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10年勤続エントリ

退職エントリーをよく目にしますが勤続エントリってなさそうだったので書いてみました。過去のことは時効だよね!(違)ということで、当時は書けなかったこともいくつか書いています。

2009年の10月に株式会社フォトクリエイト、Webソリューション本部 開発部に入社しました。7月に1次面接に来たときはまだ工事中だった部屋も、入社時には一杯に埋まっていて活発な会社だったという印象でした。

現在は、まだまだこの会社にはビジネス的にも人の観点からも良くなることがたくさんある!という思いで人事部門に所属しております。

入社してからのざっくり年表

【ばりばり開発していることが楽しかった期

【2009年】入社して3週間目にして徹夜をしました。
入社直後にアサインされた、パートナー会社とのAPI連携プロジェクトがあったのですが、インターフェースの概要設計を渡されて着手したものの仕様漏れや内部の構造理解が至らず、リリース二日前に徹夜する羽目になりました。当時別部門でデザイナー・コーダーを担当していた現開発部長も別のプロジェクトで徹夜しており、「この会社ってこんな感じですか?」とテラスで遠い目をしながら休憩していました。

【2010年】協力会社とリニューアルのプロジェクトが燃えました。遅れが生じていて、年末年始でなんとか盛り返すから、と言われ待っていたのですが、年始早々謝罪...。謝罪はいいから完成してくれ...と思いました。自社サービスの良いところでもあり悪いところは期限がマストではなかったりするところでもあると思っています。遅れたぶんだけ世の中に出すのが遅れるだけ・・・。その結果影響はいろいろありますが。
またこの年から、それまで興味のあった勉強会の文脈でスクラム・アジャイルに強い興味を持つことになり、事業部門の受託状態になっていた開発だけでなく部門同士ごとをつなぐことを意識するようになりました。合わせて会社の中でWebをもっと活用して業務効率を上げたり新しいサービスを考えていこうという機運があり、社内勉強会を開きました。(Twitterなにそれおいしいの?とか、買ったはいいけiPhoneどう使いこなすの?みたいなまるでアメトーークのような...)
このあたりの活動が評価され、新入社員研修の一コマを任されたり、社長賞をいただきました。

【2011年】2010年に炎上したプロダクトは品質が悪く、結果撤退が決まります。その他にFlashで作成されていたビューアに対してIPA経由で脆弱性報告があり、ActionScript2で書かれていたバイナリをソースがないところからActionScript3へ移植するという大掛かりな仕事をやることになりました。AS2は知識としては知っていたのですが、まさか未経験言語を業務でやるとは思いませんでした。
同年、趣味や勉強会で触ったことのある外部SNSとのAPI連携がそのまま仕事になり、Facebookアプリをローンチするなど大変なこともあったけど軌道に乗ってきて、新卒社員のOJTを実施するなど、業務的な貢献感があった一年でした。

【このままでいいのだろうか?迷走期】

【2012年】技術力の高いメンバーがジョインし、gitやvagrantなどローカル環境での開発、分散開発などが導入されプロダクトに対してのアプローチがぐっと良くなりました。一方で既存コードの品質(レガシーさ)が問題となってきたので、テストコードを拡充させたり、コピペされて増えていたコードを減らしたり、メトリクスに向き合った一年でしたし、自身としては開発のメインストリームからはやや外れて守りの開発としての位置を確立していきました。
並行して事業の意思決定について疑問をもち、統計やデータマイニングに関心を持ち、 統計検定2級を受験しました。
今振り返ると、新入社員研修でワークショップを実施し、その評判がものすごく良かったことで、以降勉強会への関わり方に関心を持ち、実践の仕方・学び方に変化があったきっかけとなりました。
このあたりからブログを年ごとに書いています。

【2013年】会社の事業として、オウンドメディアであったり、新規事業プロダクトを出していくという試みが始まった年でした。新規事業プロダクトの開発には一切関わっていなかったのですが、突然の炎上と担当者の退職などがあり、突然の全員招集がありました。そのタイミングでジョインした運の悪い(?)方が優秀だったことに助けられつつ、ホワイトボードやプロジェクト管理などを駆使して、なんとかそのプロジェクトをプレイングマネージャーとしてリリースにこぎつけました。
オウンドメディアのほうは、立ち上げメンバーとして参加。かねてから活用していたソーシャルメディアの運用など、楽しく貢献感のある仕事でした。会社の方針でメディアをクローズすることになったのはとても残念でした。
また、データ分析に関連して会社でこれから必要になるであろうジャンルとしてコンピュータービジョン・パターン認識の分野に少し手をつけました。

【2014年】ディープラーニングや高度なデータ分析などに関心をもち、メインの開発がどんどんモダンな潮流に向かっていく中、これといった集中ポイントを見いだせず、自身の中でやや迷走感があったり、悩みを持つようになりました。
これまで新入社員研修では1日のコマを任されていただけだったのですが、このあたりから教育制度に対しての関心を持ち、全体として軸を通す研修、という全体設計への関わりを持つチャンスを得ました。


【2015年開発に関わっていく以外のことに目を向けてみた一年でした。GoogleAnalytics個人資格(GAIQ)を社内で初めて取得したことなどが評価され、開発部門としてだけではなくデータを扱う仕事を兼任することになりました。
また個人的にワークショップの質を高めようと、アクティブラーニングを学ぶようになりました。このあたりから教育手法をやや体系的にかじっていくようになりました。

それにしても2014,2015はなかなかつらい年だったようです。

【学習する組織へ。強みを活かす期】

【2016年】 業務としてはマーケティングオートメーションやTポイント連携などの割と業務フローなどが複雑なプロジェクトの全体を見るようなポジショニングをしつつ、プロジェクト期間外はサービスを作っていくのではなく、開発ラインが開発に専念できるような維持的業務への割り切りを意識しました。
教育の観点では7つの習慣ボードゲーム・リアル脱出ゲームをきっかけとして、ゲームへの強い関心を持つようになり、ワークショップデザインをより体系的に学ぼうという意欲が強くなりました。

【2017年】「エンジニア職からの脱出」を自分目標として意識的に自分以外ができることを増やすようにしました。LEGO(R) SERIOUS PLAY(R) のファリテータートレーニングや、アドベンチャープログラミング指導者としての研修を経て、社内業務として研修・ワークショップデザインの相談が来るようになり、人事部門と、ワンデーインターンシップを開催しました。
並行してプログラミング教育にも関心が出てきて、「元エンジニア」としてのキャリア構築を真剣に考えます。というかこのタイミングで他社の人事部門への転職活動を行い、現職へも「このままでは自分は辞めてしまうだろう」と相談を申し入れました。

【2018年結果的に脅迫してしまったようになり申し訳ないのですが、退職するくらいならと会社側が人事部門への異動への道を整備してくれました。本格的に教育へ関わることになり、人材開発エキスパート養成講座などの受講、人事領域全般での実務経験を積むことができるチャンスを得ました。
一方で、社内で教育のみのニーズが年中あるわけではなく、元エンジニアであることを最大限に活かすため、開発職の採用が主業務となります。エンジニアとの関わり方が変化したため、自身の興味があることだけに限定するのではなく様々なエンジニアの話を聞いたり、エンジニア以外の開発職のことをより知っていく必要性が増してきました。
まだDeveloper Relationsというほどではありませんが、以前より(少なくとも障害が発生しないという意味で)予定が立てやすくなった分、イベントに顔を出すようになりました。(〜で僕と握手!)

【2019年ももう10ヶ月】1年やってきて、いろいろなことがわかってきたところ、これからはもう少し成果につながる活動ができればと思っています。また今まで得てきたノウハウ等を外に出せる何かを作っていければと考えています。
採用は外部人材にジョインしてもらうことだけでなく、中の人を育成もしくは教育・配置転換ということも考慮して、自分の強みを生かした組織開発をもっとできるようにしていきたいと思っています。

表彰でもらったコメント

・様々なプロジェクトへの関わり
・年齢も価値観も違うメンバーで仕事をするにあたって結束力を高める研修が印象的
・普段関わることの少ないグループ会社や他部署と関われるようになった
・お気に入りのレゴのTシャツ、めっちゃダサいって笑ったら怒ってたw
・学びたい意欲を快くサポートしてくれる
・自身の学びはもとより他メンバーの成長を促す姿勢
・幅広い知識と多種多様なボードゲーム

おわりに

あと何年働くことになるのか、まだまだわかりませんが、元気なうちに楽しめることをちゃんと見つけ続けたいし、楽しいことを周りに提供できるといいなと思いました。

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サポートしてくださるような稀有な方にはサポートしてくださった金額分を奢り返したいと思いますw