地や生産手段となるものを自由に所有できると言っても、タダで所有できるわけではない。必ず何らかの努力があってこそ仕事を始められるのだ。
 そう、何をするにしても必ず制限があるのだ。
 資本家といってもこの国では「自由」に資本を動かせるってものでもないし、何をどれだけ生産し、いつ、どこに、誰に、どれだけ売るのか、また生産に携わってくれた労働者にいくら賃金払うのか?いずれも自由に勝手に決められるというものではない。
 すべては国に決まりがあり法治の枠の中で制限されている。
 また国家には経済計画がある。およそ現代国家で無計画経済というものはないだろう。
 自由主義ということばは資本主義的生産体制が崩壊しつつある現在、廃れてきているようにもみえる。なぜなら、経済上の自由などどこにも実在しなかったからだ。
 日本の経済はアメリカの干渉を非常に強く受けている。詳細は省くが、ことに80年代後半からはアメリカから農業、工業などすべてにわたって様々な制約を課せられ自由に貿易して自由に稼げるなんて時代はほぼなかった。
 農業に関しては特にひどいもので、アメリカからコメの輸入枠(いわゆるミニマムアクセスなど)を設けることを強要され減反までした。こうして日本の農業は滅亡に向かっている。減反は不可逆的に農地をダメにしてしまう。(実際に農地面積は今でもどんどん減っている)農業に自由などない。
 日本の産業というものはアメリカ監視下において中央省庁が高度に統制して成り立っている。官僚統制経済であり自由経済などと呼べるものではない。
 つまり自由主義ということばも民主主義と同様にインチキことば、詐欺用語である。
 これらは選挙時期になると盛んに使用頻度が上がっていた。選挙制度自体が詐欺合戦のようなものだ。
 本来、公約は破ってはならないはずだ。公約は公の債務でなければならない。約束を果たせなければ債務不履行であるはずだ。なのに公約を述べたとおりに履行した議員はどれだけいるのだろうか。
 「選挙が詐欺だ」というのが極論だと思われるかもしれないが、約束を果たそうが破ろうが、忘れようが当選さえすれば後はどうでもいい、責任はとらないというのであれば、詐欺と同じではないか。
 自由主義というのは喧伝用の都合の良い造語であると考えられる。だから自由主義陣営なんてことばをもっともらしく用いていた者は、自由ということばがもたらす印象を幻想として頭に描いていただけなのであって、自由な経済体制が実在したわけではないのである。

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