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マエストロ=達人の境地

7月11日に NHK Eテレで放送された「クラシック音楽館 4人のマエストロ クラシック音楽を語る」を見ていて、ひきこまれた。

4人のマエストロ=すごい指揮者、の中ではいちばん若い、
下野竜也氏(51才)。

「理想の指揮とは」のお題に対して、こう語っていた。

力(りき)み入ってますし、うわーってやるんですけど
だいぶ最近考え方を変えて。

汗かいて、自分が燃えるのじゃなくて、
あんまり自分のこととか、そういうのがないときの方が、
本当にいい演奏になってるのかなと思う。


自分の中から、うわーって何か、雑音が出てるときって、
オーケストラの音が聞こえてないっていいますかね。
雑音というのは、何か奇声を発するわけではないですけど。

何か、こうしなきゃ、ああしなきゃ、というものではなくて、
スーッと、それがなくなって、
オーケストラの音が自然と聞こえてくるときっていうのは、
本当はいちばんいい指揮なんじゃないかなって、
最近感じつつありますけど。

51才で、そんな境地を実感するなんて、すごいなぁ。
たくさんの経験と、研鑽を積んで、
「最近」そこに至った、ということなのだろう。

51才って、なってみると、若いし、まぁまぁ元気だし、未熟なんだよね。
まだ、何かなしとげたい、みたいな気持ちもあるし。

論語だと、50才ってなんだっけ?
うわ、「五十にして天命を知る」だ。
下野氏は、天命を知っている。人生の達人だ。

え、マエストロって何?

ある分野で特にすぐれている人。巨匠。大家。達人。

なるほど。
指揮者をマエストロっていう時点で、すでに巨匠とか達人ってことなんだ。

論語、その先は?

『論語・為政』
十有五にして、学に志す(学問を志す)
三十にして、立つ(学問の基礎ができて自立する)
四十にして、惑わず(迷うことがなくなる)
五十にして、天命を知る(天から与えられた使命を知る)
六十にして、耳順う(人のことばに素直に耳を傾けることができる)
七十にして、心の欲する所に従えども、矩を踰えず
(思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)

あれ、下野氏、60も70もいけてそう。論語あがりかな?

別のときの話だけれど、氏は「指揮者という仕事のいいところは、元気であれば、何才まででも続けられるところ」って言ってた。

今回のテレビで、今後やっていきたいことは?と聞かれ、
「これからも小学校・中学校などに行って、体育館とかでも、子供たちに本物のクラシックに触れてもらうような活動をしたい」と言ってた。
「小中学校は、いろんなものに触れる機会があるのがいい」、とも。

私も、クラシックは聞かないけれど、氏の演奏で音楽の楽しさを知った。


あと、番組のなかで、高名な指揮者のレナード・バーンスタイン氏の言葉も印象的だった。
亡くなる3カ月前に、若い演奏家たちを教えたあと、語っていた。

もし音楽家になりたいのなら、心から音楽家になりたいと思うことです。
なぜなら、それは難しいことだし、そう思うことから始めなければ。

並の演奏家になることはたやすいことだし、
うまく乗っかって音楽を演奏するだけなら、だれだってできる。
それは昼と夜ほどの違いがあります。

今やった5分間のなかに、そのことが全て含まれてます。
それについては言葉はいりません。

「なりたいなら、心から思え」と。

そうだよなぁ。
いつか、とか、うまくすれば、みたいな方向で考えをおさめがちだけど、
やっぱり強く、心から思うことが、大事だよな。

逆に、強くても、自己欺瞞から発するものであれば、成就しないな、と思た。