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共同体への愛は、実践からしか生まれない

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今から3年前。35歳の時に、私はそこそこの田舎に引っ越した。人口1万人程度のちょうど良い田舎である。家も買ったし、子供も地元に根付いているので、特別なことがない限りはこの地に骨を埋めるつもりだ。

35歳までの人生のおいて「地域」や「共同体」という概念に興味を持つことはあまりなかったように思う。子供の頃に過ごした地(福生市)を懐かしく思う気持ちはあるけれども、その場所に愛があるかと言われると、非常に微妙なものである。

しかし、骨を埋める場所的なものが生まれたことにより、ここ数年は「地域」や「共同体」というものに俄然興味を持っている。なんなら、遠い将来には、地方創生的な活動をしても面白いかもしれないなどとも考えている。

そして、地方創生や地域活性化を考える上で欠かせない概念が「郷土愛」である。広く言えば「共同体への愛着」だ。最近は「郷土愛」を意図的に育てるためにはどのような試みが効果的なのか、みたいなことをよく考えるようになった。

視点をもう少し広く取ると、それは「愛国心」などにおいての課題と共通のものではないだろうか。そういう意味で「郷土愛」への考察は、社会的に大きな意義がある。

とはいえ「愛国心」はとても難しい。なぜならば「愛国心」という時の「国(ネーション)」は、そもそも実際には存在しない(かつ対象が広すぎる)幻想だからだ。実感を伴いづらい概念的な対象に愛を抱くことは、実態のあるものに対するそれよりも一般的には難しいと考えられる。(偶像崇拝のような例外もあるが)

共同体の範囲が広くなれば、それはいつかつかみどころのない概念になってしまう。逆に、共同体の範囲が狭くなれば、その全体を把握するのが容易になり、実態として対象を愛したり憎んだりしやすくなる。「愛国心」という概念と「郷土愛」という概念が地続きになっているか否かの議論に関しては後半にゆずるとして、少なくとも「郷土愛」というものを考察することは、間接的に「愛国心」を考察していることになるのではないか。

テクノロジーの発展や新しい価値観の誕生によって、共同体への愛着は薄れつつあるように思える。しかしこれは「共同体愛」の消滅ではなく、単なる共同体の移動ではないか。それまで人々が大事にしてきた郷土という共同体の存在価値が薄れ、代わりにオンライン空間上のコミュニティーが力を持った。そして、コミュニティーに属する人々は、その集団に対して「郷土愛」的な感情を育んでいる。

だから、社会学的/政治学的な意味で「郷土愛」を語る以前に、人間個人としての「集団の一員としてのアイデンティティ」を考える上で「郷土愛」のような概念は避けて通れない課題なのではないか。果たして「郷土愛」はどのように育むことができるのだろう。



ここ数年の経験から、私は「共同体への愛は、実践からしか生まれない」と考えている。前述の通り、私は引越しをしたことで積極的に地域活動に参加するようになった。正直面倒なことも多いし、好きではない人との付き合いもあったりする。それまでの私はそのようなことを徹底的に避けることで生きてきた人間なので、冷静に考えると、今こうして地域活動をしているのが若干信じられない。良い意味か悪い意味かわからないけれども、私は大人になったのかもしれない。「面倒臭いこと」や「好きじゃない人間関係」は、確かにその瞬間の幸福度を下げる要因かもしれないが、最近の私はそういった要素も人間の複雑な生の一つであり、必要不可欠なものなのかもしれないと考え始めている。大人になったというか、老人になったのかもしれない。

そのように地域の活動に参加していると、当然のように共同体に対する愛情が芽生えてくる。それは共同体における連帯感によるものかもしれないし、自身が共同体に貢献しているという自尊心かもしれないし、何かの集団に間違いなく属しているという安心感かもしれない。いずれにせよ、そういった要素が共同体への愛着として蓄積されていくのだ。

つまり私は、共同体への働きかけという行為を行うことによって、事後的に共同体への愛着を得たことになる。

これは儒教的な「礼」の精神に近いものかもしれないし、三島由紀夫のいう「理論に先立つ実践」にも近い考えかもしれない。

古代中国においては「仁」と「礼」という二つの重要な概念があった。簡単にいえば「仁」とは思いやりで「礼」とは作法である。人間にとって、社会にとって、「仁」と「礼」のうちどちらを大事にすれば良いのか。換言すると「仁」と「礼」のうちどちらが本質的なものなのか。こういう議論が2500年近く前に活発に行われていた。

ある人は「思いやりがまずあり、それが元となり作法が生まれる」と考えたし、またある人は「作法があるからこそ、思いやりが育まれる」と主張した。ちなみに後者の思想の一部は後に儒教的なものから離れ、法家として結実する。法家は「礼」の最終系の一つである「法律」を重視し、この思想はキングダムにおける嬴政、つまり秦の始皇帝の政治に強く影響を与えた。

だから、最近の私には「愛国心を教える」ということに本当に意味があるのかという疑問がある。”仮に”愛国心を育みたいのであれば、理論や道徳情報としてそれを教えるのではなく、小さいところでも良いから、国家に対して何らかの実践をすることが必要なのではないか。賛同はできないが、そういう意味で徴兵制は愛国心を育む強力な仕組みなのであろう。

日本人の愛国心が弱くなっていると仮定したとき(それを証明する明確なデータを知らないのであくまでも”仮定したとき”)その原因は

1、国家に対する実践の機会が乏しいこと
2、共同体愛と愛国心の間に断絶が生まれたこと

の二つにあるのではないか。

1については今述べたとおりである。現代人は普通、国家に対して貢献しているような実感を持った行為をほとんどしない。だから、国家という単位に愛着を持つ機会が乏しいのだ。

2については1よりもわかりやすい。昔は今よりも郷土愛を育む場が多かったと思われる。多くの人は(半ば強制的に)郷土という単位に固定されていて、国家よりも具体的な郷土という共同体の中で貢献することを求められてきた。そして、郷土に対して貢献をする行為は郷土愛を育み、それは郷土の集合体である国家への貢献だと見做すことができたのかもしれない。だから、郷土愛と愛国心には密接な関係があった。
しかし現代においては、そもそも郷土愛が育まれない。人々は「郷土」以外の共同体に自分の居場所を見つけることができるようになったからだ。それは例えばネット上のコミュニティかもしれないし、メタバース空間かもしれないし、外資系企業かもしれない。人は何かしらの実践を通して共同体に貢献をする生き物だから、その実践を通して「共同体愛」を育んでいく。しかし、上記のような共同体は「日本」という集合に属していない。だから郷土愛→愛国心という、これまで存在していた愛着のバトンリレーに断絶が生まれてしまっているのだ。

この主張を前提に考えるならば、「愛国心」を取り戻すためには以下の二つの方策が必須であるように思う。

①「日本」という単位への貢献を求める実践を強制(もしくは喚起)すること
②多様な「日本という集合に含まれない共同体」を、どうにかして「日本」に紐づけること

まぁ、具体的な方法はわからないし、そもそも「愛国心」というものが本当に善なるものなのかも不明なので、ここまでした話は思考実験の枠を超えない。あくまでも「こういう風に考えられる」という戯言である。



ただ、間違いなく言えるのは、個人単位の目線で「共同体」という単位は存在し続けるということである。人間は共同体抜きで存在することができない生き物(だと思う)だからだ。現代の人々は、共同体を恣意的に選択肢して、この共同体への関わり方を自由に決めることができる。今回の話を総合すると、自分にとってより重要な共同体の中で極めて積極的に実践を行うことで、共同体愛と自尊心と承認欲求が満たされ、それが最終的に個人の幸福度の変数になると考えられる。

Mr.Childrenの『東京』という歌にこんな歌詞がある。

思い出がいっぱい詰まった景色だって また 破壊されるから
出来るだけ執着しないようにしてる
それでも匂いと共に記憶してる 遺伝子に刻み込まれてく
この街に 大切な場所がある
この街に 大切な人がいる

Mr.Children|東京

共同体における「記憶」が遺伝子に刻み込まれるためには、能動的な実践が必要だと思われる。その「記憶」の選択が個人の自由に任されているのが現代だ。このこと自体が良いことなのか悪いことなのかはわからない。しかし、そうである以上、自分が納得できる共同体に対して能動的に関わろうとする姿勢は、個人の幸福のために必要な行為なのではないか。

私は遠い未来、そんな共同体を運営できたら良いななどと夢想するのだが、今はとりあえず、自分が属するいくつかの共同体の中で精一杯の実践を繰り返したいと思っている。

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