中年へのOJTで「おすすめです」という言葉を選ぶ、学生バイトの人間力
今度の蕎麦屋は、大当たりだった。
うまかった、という、客目線ではない。
働く場として、年末年始にアルバイトした店の人間関係が良かったのだ。
これまでの蕎麦屋は、店としては良いけれど、だいたい、嫌な人がいた。
おかみさんがヒステリーだったり、年配パートが意地悪だったり。
年をとると、こうも性格が、ひん曲がるものなのかと思った。
しかし、今回、たまたま働かせてもらった店は、経営者も超いい人だった。
アルバイトは大学生ばかりで、ほぼ20代だった。
去年までの店は、60~70代のパートさんが多く、50代の自分は最年少。
しかし、今回は一気に最年長になり、場違いなような、申し訳ないような。
大学生に教えてもらいながら、おっかなびっくり、仕事を覚えた。
おばさん(私)は、新しいことを覚えるのに時間がかかる。必要なことをメモしても、行動にしみこむまで、繰り返しやって、ようやく習得する。
そんなおばさん(私)にも、店の人々はやさしかった。意地悪な人はいない。それが普通かもしれないけど、感動する。
年末年始の蕎麦屋は、めちゃ忙しい。忙しいからこそ、働かせてもらえる。
年末らしさも実感できるし、楽しいし、やり終えたときの達成感もある。
今どきの学生さんが、みんな優しくて、仕事ができるのに驚いた。
初バイトでも、果敢に注文をとりにいく。そばを運ぶ。
えらいわー、感心だわー、と思いながら、自分も入り込めるよう頑張った。
なかに、周りの動きがよく見えて、気が利いて、仕事が速い女の子がいた。自分がテーブルの片付けにあたふたしていると、食器が積み重なった絶妙なタイミングで通りがかり、「おさげしますねー」と持っていく。
ことさら主張するでもなく、すーっと来て、必要最小限のフォローをしてくれる。テーブルは24卓あり、お客様も、蕎麦も、従業員も、あわただしい。そんな中でも、すっと動く。
漫画の「タッチ」を思い出した。主人公が野球で、ボールが飛んでくるのを、そのままの立ち位置で、スポッと受け止める。簡単じゃん、という見方に対して、いや実は、主人公は、打者が打つ前やその瞬間に、ボールが飛んでくる場所を察知して、すばやく移動しているのだ、という話があった。
そのタッチみたいに、彼女は、ステルスな動きで、必要なときにそこにいた。この人には、目が5個くらいついているんじゃないか、と驚嘆した。
何日かたって、私が仕事に慣れてきた頃。
食器を下げるときに、ニコッと微笑んで、アドバイスをくれた。
「こうやって、最初にお箸をまとめて紙でぎゅっと包むと、捨てやすいから、おすすめです」
なるほど、確かに、理にかなっている方法だった。
それ以上に、「おすすめです」という言葉に、私は衝撃を受けた。
何かを教えるとき、「こうするといいですよ」「こうしてください」と言うのが普通だ。そこを、ちょっと言い換えて「おすすめです」と言う。
目が何個もついている彼女は、前から、その方法を教えた方がいいと思っていたはずだ。しかし彼女の洞察力で、当初は、私が細かいことまで習熟できないことをわかっていた。そして、慣れてきたタイミングで教えた。しかも、「おすすめです」という言葉選びで。指示ではなく、やり方はあなたが選べますよ、この方法だとやりやすいですよ、というフラットさで。
人に何かを教えるとき、自分も「おすすめです」という言い方をしていただろうか。うーん、してたかも。実際に自分が言われてみると、おおーっと思った。尊重され、すんなり受け入れられるし、対等な感じがする。フレンドリーでもある。何より、私は彼女より30才以上、年上である。そんな年上にものを教えるのは、気を遣うだろう。私が平身低頭であっても。そうしたややこしさを、さらっと乗り越える「おすすめです」(ニコッ)だった。
感心したのは、その言葉を選べる、彼女の人間力である。仕事ができること、能力が高いことは知っていた。それをさらに上回るのは、人徳だ。
22才の女の子から、こんな衝撃を受けるとは思ってもいなかった。
大学4年だと言っていたから、もう次の年末はいっしょに働けないだろう。小さなKさん。最終日に、目が5個ついてるとか、CPU高すぎ、とか告った。「CPUって何ですか?」と聞き返してくれた、それすら気遣いかもしれない。PCの性能になぞらえただけだ。「おすすめです」という言葉に感銘を受けたこと、こういう言い方はどうやって習得されたのですか?とも聞いてみた。Kさんは、うーん、と小首をかしげつつ、「積み重ねですかねぇ」と言った。その蕎麦屋では、2年アルバイトをしていたそうだ。
他にもいろんな人に、あたたかく、わかりやすく、教えてもらった。若い人が、とても優秀で、人間ができている。来年も仕事を思い出せるように、たくさんメモした。まかないのお蕎麦はもとより、休憩時の缶入りロイヤルミルクティが、こんなに美味しいかと思った。学びしかない、6日間だった。
一方で。
休日に、料理をしながらラジオを聞いていた。
デビューしたばかりのMCが、ちょっと間違ったことを言った。
とっさに「原稿にそう書いてあった」と言った。「初々しいですね」とも。それは、自分の間違いではない、放送作家のミスだ、と分からせるもの。
初々しい、は、若い作家さんについてなのか。ミスを明言したあと、フォローしたつもりだったのかもしれない。でも、MCの彼こそが初々しいはず。
リスナーに意図が伝わらず、ちぐはぐさが残った。
MCの彼は、原稿のミスを、放送で指摘したことを、後悔したかな?
だといいけれど。
自分は悪くない、スタッフのミス、と言い放つMCは、いる。
その度に、嫌な感じがする。ラジオは、実際はチームワークだとしても、表に出る部分は、MCの独壇場なのに。
リスナーにとっては、ミス自体より、MCの人間性が印象に残る。
スタッフのミスを公言しても、楽しくまとめられるのは、たぶん上沼恵美子くらいだろう。(想像。マツコはもうカドが立つ)
台本は、だいぶ前に書かれるのかもしれない。構成が入れ替わることもあるだろう。原稿ミスの指摘は、ライターだけでなく、それをチェックしたはずの、上の人まで責がおよぶ。スタッフ全員が、次にミスをあげつられるのは我が身、とヒヤッとする。メンツがつぶれる。スタッフの家族や友人が、どんな気持ちで聞いているか、というところまで、想像するだろうか。
スタッフが、心の中の苦汁をおくびにも出さず、MCを誉めそやし、持ち上げてくれることに、気づくだろうか。一般的な市の読み方を、いくつも間違うMCを傷つけない程度にさりげなく、次週から、有名な地名にルビがふられるであろうやさしさに、気づくだろうか。
蕎麦屋でも、放送でも、働く人は、ミスが自分にふりかかることを恐れる。
レジが合わないとき、原稿を間違えたとき、悪いのは自分ではないと、とっさに主張するクセのある人の、人間性は、他人には変えられない。
そんなことを思っていたら、木村拓哉の、スタッフ思いの記事があった。
木村拓哉のような人は、これまで、スタッフのミスや配慮不足があった場合に、どんだけ飲み込んで、自分のボケにしてきただろう。木村拓哉に救われたと感じるスタッフは、どんだけいるだろう。どんだけ作り手側の信奉者が増えるだろう。視聴者はそうした内情に気づかず、ただ楽しく見ているだけだとしても。