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脚本家になるために、仕方なく始めた役者修行。私は、ほっそい眉毛の元ヤン先輩の指導のもといきなり週五日の稽古に参加した。とはいえ最初は台本なんか配られない。やるのは、どんな効果があるのかわからない珍妙な稽古だったのだ。 まず『肉練』と呼ばれる肉体強化練習から開始。大学の外周を走らされ、腹筋腕立て背筋スクワットストレッチなどの体育会系的メニューを、高校剣道部だった私は余裕でこなしていた。ただ、「俳優に筋肉って必要なの?」と疑問に思っていたが「言われたから」と従っていた。つまり
元ヤンの先輩が演出する芝居の稽古が始まった。その芝居の題名はなんと『ドリーミング』……。 当時の学生劇団は下北沢を中心にした小劇場ブームに乗っかって、作劇方法などもそれに習うところが多かった。 元ヤン先輩は、白井晃さん高泉淳子さんらを中心に人気を博した、遊◎機械/全自動シアターという劇団にあこがれていて、彼らが採用していた(と彼は言っていた)作劇方法に則って、舞台作品を作ろうとしていた。 それは『エチュード』つまり、即興で物語を紡ぎ出す方法で、脚本を使わずに、場面設定と
脚本家になりたかった私は、学生劇団に入ったのだが、十人弱しかいない劇団で私は「一年は役者になる決まり!」と役者にさせられた。 そこで知ったエチュードという作劇方法。即興で役を演じ、会話をし、物語を作り上げる。 その方法を知った私は「これだ!」と心躍らせた。 小学生の頃は漫画家になりたかった。だけど、作品にするまでの膨大な労力と時間を知って、即、断念した。そんなに大変な事できない、ムリ、って。 そう、意志薄弱なの、私。 アイデアは頭の中に沢山ある。だけど、それを文章にする
映画監督になりたかった。 だから私は、大学で劇団に入った。 いやなんで劇団? そこは映研でしょ? その通り。だけど、それにはワケがあるのだ……。 私の高校時代、日本の映画界は、業界外から監督を抜擢する、いわゆる異業種監督と呼ばれる方々が活躍されていて、たたき上げの助監督がなかなか映画を撮らせてもらえない、そんな風に言われた時代で、海外では『ジュラシックパーク』の脚本家、マイケル・クライトンが小説家としても成功していて、私は「脚本家として脚光を浴び、映画監督になるのが映画を