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令和の「特攻崩れ」失業者の嘆き

太平洋戦争末期「神風特別攻撃隊」が儚くも祖国の為に若い命を散らして行った。

彼らは「軍神」と崇められ、国民の英雄だった。

そしてまた、祖国の為に我が身を捧ぐ決心をしてその時を待つ若者達も沢山居た。

しかし敗戦後手のひらを返すように、元特攻隊の人間は「特攻崩れ」として街の厄介者のように扱われる。

令和の時代になり、このコロナ禍において望まず失業した人達も沢山居る。

私もその一人だ。

これまで現代のようなブラック企業の概念も無い時代に、昼夜を問わずまさに社会の為家族の為と身を粉にして働いてきたが望まず時代の状況が変わり、職を失った。

しかし世の中の対応は冷たい。

我が身で言えば、過去はそれなりの年収の管理職をやっていたが、現在はようやくライター業を始めたばかりでとてもその時の収入には満たない。

そんな生活を数ヶ月送っていく中で、家族の対応は日に日に冷たくなる一方だ。

稼ぎのあるそれまでは、頼られまた主人として崇められた日々も今や昔、たったの数ヶ月で「居候」のような肩身の狭さである。

家族を養う為に走り続けた二十代、三十代はなんだったのか…子供の顔を見るより他人の成長を促す事でお金に換えて生活をしてきた。

下げたくない頭も下げ、他人の都合を自分の都合と思い休みも時間も自由にならない事も致し方無しと生きてきた。

しかし、それらの積み重ねが虚しく崩れさった今はまさに「特攻崩れ」として、何を目標に生きるべきかさえ迷う次第である。

国の為に戦い、身を捧ぐ事を当然と教育された人達がその本旨を失った虚無感はそれは相当なものだったであろう。

私は、もう心を半ば失っていると思う。

懲役に行ったつもりで感情や言葉を失くして、この時代の行く末をただ見る傍観者として時間だけを過ごしていくのだろうと思う。

今時点でもはやただの「居候」としてしか扱われない事実に、この先好転したとして誰がその相手を信じられようか。

仕事でも家庭内でも居場所を失った男は、まさに失業者として最底辺に居る自覚しか残らない。

令和の「特攻崩れ」の未来は、感情さえ消してただ息をするだけの人生しか残っていないのか。

それとももう一度、自分の人生を生きる事が叶う時期が来るのか。

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