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僕は井上康生になりたかった。


ピンと伸びた背筋、躍動する身体。
隙のない組手、鋭い踏み込みから繰り出される内股。
そして、次の瞬間には宙を舞う相手。
シドニーオリンピックで金メダルを獲得し、時の人となった井上康生に柔道を初めて間もなかった私は憧れた。自分も、この人みたく。そう夢見た。
けど、井上康生になれなかった。
オリンピックには出ることが出来なかった。


もうすぐ2022年も終わる。シドニーオリンピックから22年、私が柔道をはじめてから23年の月日がたった。今まで当たり前の存在として近くにありすぎて、案外ちゃんと向き合ってこなかった柔道について深く考えるきっかけに恵まれたので、ここに記す。

去年の年末に仕事を休みはじめて、今年辞めた。 教員の仕事だ。
部の顧問として柔道に関わっていた時は毎日畳の上にいたので有難みを感じていなかったけど、仕事を辞めると意外とその機会を作るのは難しい。休職をして、徐々に柔道との距離は開いていった。教員から手を引くとはそういうことだ、柔道を続けていいはずがない。正直そのまま辞めるつもりでいた。

体だけは大きくて弱かった私が、泥臭く頑張って関東、全国で戦って、大学で主将までやった。本当は誇りたいはずの、大切にしたいはずのそれらの思い出に蓋をして二度と道衣を着ないつもりでいた。

そんなふう柔道に対してに凝り固まった考えでくすぶっていた私を、宇都宮の大人たちは見つけてくれた。柔道をやってた頃の自分を面白がってくれた、すごいって言ってくれた、肯定してくれたのだ。
一生懸命にてっぺん目指した事があるからこそ、自分のキャリアなんてちっぽけにおもっていた。勝った事実よりも、勝てなかった事実にばかり目がいき、しぼんでいた自分にあの人たちは空気を入れてくれたのだ。パンパンに。そして、大恩人の先輩がこういってくれた。
「うちの会社の所属で試合にでてさ、皆で応援に行こうぜ。お弁当持って。」

何かに火が入った感覚があった。

そんなきっかけがあり、晴れて先月現役復帰。試合に出場してきた。
はるばる兵庫まで遠征してきた、大会の名は明石市市民大会だ。
1回戦は一本勝ち、2回戦は一本負け。この結果に、以前の自分であれば恥ずかしいと思ったはず。でも今は堂々といえる。胸をはれる。

宇都宮にいる柔道家で私より強い選手なんていっぱいいる。けど、こんなに楽しくて豊かな人達に応援して貰える人がどれだけいるだろうか。

私は、オリンピックに出れなかった。
井上康生になれなかった。
でも、明石市市民大会にたどりつけた。
他の誰でもない佐藤鷹史になることができた。

かくして私は1度捨てた柔道と出会い直した。転んだって受け身をとればいいのだ。そんな原点にたちかえれた。
夢、別名呪いと最初に抱いた動機を財産に、また受身をとりながら生きていこうとおもう。

そんな事を思っている。

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