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街道Jウォーク〜美江寺から赤坂

中山道は江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸日本橋と京都三条大橋を508kmで結んでいる。「片雲ノ風ニサソハレテ漂白ノ思ヒヤマズ」温暖化以前ならとっくに紅葉も終わってる霜月の下旬に、その旅は唐突に始まった。

旅の始まりは岐阜県は美江寺宿の西の呂久の渡し。そこは織田信長が岐阜在城から安土、京都への勢力拡大時に交通の要衝として揖斐川に設営させた渡し船の地である。戦乱の時をそして江戸時代の太平を経た1861年、孝明天皇の妹の皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ道中、この呂久の渡しを小舟で渡った。都落ちの悲哀を詠んだ歌が小簾公園の石碑に刻まれている「おちてゆく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」嗚呼、ただ涙そして涙、、

ここからは伊吹山を目指して西に向かい歩き出す。緑一面の畑を踏みつけるように南北に延びた東海環状自動車道のコンクリート高架をくぐり、程なく赤坂宿に到着する。
伊勢湾から50kmの内陸にありながらも赤坂宿にはかつて港があった。杭瀬川の豊富な水流で500艘もの船が行き交う川湊として明治時代までは大いに栄えた。今もきれいに整備された河岸にはレトロな赤坂港会館や巨大な常夜灯が当時の賑わいを伝えている。

赤坂の本陣を過ぎると安産祈願で有名な子安神社の右手に金生山の入り口が現れる。中山道からはオフトラックとなるが赤坂を訪れたなら是非登ってみたい。この山は2億5千年前の赤道付近の珊瑚礁が海洋プレートによって北へゆっくりと日本列島まで押し流され大陸プレートとぶつかり隆起した石灰岩の山である。良質で豊富な石灰岩は江戸時代から日本一の生産量を誇り、山の形をゆっくりと変えながら現在も採掘は続いている。その成り立ちから内陸部でありながら海の生物であるフズリナやサンゴやウミユリの姿が石灰岩の中に化石となって生き残り「日本の古生物学発祥の地」と呼ばれ多くの学術的な発見を生んだ貴重な山である。また山頂には飛鳥時代に持統天皇の勅命により建立された明星輪寺があり、知恵の仏様である虚空蔵菩薩がご本尊として祀られている。この山頂からはまさに濃尾平野たる美濃と尾張が一望でき、そこを横切る一筋の中山道をちまちまと歩く蟻ん子より小さな自分も見え隠れしてる気がするのである。

今回は岐阜県は美江寺宿の西の呂久の渡しから、金生山みちくさを含む赤坂までの中山道12kmの歩き旅でした。



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