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北緯45度の身体スケール

 夏の休暇を北海道で過ごしている。

 八月十六日、今夜、台風10号が道西の海上で温帯低気圧に変わるようだ。常宿にしている宿の窓外には牧場が広がる。およそ15キロメートル先の丘陵まで浅い盆地が続く。牛の姿は見えない。夕刻あたりから雲が東から西へ真横に高速で移動を始めた。

 東京で暮らしていると身体スケールを忘れる。高い価格によって緻密に区切られた土地から垂直に伸びる建造物が密林のように人工自然をつくり、水平方向のスケール感を消失させているからだ。

 人間の目は基本的に水平方向を視認するために頭蓋骨に埋まっている。部屋の風呂に浸かり15キロメートル先の丘から折り重なるフィールドと高速移動する厚い雲の巨大な隙間に平行に視線を置くと、天体運動を基礎とした地球の空間が見えてくる。

 宿のフロントスタッフの方が今年は蜂が大量に発生しているので気をつけてくださいと言っていた。湯に浸かっていると、確かに体調4、5センチメートルの蜂たちが軒に沿って飛んでいた。その様子をぼうっと見ていたら、蜂の飛行する軌道に規則性のようなものがあることに気づいた。どうやら決まったコースを飛んでいるらしい。理由は分からない。台風が近づいていることを察知しているのだろうか。

 北海道の森を歩いていると、蜂だけでなく、蜘蛛や蟻、トンボやコオロギ、名前も知らないさまざまな虫たちを見かける。じいっと見ていると、それらの運動のスケールと大地の空間スケールに連続性のようなものを感じる。どんなに自然豊かでも関東や九州では感じないスケール感覚なのだが、これはいったい何なのだろう。

 むかし訪れたモンゴルの平原では、スケールが巨大すぎて身体感覚が消失する経験を得た。あたかも無限に広がる草原の上空に寸法を失った巨大な雲の塊が突然現れ、緞帳のような鉛色の雨を垂らし、とつぜん雷を地上に落としながらこちらへ近づいてくる光景は忘れられない。好天は数分後には嵐になり車の中へ避難した。あの場所は現実感を失っていた。北海道にそのシュールレアリスムはない。

 黄道を移動する太陽からの光、つまり東西南北、北極と南極を結ぶ磁力線、大気の法則性、風向き、昼夜の気温差による湿度の変化など、さまざまな土地の条件、それらを勘案しながら建物の形は決まる。建物の形が決まると、自ずと生活空間がつくられる。

 貨幣価値からではなく、天体運動から虫の運動の間に規定される身体感覚。その心地よいスケール感覚が北海道という土地にはある気がしてならない。上空では台風に巻き込まれてゆく雲が大地に擦れている。非常に現実的だ。




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